第20話 影

 「うーん」


 
ここは神族居住区の多目的小部屋。

 ちょっとした作業をしたり休憩したりするための四畳程の狭い部屋である。


 メシィは悩ましい顔で唸りながらにゃーこの頬を引き延ばしたり手足を引っ張ったりしてこね回していた。


 
(何でにゃーこが懐かなかったんだろう。気になるなぁ……。もっとあの子のことが知りたいな)


 
彼女は先ほどの事を思いかえす。

 もっと色々話したかったが、仕事中の身なのでそうはいかない。


 
(次いつ会えるかな……)


 
……とは言っても、彼女の仕事はリームの秘書みたいなものなので一般居住区に出ることはほとんどない。


 今日だって実に一月ぶりの外である。

一般居住区に何か用事を作らなければ外に出ることすらままならない。

 それどころか、最近の分刻みのスケジュールを考えるとそもそも自由な時間がほとんど無い。


 いや、でも今日みたいにリームが内勤してる時に少し抜け出して……いや、いつ急務が入るかわからないし、そんな所他の連中に見つかって解任にでもなったら一生私の「願い」を叶えられなくなる。

 考えれば考えるほど再会は難しい。

 メシィのにゃーこをこねくり回す手がどんどんエスカレートしていく。


 
「痛っ!」


 ついににゃーこが牙を剥き、その爪で彼女の鼻を軽く引っ掻いた。


 
「あはは、そんなににゃーこの口を引き伸ばしたら裂けちゃいますよ」


 
流石の人たらしもご主人の無自覚虐待に嫌気が差したのか、正面の机で作業をしているリームの作業机の上へと逃げ出した。

 彼がにゃーこの背を優しく二、三回撫でると、そのまま心地よさそうに寝息を立て始めた。


 にゃーこが去っても無反応なメシィは「はぁ」と深い溜息をつくと、今度は椅子の上で足を抱えてぼんやりと窓の外を眺めていた。


 
「今日は随分と上の空ですね。何かありました?」


 
リームの言葉にハッと我に返った彼女は窓の外に投げていた目線を彼に戻す。

 いつの間にかリームは作業の手を止め気持ちよさそうに寝入るにゃーこの背を撫でながらメシィを見つめていた。


 
「……別に大したことじゃ無いっす」

 

 メシィが膨れながらそう言うと、リームはくすくすと笑い


 
「いやあ、あまりにもあなたが恋する乙女みたいな顔して唸っているから」


 「そんなんじゃないっす!」

 
「あはは、冗談ですよ」


 
メシィがムキになって反論する。

 リームは笑いながら彼女に合わせた。


 
「こらぁにゃーこ! あんたのご主人はわたしっす! 戻りなさあい!」


 
話題を変えるためににゃーこを引き戻そうとするが、当のにゃーこは戻るどころか作業机から彼の膝の上へと場所移動した。


 
「キミの定位置はいつもここだね」


 
リームがにゃーこを再び撫で始めると、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。

 ご主人なんてなんのその、なんなら尻を向けて寝始めた。


 
「きいいいい! 共に生きてきた相棒なのにっ!」


 
メシィは悔しそうに地団駄を踏んだ。

 その時、突然メシィの背後の扉からノック音が響き、間を置かずに開いた。


 
「リーム、明日の会合の時間なんだけど……きゃっ!」


 
現れたのはユリナだった。

 彼女は美しい海の青を靡かせながら、分厚い書類に目線を落としたまま部屋に入ってきた。

 ユリナが現れるや否や先ほどまで寝息を立てていたにゃーこが突然パチっと目を覚まし、一目散に彼女の胸元にダイブした。


 
「あらあら、甘えん坊さんねぇあなたは」


 
ユリナは手に持っていた書類をリームの作業机に置き、にゃーこを抱えて優しく撫でる。

 にゃーこは満足そうに彼女の胸の谷間に埋もれた。


 言い忘れていたがこの小動物、もちろんオスである。


 
「にゃーこ……現金すぎるっす……」


 
 そんな光景をメシィは切ない目で見ていた。




***



  神子たちの新しい生活が始まり三週間ほどしたある日、フィラにとって懐かしい、此処に至るきっかけを作った人物が訪ねてきた。


 
「よぉ、フィラ。元気にしてるか?」
「バブさん! お久しぶりです」


 
 フィラの目の前に現れたのは他でもない、タルトール王国の王族バブだった。

時の街と交流があるとは聞いていたが、神族居住区から一人で出てくる様子をみると相当信頼されているらしい。


整った顔に知的な雰囲気、神族の住まいから颯爽と現れるその立ち振る舞いは優雅なものだ。

なんというか、格好いい。


 フィラはバブと出会ってから密かに彼に憧れていた。

 ふと隣のセオを見ると……固まっている。


 
「バブさん、彼は私の友人のセオ。セオ、この方はタルトール王国の王族、バブさんです。挨拶なさい」


 「あ、どうも」


 
 セオは緊張気味にペコっと頭を下げる。


 
「ああ、よろしくな」


 
 バブは笑顔でそう言うと、セオの頭をポンポンと二回撫でた。


 
「元気そうで何よりだ。じゃあ俺は確定世界に帰るから、またな」


 
バブはそう告げるとそのままエントランスへと消えていった。


 
「はー、格好いいなー! フィラにもあんなイケメンの友達いたんだな!」

 
「人を一人ぼっちみたいに言わないでください」


 フィラはムッとした表情でそういうと、投げ出していた仕事を再開する。

 セオは慌ててフィラの機嫌をとろうとするが、無視されたので諦めて仕事に戻った。


 
「……ん?」


 
ふと、誰かの視線を感じたフィラは神族居住区の奥を見つめる。


 
「どうかしたか?」


 「いや、今誰かそこに……」


 フィラの指差す先をセオも目を凝らして見つめたが、特に何も見えなかった。


 
「誰もいないぞ。ユーレイじゃないか?」

 
「からかわないで下さい!」


 ムキになって怒るフィラ。

 彼は得体の知れないもの、つまりお化けが苦手らしい。


 二人は見えた見えないの水掛け論を展開しながら、それぞれの持ち場へと戻っていった。


 そんな二人のやりとりを、神族居住区のゲートからそっと見つめる一人の影。


 
「呑気な人。バブが何の用事もなく時の街に来ることなど無いのに」

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