第7話 手のかかるお姫様

 辺りは夕暮れを迎え、真っ赤に染まった空はやがてくる夜の訪れを静かに待っている。そんな閑散とした空の下、二人の少年少女が地面に描かれた陣を見下ろしあれやこれやと語らいでいる。


「こうでいいんですか?」

 

 手に木の枝を握ったレミはそれで描いたと思われる地面の文様をトントンと軽く叩きながらバブを見る。

 

「……ああ、これでいい」

 

 バブはレミが描いた術式の陣をなぞるように見つめた。

 

「……で?」

 

 レミが次の手順をバブに促す。

 

「陣の真ん中に立って「タルトール王国の術式三『守護の術式』」こう唱える」

「それでこの国全体を守る術式が発動するんですか?」

「ああ。この陣の……この線」

 

 バブは陣の内側にある一つの円を指す。

 

「この線の内側の陣は「守護の術式」……つまりこの陣内を外敵から守る術式だ。そしてこの線の外側からこの一番外枠の円まで」

 

 彼は先ほどの円から外枠の円までを測るように指す。

 

「これが「拡張の術式」……そう、シルファディアの複合術式だ。コイツは一緒に組み合わせた術式の効果範囲を広げる効果がある。つまりこれ利用して「守護の術式」をタルトール王国全体に拡張させようってわけだ」

 

 バブはレミが今描いた陣の内容を一通り説明した。

 レミは話を追うのに精一杯という感じに怪訝な顔を浮かべ頷いる。

 

「「拡張の術式」ってのは魔力依存度の強い術式らしいが、俺に負けず劣らずな魔力のお前ならこの国全体に拡張させることくらいできるだろう。……ああ、ちなみにコイツは付加術式だから開始宣言は要らんぞ、守護の術式だけで良い」

 

 頭の中を整理しながら聞き入るレミにバブは最後の説明を付け加える。

 バブはレミが魔法陣と自分の説明を消化するのを眺めながら、黙って腕を組んだ。

 

「あら、懐かしい術式ね」

 

 突然背後から聞き覚えのある女性の声が響き、バブは驚いて振り向いた。

 

「ユリナか……いきなり現れるなよ。お前ら相変わらずだな」

 

 そこには美しい海の青を靡かせた美女が立っていた。

 布面積の少ない時の街の正装からすらりと伸びる手足はまるでモデルである。

 彼女はユリナ。シルファディアの王族だが、今はわけあって従兄のリームと時の街で暮らしている。

 ユリナ等時の街の連中は、確定世界に時空転移する際あらかじめ現れる場所の座標を決めることができるらしい。

 そのため人の城に勝手に進入し、いきなり目の前に現れたりすることも日常茶飯事となっていた。

 

「まぁ。お前等とはご挨拶ね」

 

 ユリナは頬をぷうと膨らませて不機嫌そうに言う。

 神力のコントロールに自信を持っている彼女は、なんとなくリームと一緒くたにされたことが不満のようだ。

 

「……で?何の用だよ」

 

 バブは不機嫌そうなユリナに構わず問いかける。

 

「あのね、リームとミラノが居ないの。バブ知らない?」

 

 ユリナはさっきまでの不機嫌な顔を不安そうな表情に変え、覗き込むようにバブを見つめる。

 そんな彼女の子犬が縋るような顔を見て、バブは思わず顔を逸らす。

 

「すまん、ユリナ。リームなんだが、敵さんに売っちまった☆」

 

 バブはそういうと苦々しい笑い顔を浮かべ、右手で頭を掻く。

 

「ええええええ!何やってるの! バブ!」

 

 ユリナは体全体でバブの行為を否定するような叫び声をあげる。

 

「ま、まあまあ。落ち着けってユリナ。リームもガキじゃないんだから大丈夫だろ」

 

 バブは自分より少し身長の高いユリナの頭をぽんぽんと叩いた。

 別に忘れていたわけじゃ無い。

 ただ、優先順位が低くて後回しになっていただけだった。

 いくら敵地に一人で囚われているとは言え、仮にも神の卵。

 時空の棒など無くとも有無を言わさず時を止めてくるようなヤツをそう簡単にどうこうできるはずがない。

 余程強力な敵でも出てこない限り大丈夫だろう、そんな思いがあった。

 ――だが、そんなことよりもっと気がかりなのが……

 

「ミラノが……いないだって?」

 

 バブは顔を顰めてユリナに問う。

 

「え?ええ」

 

 怪訝そうなバブの表情にユリナはきょとんとして彼を見つめる。

 そんなユリナに気づいたバブは慌ててその訳を話した。

 

「あ、いや……関係ないかもしれないけどな。リームをよこせと言ってきた女がさ、ミラノにそっくりだったんだよ。髪の色とか違ったけど」

 

 刹那、ユリナの顔色が変わるのをバブは見逃さなかった。

 

「……ユリナ、何か知ってるのか?」

 

 すかさずバブが問う。

 ユリナはバブの問いに答えることなく訝しい顔で暫く考え込んでいた。その様子を暫く見守っていたバブだが、耐え切れずに口を開く。

 

「……言えないことなのか?」

 

 バブはユリナを真っ直ぐ見据える。暫くお互い沈黙が続いたが、観念したようにユリナが口を開いた。

 

「もしかして、フラノールとか呼ばれてなかったかしら」

 

 ユリナの問いにバブは静かに頷く。

 バブの相槌を確認すると、ユリナは少し躊躇い重々しい声で言った。

 

「その娘、アピス兄さんの……部下よ」

「自称勇者の?」

 

 バブは尚も暗い表情で俯くユリナに問う。

 夕暮れ時の冷たい風が二人の間を通り抜けた。

 そんな一時の静寂を割るように背後から叫び声が響く

 

「バブさまー!レミさまー!」

 

 二人の名を呼びながらこちらに向かい走ってくるのはスリラだった。


 彼はレイバーの側近の一人で、主にメイのお世話係……もとい護衛を任されている。

 鼻に掛かるくらい長くボリュームのある白髪を垂らし、その表情は窺い知れない。頭にはベレー帽のような帽子を被り、漆黒のマントを羽織っている。

 

「どうした、スリラ」

 

 バブが訝しい顔でスリラにそう問うと、彼にはめずらしく取り乱してその手に握っている電話を差し出す。

 電話といってもこの世界のそれは電話の形をした魔力を通しやすい媒体であり、通話者同士の魔力によって言葉を交わすことができる念話のようなものだ。

 

「カルディア王国のフィラさんという方からお電話なのですが、なんか……」

 

 スリラがそこまで言うと、バブは彼の手から電話を取り上げ耳に当てる。

 

「もしもし……バブです。例の件なら話は付いたはずですが」

 

 バブは受話器に向かって淡々と話す。

 

「それはこちらの台詞です。一体どういうつもりです?お姫様を教会に特攻させるなんて」

 

 話が見えない。

 バブはフィラの言う意味が分からずに電話を眺め首を傾げる。


「あの、バブ様」

 

 スリラが遠慮がちにバブに小声で話しかける。

 

「何だよ」

「いや、実は……メイ様が見当たらないんです。側近のミルファとミドルカートも。もしかしたら、カルディアに行かれたのかも……」

 

 ……

 …………

 

「はああああ?お前スリラああ!ちゃんとあのサル女見張っとけよ!担当だろお前のっ!」


 バブは自分が他国の重役との電話中だということも忘れ、大声でスリラを叱る。

 

「す、すいません……ちょっと目を離した隙に居なくなられてしまって……」

 

 スリラは両手を左右に動かしながら慌てる。

 

「2人とも、そんなことより電話……」

 

 レミがバブの手に握られたまま放置状態の電話を指差す。

 バブはようやく自分が他国の重役と電話中だということを思い出し、慌てて受話器を耳に当てる。

 

「す、すいません。こちらとしてもメイの行動は想定外でして……今から引取りに来てもよろしいでしょうか」

 

 バブが申し訳なさそうにそう言うと

 

「分かりました。ただしあなた一人、何も武装せずにいらしてください」

 

 フィラは先ほどの騒動がまるで無かったかのように淡々とそう言った。

 

「分かりました。それでは今から向かいますので。失礼します」

 

「お待ちしております。それでは」

 

 バブは通話を終え、受話器を離しスリラに渡す。

 

「……ったく、世話のかかるお姫様だ」

 

 バブは呆れと疲れの混ざったような妙な表情でそう呟くと、この間リームが描いた転移の術式がある場所まで移動した。微かに残るその術式とにらめっこを始める。

 

「少し消えてるけどまだ残っててよかった」

 

 どうやらここからカルディアまでひとっ飛びするつもりらしい。

 

「あの、私も行きたいです」

 

 レミがバブを見上げる。

 

「ダメだ。一人でって言われてんだよ」

 

 バブはレミのほうを向きもせずにそう答える。彼は暫く難しい顔で陣を眺めていたが、やがてうなり声を上げお手上げのジェスチャーをして見せた。

 

「なんだこれ、メチャクチャ複雑な陣だな。こんな消えかけの陣じゃ全然理解できねえ」

 

 元々、空間転移自体が高度な魔力具現化であり、その中でも転移の術式は指定した場所に正確に転移するという最上位の術式である。

 当然陣は複雑であり、更に出発発着点の地形的特徴などを描き入れるためそういった知識も必要である。

付け焼刃で使えるような術式ではない。

 そんなバブの様子を傍で見守っていたユリナが突然バブの前に寄る。

 

「ね、その木の枝、貸して」

「あ?ああ」

 

 バブは不思議そうな表情で陣を描くために握っていた木の枝をユリナに手渡した。

 すると彼女は何の迷いも無く地面にすらすらと陣を描いていく。

 

「ユリナ、お前……!」

 

 バブは驚いたようにユリナと陣を交互に見つめた。彼女が描いている陣は徐々に転移の術式の陣をかたどっていく。

 

「あたしはシルファディア王族なのよ。こんな術式もう暗記したわ」

 

 ユリナは冷たくそう言い放つと、既に脳裏に焼きついている陣を完成させる。バブはそんな彼女を呆然と見つめていた。

メイと同じように単純で、同じように感情に流されやすくて、同じようにちょっと頭が弱い。彼はユリナにそういう印象を抱いていたからだ。

 だが、今此処に居るユリナは冷めた表情で自分も解析できないような陣を淡々と作り上げていく。まるで別人だ。シルファディアが絡むといつもこうなんだろうか。

 

「ねえ、バブ。あたしも連れて行ってくれない?」

 

 陣を描き終え腰を上げたユリナは振り向きざまにそう言う。

 

「はあ?聞いてただろ。一人で来いって言われてるんだよ」

 

 バブは困ったようにユリナに言う。

 

「大丈夫よ」

「何が大丈夫なんだよ」

 

 謎の自信を崩さないユリナにバブは更に困惑する。


「あたしなら、フィラ君も分かってくれると思うわ」

 

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