第19話 時の街

 時の街は総面積三百キロ平方メートル程の浮遊大陸で、四方八方を空間のゆがみに囲まれている。

 空を見上げれば覗くのは青い空ではなく空間のゆがみで、年中薄暗く肌寒い環境にある。


 
「ここが時の街……」


 
 フィラは感慨深く辺りを見回した。

 息づく草木はどれも確定世界では見たことのない品種ばかりだった。

 それもそのはず、普通の植物は日の光の無い時の街では生息できない。


 
「なんかすごいな~、この世じゃない所に来ちまった感じがするな!」


 
 わくわくを抑えられないテンションで語りかけてきたのはフィラの旧知の友人、セオ。

 彼はパステルカラーの緑をしっぽのようにちょこんと結い、トレードマークの太い眉をぐっと吊り上げた。


 
「じゃあみなさん、私についてきてくださいっす~」


 
 先ほど時空転移を行った時の街の女性が手を上げて神子たちを引率する。まるで幼児の遠足だ。
 道中、女性が遠回りをしながら各施設を紹介する。


 どうやらこの大陸は手前の木々が生い茂っている部分を除くほぼ全土が教会の敷地になっており、教会内部をいくつかの区画に分けて運用しているようだ。


 
 内部に入るとまずは広い受付があり、そこを抜けると中庭へと続く。

 中庭には大きな木が一本植えられ、周囲にはいくつかのテーブルと椅子が設置されていた。

 かなり広い中庭で、なにかイベントがあるときはここに皆で集合するのだと彼女は説明する。

 そんなだだっ広い中庭を囲うように通路があり、通路と庭の間は柱のみで構成され開放的な空間を作り出している。

 この通路は東西に伸びる部分だけ中庭の奥まで長く続いている。

 これが東西に新たな空間を作り、東側には一般居住区として戸建ての住宅が、西側にはいろいろな設備が集合する複合施設になっている。

 中庭を突っ切り奥に進むとゲートがあり、その奥には神族が生活している「神族居住区」があるらしい。


 
 彼女は一通り説明を終えると、我々を中庭の大木の前へといざなう。中庭の周囲にある通路には新しく仲間となる神子たちの顔を一目見ようとたくさんのギャラリーができていた。

そんな中、巨大な一本木の前には正装に身を包んだリームが笑顔で佇んでいた。


 
「みなさま、ようこそ時の街へ」


 
 彼は正面で綺麗に手を重ね深々とお辞儀した。


 時の街の正装は男女ともに風通りがよさそうな形状をしている。

 女性のローブは臀部が見えるか見えないか、ギリギリの丈のスカートに、乳房が見えるか見えないか、むしろ半分見えているくらいのホルダーネックだ。

 一体どこの破廉恥な連中が考え出したのか、理解に苦しむ構造をしている。


 男性のローブは肩の部分が露出したオフショルダーになっており、垂れさがらないように肩紐がついている。

 一般用のローブは丈がくるぶし辺りまでありその下にはズボンを履くようになっているが、リームのそれは何故か丈が少し短いうえに黒いタイツを着用しているのでワンピースのように見える。
 

 中性的な外見も相まって女性と勘違いしている人が半分以上居そうだ。

 ……というか隣のセオが完全に見とれている。


 
「僕は時の神クロノスの三男、リームと申します。よろしくお願いします」


 
 彼がもう一度頭を下げながらそう言うと、神子たちが少しざわつく。

  ……隣のセオも案の定ショックを受けた顔をしていた。

  可哀そうに。


 
「あの外見で男なのか……時の街、すごすぎる……」


 
 セオが難しい顔で意味不明なことをつぶやいた。

  なにが凄いのだろうか。

  フィラが不可解な顔でセオを眺めていると


 
「いや、フィラも十分かわいいよ!」

 

またも彼は意味不明なことを言い出した。

 確かにフィラは少し童顔で体の線も細いが、この体系のせいで色んなヒトに舐められてきたのであまりいい気はしなかった。


 
「意味のわからないことを言ってないでリーム様の話を聞いてください」


 
 セオが更なる世迷言を発する前にフィラは彼の顔をぐっとつかみ正面を向かせた。

 リームは挨拶を手短に済ませると、今後の神子たちの生活基盤、つまり仕事について説明を始めた。

 

時の街には通貨は無く、衣食住その他についてここにあるものはすべて自由に使っていいということ。

 ただし五歳以上十五歳未満の子供は学園に通うこと、満十五歳以上の健康な成人は時の街に関係する一定の職についてもらうこと。

時の街は常に我々神子のような神力保持者を確定世界で探してはこの地へと連れてきている。


 すべてを受け入れているとパンクしてしまうため、殆どの成人は神力のコントロール権をリームに預け、確定世界に点在する時の街の分教会に配属されるらしいこと。
 つまり時の街内部の職を勝ち取れなかった人々は結局また確定世界に逆戻りということである。

 実は少し教会内部で働くことにあこがれていたフィラは残念そうに肩を落とした。


 
「明日からは皆様の健康診断や体力測定、学力検査などいくつかの要素の測定を行います。職には向き不向きがありますし、合わない仕事に精神を擦り減らすのは建設的ではありませんからね」


 
 続けて彼は最初の一年は全員時の街教会内部の仕事をしてもらい、その後それぞれの職に就く流れになることを説明した。


 
「はい! 質問でーす!」


 
突然フィラの視界に垂直に伸ばされた手が入る。

 セオだ。
 

 彼はその手を一生懸命に伸ばし、背の低さを補うためにぴょんぴょん飛んで見せた。


 まさかいきなり質問をかます人がいるとは思っていなかったフィラは隣のセオの行動にぎょっとした。


 
「はい、なんでしょう?」


 
 リームは元気な新入りに笑顔で返事をする。


 
「その職っていうのはテストで勝手に決められるんですか?配属希望とかそういうのないんですか?」


「もちろん希望はとります。一年後、皆様一人一人の働きを見て総合的に判断しますので、必ず希望に添えるかはわかりませんが……」


「や、大丈夫です!ありがとうございまーす!」


 
 セオは納得いく返事がもらえたようで満足げに手を下した。


 
「セオ、その間延びした返事はいい加減やめなさい。失礼です」


 
 フィラがそっと肘を当てながらセオを小声で咎める。セオはわりぃわりぃと頭をかいた。


 
「他に何か質問がある方はいらっしゃいますか?」


 
 リームは神子たちに問いかけ、一周ぐるりと目線を配る。彼に何かを問うものは誰もいなかった。


 
「それでは次は居住区について説明しますね。皆様僕の後ろをついてきてもらってよろしいですか?」


 
リームによる就職説明会が終わったら、次は住宅内覧会が始まった。

 彼は中庭の奥の通路を東にしばらく歩き続けると、一つの大きな扉の前で止まる。

 彼がその胸元に輝く十字のネックレスを扉の横にある術式の刻まれた天板にそっと近づけると、扉はそれに答えるように開いた。


 
「この十字架がキーになっています。あとでお配りしますが、これは皆様の情報をすべて内蔵した大切な十字架ですので絶対に無くさないようにお願いしますね」


 扉を抜けた先にはたくさんの戸建て住宅が並んでいた。

 途中には公園などもあり、ここに一つの街が形成されているようであった。
 

 教会内部とはいえ通路に囲われているだけなので天井は無い。

 完全に外だ。


 
「人が住んでいる家には表札があります。それ以外の家は空いていますのでお好きに使ってください。」


 
リームがそう言うと、早速神子たちは散り住処探しを開始した。


 
「なあフィラ、お前はどれがいい?」


「私は住まいには特に拘りません。貴方が好きなのを選びなさい」


 
好きなのを選んでいいと言う言葉に気を良くしたセオは手当たり次第に空き家の扉を開けはじめた。


 
 セオは幼いころに事故で両親を亡くし、教団でも一人で行動していた。

 そんなセオを見かねたフィラの両親が彼を引き取り、フィラと共に育ててきたのだ。


 血のつながりはないし成人したばかりのセオはフィラと二十歳ほど離れているが、二人は兄弟のようなものだった。


 無邪気にはしゃぐセオの背中を見つめながら、フィラはカルディアに置いてきた両親のことをふと想った。


 
本当は両親も連れてくるつもりだった。
 しかし、旧カルディア教団の敬虔な信者だった両親は時の街を教団を解体した極悪団体だと信じ込み、フィラの誘いを突っぱねた。

 それどころかフィラが時の街に移ること自体に猛反対してきたので、親と決別してここに来たくらいだった。


 
「おーいフィラ、起きてるか?」


 
気がつくとセオの心配そうな顔が覗き込んでいた。

 どうやらセオの声が聞こえないくらい物思いに耽っていたようだ。


 
「ああ、すいません。決まりましたか?家」

 
「ああ、これにしようぜー!」


 
セオは少し離れた公園の横にある小ぢんまりとした平家を指した。ログハウス調のそれは温かみのある雰囲気で、女性が好きそうな感じだ。

これをセオが選んだのが意外だったが、なんでもよかったフィラは快く受け入れた。


 
「ほら、決まったなら荷物を置いて手続きをしにいきますよ」

 
「りょうかーい」


 
相変わらず間延びした返事をよこすセオに若干呆れながら、二人は役場のような施設、生活区部に向かった。

 

時の街教会一般居住区の西側には、様々な公的機関が集まっている。食事を取るための食堂、具合が悪くなった時の医療棟、児童の学習施設である学園、街の人を管理する生活棟、集会などの集まりごとで使う講堂など、集団で生活するのに必要な施設は大体揃っている。

 

それ以外にも衣料や食料品、生活雑貨を扱うお店のような建物の集まりもある。前述したようにここに通貨はなく、これらは自由に持っていっていいことになっているので厳密にはお店ではない。
生活区部で手続きを終えた二人は早速新居に向かって歩き出す。


 
「グルルルル」


 
しばらく進むと二人の進路を妨げるように猫のような生物が立ち塞いだ。

 毛は逆立ち、低く唸りながら威嚇してくる。なんだか怒っているようだ。


 
「フィラ~、お前こういうちっこいのに嫌われるのの天才だろ~」


 
フィラは昔から小動物に縁が無かった。

 大体こういう生物に彼が近づくと、突進されるか引っ掻かれるか噛み付かれるかのどれかである。

 こちらサイドはただ普通に歩いているだけなのだが。

 いつの間にかフィラ自身も小動物が苦手になっていた。


 
「からかってないで追い払ってくださいよ!」


 
フィラがケダモノを見るかのように顔を顰めると、セオはそれをヒョイと抱えた。


 
「おー、よしよしよし」

 

 セオがもみくちゃに撫でると、それは心地よさそうに目を閉じた。


 
「ほーら、やっぱフィラの所為だ」


 
ゲラゲラと笑うセオを冷めた目で見ていたフィラはそっと小動物の頭に手を近づける。


 
「痛っ……」


 
 その瞬間、それは突然目を開きフィラの手を鋭い爪で引っ掻いた。


 
「やっべぇ、腹いてー!」


 
セオは涙を流しながら腹を抑えて笑っていた。


 フィラが怒りのボルテージを上げていると


 
「わー!すいませんっす!」


 
 通路の奥からものすごい勢いで栗色の髪の女性が走ってくる。


 
「わ、私のペットがご迷惑掛けたっすっ……!申し訳ないっす!」


 
 彼女は息も切れ切れそう言うと、セオから小動物を引き取った。


 
「あれ、おねーさん……さっきの人?」


 
 どうやら先程フィラ達をここまで運んできた女性のようだ。


 
「そうっす! キミ達はカルディアからきた人達すっね! 私はメシィ。リーム様担当のメイドっす!」


 
この軽そうな若者がそんなポストの仕事を貰っているとは。

 フィラがぽかんと彼女を見つめていると、彼女もまたフィラをまじまじと見つめてきた。


 
「誰にでも懐く人たらしのにゃーこちゃんが懐くどころか拒絶するとは……キミ、すごいっす! 初めて見たっす!」


 
うちの子がこんなに懐くなんて! なんてボーイミーツガールはありふれているが、うちの子がこんなに拒絶するなんて……などロマンスもへったくれもない。

 しかも褒められているのか貶されているのか絶妙に分からなくて、フィラは「はあ」とため息混じりに一言だけ返した。


 
「私まだカルディアの諸君の顔と名前が一致してなくて……申し訳ないけど名前聞いてもいいっすか?」


 「俺はセオでこいつはフィラ!」


 「フィラ君にセオ君……よし、覚えたっす!」


 
どう見ても年上の男性に君付けは如何なものか。

 ユリナもそうだが、ここの人達はフランクというか常識がないというか……。


 そんなことを考えていたら、メシィは掌をひらひらとさせ、足早に去っていった。

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