第9話 フラノール

 ポタリ、ポタリ。

 

 水の滴る音がする。

 外は雨でも降っているのだろうか。

 暗闇のなかにぼんやりと浮かぶ一つのカンテラ。

その淡い光は周囲に乱雑に積まれている本の山と、それを読み漁る一人の幼い少女をゆらゆらと照らす。

 

「フラノール様!」

 

 突然一人の男が勢いよくドアを開け、少女の名を大声で呼ぶ。

 

「何でしょう」

 

 鬱蒼とした夜の静寂を破られ、フラノールは恨めしそうに本から目を離しゆっくりと男に目線を移す。

 

「『ミラノ』を捉えました。もう暫くでこちらに届くらしいです」

 

 男の言葉を聞くなり彼女は先ほどまでの何事にも興味が無いような冷めた顔を消し、耳まで裂けるような笑みを浮かべる。

「よくやりましたわ! はやく、はやく私のもとへっ!」

 

 彼女は興奮し、男の腕を強く握る。

 

「フ、フラノール様、い、今しばらくお待ちを……!」

 

 男は慌ててフラノールにそう言い嗜める。フラノールは逸る気持ちぐっと抑え、男の腕から手を離す。

 

「そ、そうですわね。私、少し外を歩いてきますわ」

「フ、フラノール様……!」

 

 男は彼女に対してまだ何かを言っているようだが、彼女は聞きもせずにさっさと部屋を後にした。

 

 ついに「ミラノ」が……手に入った!

 フラノールはスキップを踏みながら意気揚々と廊下を歩く。

 

 ドンッ!

 

「痛っ……!」

 

 頭の中がミラノのことで一杯だった彼女は、正面からやってきたメイドと思い切りぶつかった。 

お互いに尻餅をつき、地に手を付きながら立ち上がる。傍にはメイドが持っていた食事が無残にも散らばっていた。

 

「申し訳ありませんわ。お怪我は無くて?」

 

 先に立ち上がったフラノールはメイドに手を差し出す。

 

「いえ、とんでもないです、フラノール様!」

 

 メイドは慌てて一人で立ち上がり、フラノールに深々と礼をする。

 

「この食事は……?」

 

 フラノールが散らばった食事を指差しメイドに尋ねると

「捕虜の方の分だったのですが……。片付けてからもう一度作り直します」

 

 メイドは困ったようにそう言って掃除道具を取りに行こうと踵を返す。

 

「お待ちになって。捕虜にはこれだけで十分ですわ」

 

 フラノールはかろうじてお盆の上に残っていた食事を抱え上げた。

 

「これは私が持って行きますから、あなたはお掃除だけお願いしますわ」

 

 フラノールは満足そうにそういうと、メイドは呆然としたまま生返事をした。

 放心状態のメイドをしりめに暫く歩き続けると、彼女は一つの扉の前で歩みを止めた。

 

 コンコン

 

「入りますわよ」

 

 何も持っていない左手で丁寧にドアをノックする。

 彼女はその手で複雑な陣を描くと、扉は反応するように青白く輝き、拡散した。

内部は殺風景な作りで、簡易ベッドが並ぶ先に机と万能棚、そしてこの部屋には似つかわしくない大きな本棚がいくつかあった。

 捕虜の部屋の割にはかなり広々としている。ベッドの数からして十数人は入りそうな部屋だ。カルディア教会内部にはこういう部屋はここにしか無く、捉えた輩はすべてここに監禁している。

 

「食事ですわ。ちょっとアクシデントがあってこれだけしかありませんが」


 フラノールは部屋に入るとベッドに座って呆然としている捕虜、リームに向かってずいとお盆を差し出した。

 

「まさかあなたが食事を運んでくるなんて……どういう風の吹き回しですか?」

 

 リームは不思議そうにフラノールを眺める。

 

「捕虜の癖に生意気ですわよ」

 

 フラノールはツンとした顔でリームを睨む。

 

「あはは、気に障ったのなら謝ります」

 

 リームは特に悪びれる風も無く笑顔でそう言うと、フラノールから両手でお盆を受け取る。

 ―刹那、彼はお盆を握る手を離し、フラノールの腕を掴み強引に引っ張る。

 

「きゃっ……」

 

 突然の出来事に彼女は体のバランスを崩し、なすがままに押し倒された。

 行き場を失ったお盆はそのまま地へ落ち再び中身をばら撒く。

 

「な、何てことをしますのっ!」

 

 フラノールは強気にそう言うが、圧倒的に不利な状況下にある彼女の瞳は恐怖に染まっていた。

リームは片手でフラノールの手を押さえつけると、もう片方の手をゆっくりと彼女の首元へと伸ばす。

 

「っ……!」

 

 首を絞められると悟った彼女は目を瞑りぐっと堪える……が、彼の行動はフラノールの想像するものとは全く異なっていた。

リームはフラノールの耳元に掛かる髪を払い、その耳の付け根にそっと触れる。そこには数センチに渡る深い傷がしっかりと残っていた。

 

「やっぱり、あなたは―……」

 

 リームは虚ろな瞳でフラノールを見下ろす。対照的にフラノールは先ほどまでの恐怖の表情を見る見るうちに歪んだ笑顔へと変化させていく。

 

「やっと気づいてくれましたのね。会いたかったですわ、「兄様」」

 

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