第15話 偽りの少女に安らぎを

 彼は再び勢いよく前進すると、襲い掛かるバブの攻撃を軽く流した。

 そのままバブを無視して通り過ぎ、壁際で呆然としているフィラに向かって突撃する。

 

 今だ―!

 

 アピスは必ず無防備な一般人を攻撃しに来る。リームには確信があった。

 

「呪いの術式!」

 

 リームは右手でフラノールの攻撃を受けながら、左手で術式を発動させる。彼の直下に描かれた陣はまばゆく光り、その光はアピスを飲み込んだ。

 彼はフラノールと戦いながら、よろけたフリをして密かに剣で術式を刻んでいたのだ。


 呪いの術式は何処の国にも属さない基本術式。

 その陣もかなり単純なものである。危ないと分かっていながらフィラの近くで戦っていたのはその為だった。

 

「くっ、貴様……!」

 

 術式を受けたアピスは頭を抱えその場に座り込む。

 この術式は陣内のヒトを攻撃する術式である。

 しかし攻撃といっても肉体的損傷を伴うような強い力は無く、被術者の元々弱い部位の身体的不調を誘発するくらいだった。

 

 アピスがふらふらと立ち上がる。

 しかしその目の焦点は合わず、再びぐしゃりと崩れ落ちた。

 フラノールは彼の元に駆け寄り肩を貸す。やっとの思いで立ち上がったアピスはリームをにらみつけた。

 

「兄さん、もういいでしょう。今日は退いてください」

 

 リームが降伏するようにアピスを説得する。

 すると彼は静かに次の攻撃を繰り出そうとしていた右手を下ろし、膝から崩れ落ちた。

 

 どうやらもう戦闘の意思はないらしい。

 というよりも戦闘できるような状態でもなさそうだ。

 

「う……」

 

 ひと段落着いたところでタイミングよくメイが目を覚ました。

 

「こ、ここは……そうだ、バブ! あんたなんてことしてくれるのよ!」

「まあまあ、落ち着けよメイ」

 

 緊張の糸が切れたようにいつものドタバタを早速始めるバブとメイ。

 そんな様子を笑顔で見守りながら、リームはバブ達の少し後ろに横たわるミラノの元に向かった。

 

 —その瞬間

 

 残りの力を振り絞ったアピスの一撃がバブの顔面に向かって放たれる。

 

「危ない!」

 

 その動作に気づいたフィラが咄嗟にバブを突き飛ばす。

 

「あっ……」

 

 アピスの一撃はバブをかばったフィラの頭上をかすめ、ミラノを抱え上げようと座り込んでいたリームに向かって真っすぐ飛ぶ。

 

ドスッ!

 鮮血が舞い上がり、そして降り注ぐ。

 

アピスの鋭い一撃は、リームの前に飛び出してきた幼い少女の背中を突き刺した。

 

「フラノ!」

 

 リームは彼女の元に駆け寄り、その小さな体を抱える。

 

「ちっ……」

 

 最後の一撃が失敗に終わり、これ以上の追撃は無理だと悟ったアピスは仕方なく時空転移した。

 

「結局、私は「ミラノ」の呪縛から逃れることができませんのね……」

 

 フラノは瞳をつぶり、自嘲するようにふふっと笑う。

すると突然彼女の体は青白い光に包まれ、拡散した。

 光が止むと、そこにはミラノと同じ髪の色、同じ瞳の少女がいた。

 

「……やっぱり「幻惑の術式」だったのね」

 

 ヴィードを片づけたユリナがかつかつとヒールを響かせながらようやく登場した。

 

「幻惑の……なんで解けたの?」

 

 メイが不思議そうに問う。

 しかしユリナは難しい顔をしたまま答えなかった。

 

「私が……死ぬか致命傷を受けたときに解術するように解除キーを埋めていましたから……」

 

 フラノールは力ない声でメイの疑問に答えた。

 

「そんな……! 助けられないの?」

 

 メイはユリナの腕をつかみ、ゆさゆさとゆする。

 ユリナはなおも難しい顔のまま俯いていた。

 

「アホかお前、致命傷の意味わかってるのか?」

 

 バブがメイに冷たい目線を送ると、メイはその瞳に涙を浮かべた。

 

「あなたは本当に、不思議な人ですのね……」

 

 目をつぶったまま静かにフラノールは答えた。

 その顔にはあの全てを否定するような冷たい瞳は無く、ただ安らかな笑顔だけがあった。

 

「ううっ、私は……もう誰かが目の前で死んでしまうのが嫌なだけよ!」

 

 ぐずぐずと泣きながら崩れるメイをユリナが優しく包むように抱く。

 

「結局……確定時間を覆すことはできなかったのですね……」

 

 フラノールが自嘲するようにつぶやく。

 まるで、全てを失った悲しみも、強く誓った決意も、全てがとめどなく溢れる血と共に流れていくようで。

彼女の最後の独白を、リームは黙って聞いていた。

 

「にい……さま……最期に、お願いがあるんです」

 

 フラノールは最期の力を振り絞り、もうあまり見えていないと思われる瞳を開くと小さな声で囁いた。

 

「私を、呼んで……その声で……」

 

 空をつかむように上げるフラノールの弱々しい手をしっかりと握りしめ、リームは優しく微笑んで言った。


「おかえりなさい、ミラノ」

 

 本物の蔓延るこの確定時間で、たった一人孤独に生きてきた偽物の、一番欲しかった言葉—……

 

 フラノールは満足したように微笑み瞳を閉じると、そのまま兄の腕の中で息を引き取った。


 

***


 

 ここはカルディア教会墓地。

 フラノールの亡骸は他の教団関係者と同じようにこの地にひっそりと埋葬された。

 彼女の死は教会関係者の中でも最上位のものしか知らない。

 こんなことが公になってしまってはカルディアは混乱してしまうからだ。


 真新しい彼女の墓の周りには、喪服に身を包んだフィラ、バブ、ユリナ、リーム、メイの五人が佇んでいた。冷たい雨がしとしとと降り続き、五人の肩を濡らしてゆく。


「これで、よかったのでしょうか……」


 フィラはやるせない表情で今しがた新しく作られた墓を眺めていた。


「むしろこうなる以外の道は無かったと思うが……」

「ひどいわ!バブ!」


 冷静に分析するバブにメイは食ってかかった。


「まあまあメイさん落ち着いて」


 そんなメイをリームが窘める。いつもの光景だった。


「フラノを救う方法、無かったのかしら……」


 メイは彼女の墓に手向けられた花を見つめながら力なくそう言う。


「仕方ないですよ。彼女とは向かう道が違いすぎましたから」

「あんたも酷い男ね。違う次元とは言え妹が死んだっていうのに」


 あははと困った笑顔を浮かべながらいつもの調子で笑うリームに、メイは呆れた声で返した。


「メイ、埋葬も終わったしそろそろお開きにしましょう」

「それもそうね」


 湿っぽい雰囲気が苦手なメイはユリナの提案を快く受け入れた。

 フィラ以外の四人は、それぞれの帰る場所に思い思いに散っていった。


 全員が捌けたのを見計らうと、フィラはポケットにしまっていたラベンダーのコサージュを取り出した。

 彼はその小さな遺品をそっと墓に供える。 


「ユリナ様はああ言われますが、やはりこの教会の神はフラノール様だと私は思うのです。世界を想い、憂い、救おうとするその心は、子供のころから私が敬っていた神そのものですから……」


 先ほどまで降り続いていた雨はいつの間にか止み、木々に囲まれた集団墓地に心地よい風が吹き抜ける。

 墓にできた水たまりは差してきた日の光にキラリと輝き、顔を出した青空には清々しい虹がかかっていた。






 

 いくつもの「ミラノ」のなかで、たった一人立ち上がった「フラノ」

 本物が蔓延るこの確定時間で、彼女は確かに一人の青年の神となった。


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