<後編>もう——言い逃れはできませんわ!!
それにしても、どうして彼のハンカチが必要なのか──その説明はしておかねばならない。
お姉さまから託された名入りの刺繍が入った彼の下着。
名前があるだけでは、「俺のものではない」と言い逃れされる恐れがある。
ならば、同じ刺繍が入った彼の持ち物を見つければいい。
糸の色や刺繍の癖が一致すれば、それこそ動かぬ証拠!
「そうですわ……! 彼のハンカチさえ手に入れれば!」
わたくしはリリィに小声で囁いた。
「自然にその品を借りられる状況を作るのです!」
「お嬢さま、それ……自然にできる気がしないのですが」
「できますわ! 淑女のたしなみをなめてはいけません!」
自信満々に言い切るわたくしなのであった。
* * * * * *
その日以来、わたくしはレオン様の周りを何かとうろつくようになった。
廊下でばったり会えば「まぁ偶然ですわね!」と声をかけ、図書室では「まぁ、お勉強熱心ですのね!」と隣の席に座り——。
結果、完全にうっとうしがられていた。
「……なぜ毎回、お前はそこにいる」
「まぁ、たまたまですわ!」
「毎日たまたまな訳があるか」
冷ややかな視線を向けられても、めげない。
(氷のレオン様と呼ばれる方ですもの、溶かすのに時間がかかるのは当然ですわ)
けれど、そんなある日——。
わたくしは、またしても尾行……いえ、観察中に足を滑らせた。
「きゃっ!」
バランスを崩して転んだ拍子に、膝を石畳にぶつけてしまう。
「大丈夫か?」
不意にかけられた声。
顔を上げると、レオン様が目の前にいた。
「こ、これしき……! だ、大丈夫ですわ!」
強がって立ち上がろうとするも、痛みで思わずよろける。
レオン様は小さく息を吐き、本を脇に置くと、しゃがみ込んだ。
そして、ハンカチを取り出し、わたくしの足に巻きつけた。
「けっこう血が出ている。じっとしていろ」
——その瞬間、時が止まった。
(な、なんと……! こんなことで、あっさりハンカチが手に入るなんて……!!)
(……名誉の負傷、ですわね)
そう思いながらも、痛みがじわじわと膝から広がっていく。
気丈にしていたつもりが、頬が熱くなり、目に涙が滲んだ。
レオン様が、わずかに眉をひそめる。
「痛むのか?」
「い、痛くないですわ……」
虚勢を張ってみせたものの、すぐに「ひっ」と小さく息が漏れ、顔を歪めてしまった。
(で、でも……証拠は……確保しましたわ!)
次の瞬間——。
ぽん、と頭に手が置かれた。
その瞬間、胸の奥で心臓が跳ねる。
「まったくお前は……世話が焼ける」
言うなり、レオン様はわたくしの身体を軽々と抱き上げた。
「え……お姫様抱っ……!!?」
「医務室まで運ぶ」
周囲の生徒たちの視線が一斉にこちらへ向かう。
リリィが駆け寄ろうとしたが、空気を読んで一歩引いてくれた。
胸の鼓動がうるさい。
(こ、こんな手口で女性をドキドキさせるなんて……さすが悪い男ですわ……)
必死に平静を装いながらも、わたくしの頬は真っ赤だった。
こうして、苦労の末に手に入れたレオン様のハンカチ。
角には青糸で“Leon”と刺繍が入っていた。
……けれど、糸の色も文字の書体も、そして端にあしらわれた紋章も——
あのパンティのそれとは微妙に違っていた。
(た、たぶん……使用人が複数いるお屋敷ですもの。
刺繍のひとつやふたつ、違ってもおかしくはありませんわ……!)
わたくしは自分に言い聞かせるように胸にハンカチを抱きしめた。
* * * * * *
季節は流れ、学院は卒業舞踏会の話題で持ちきりになった。
どこの仕立て屋にドレスを注文しただの、どの貴族家の令息に誘われただの——
廊下のあちこちで、令嬢たちの楽しげな笑い声が響く。
そんな中、驚くべき出来事が起こった。
——レオン様が、わたくしを舞踏会のパートナーにと誘ってくださったのだ。
あの“氷のレオン様”が、誰かを誘うなど前代未聞。
周囲は騒然となり、友人たちは口々に羨ましがった。
けれど、わたくしは——断った。
お姉さまを苦しめた男と、誰が踊るものですか。
それが建前。
本音は……もう、これ以上、惹かれていくのが怖かったから。
彼の手の温もりを、まだ忘れられずにいたのだ。
(これでいいんですわ。復讐を完遂して、お姉さまの無念を晴らして……
そして、この気持ちも終わらせるのですわ)
わたくしは心を固め、卒業舞踏会の“断罪”に向けて着々と準備を進めていった。
————————————————————————————————————————————
——そして、舞台は再び、あの舞踏会の夜へと戻る。
「証拠はここにありますわーーー!!」
会場がどよめいた。
掲げられたのは、一枚の絹の……パンティー。
しかも、端には堂々と金糸で“leon”の刺繍が。
(フン。素手で掴むなどおぞましいですわ! 火箸で十分ですのよ!!)
呆然とする殿方たち、悲鳴をあげる令嬢たち。
その中で、わたくしは勝利の笑みを浮かべ、手にしていた火箸を振りかぶった。
「この下着の持ち主はっ……!」
ポイッ。
パンティーが宙を舞い、見事にレオン様の足元に着地。
「きゃああああああっ!!!」
会場中に悲鳴が響き渡る。
「わたくしの敬愛するお姉さまを——辱めたのです!!」
「言葉巧みにお姉さまに近づき、愛し合ったというのに……っ!」
「“君は本命ではない、遊びだった”などとのたまいお姉さまを捨てた、とんでもない悪党ですわ!!」
ざわつく会場。
「そんな……あのレオン様が……?」
「信じられない……!」
貴族令嬢たちの囁きが広がる。
レオン様のもとに、いくつもの視線が突き刺さった。
「ま、待ってくれ……!! 私には心当たりが——」
「やっぱり、しらばっくれるんですのね!!」
わたくしは一歩前へ進み、最後の一手を放つ。
「これでもまだ否定なさるの!? では……こちらをご覧なさいませ!!」
紙袋の中から、火箸でつまみ上げたもうひとつの証拠。
それはレオン様から拝借した——いえ、“お借りした”ハンカチ。
パンティーの横へ、ひらりと投げ落とす。
「ごらんなさいませ!! こちらのハンカチはレオン様からお借りしたもの!」
「そしてこちらの下着にも、両方に同じ“Leon”の名入り刺繍が施されていますわ!」
「もう——言い逃れはできませんわ!!」
わたくしはビシィッと指を突きつけた。
顔面蒼白になっているレオン様。
その美しい唇が、かすかに開いた。
「ちょっと待ってくれ。このハンカチは確かに私のものだ。
しかし、こっちの下着は——私のものではない」
会場にざわめきが広がる。
「この刺繍……我が侯爵家のものとは違う。
私の物には、家紋が入っている」
「そ、そんな……!?」
確かに……パンティとハンカチでは、刺繍の色も文字の形も微妙に違っているとは思っていた。
さらに、ハンカチには侯爵家の紋章が織り込まれていたけれど——パンティには、それがなかった。
(ま、まさか……べ、別人のもの!?)
必死に集めた証拠品で、逆にレオン様の無実が証明されてしまった。
「そ、そんな……そ、そんなはずでは……っ!」
わたくしは膝から崩れ落ちた。
「じゃあ、このパンティの持ち主——セレスティア王立学院の“侯爵家のレオン様”は一体誰ですのーー!?」
震える声で叫ぶ。
すると、会場の片隅からおずおずと声が上がった。
「あのう……わたくし、その下着の持ち主に心当たりがあるかもしれませんわ」
ひとりの令嬢が、おそるおそる手を挙げた。
「ですわよねぇ!!」
彼女は勢いよく振り返り、ある男を指さした。
「セレスティア王立学院の——
会場の視線が、一斉にその男へと向かう。
こっそりと退出しようとしていた、金髪をかき上げる青年。
公爵家のレオナルド・ヴァレンシア。
女子とのトラブルが絶えず、社交界でも有名な“問題貴公子”。
(そ、そうでしたわ……! どうして気づかなかったのかしら……!
レオナルド様は……親しいご令嬢からは愛称の“レオン様”で呼ばれておりましたわーー!!)
「わたくしもあの下着、見覚えがありますわ!」
「わたくしのことも遊びだったのですか!? レオン様っ!!」
次々と令嬢たちが声を上げ、彼の周囲を取り囲む。
場は、もはや断罪どころではない大混乱に陥っていた。
(あああ、なんてこと……! お姉さまを弄んだすっとこどっこいは——レオナルド様でしたのね!!)
「も、申し訳ございませんっ!! レオンハルト様、わたくしの勘違いでーーー!」
わたくしは勢いよく頭を下げた。
が、その瞬間、レオンハルト様に腕を掴まれた。
「ひっ……!?」
ぐい、と引き寄せられる。
(そりゃあご立腹になりますわよねぇえええっ!!)
必死に謝りながら引きずられていくわたくし。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃ!!!」
「許さない」
その低い声が耳元で響き、背筋が凍る。
「ひいいいいい!!」
リリィが駆け寄ろうとしたが、騒然とした場内の中で二人を見失ってしまった。
* * * * * *
気がつくと、どこかの部屋。
背中は冷たい壁に押しつけられていた。
逃げ場のない距離に、レオンハルト様が立っている。
長い影がわたくしの肩を覆い、息が触れそうなほど近い。
「……詳しく説明しろ」
彼は、わたくしを壁際に追い詰めるように立ち、冷たい眼差しで見下ろしている。
「そ、それは……! お、お姉さまの無念を晴らそうと……証拠を集めようとしただけでして……!」
涙目になりながら、わたくしは事の経緯を必死に話した。
レオンハルト様はしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。
「……私は、そのセレスティアという女性を知らない。
それに、私は女性と深い関係になったことは——」
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「で、ですわよねぇ……! どう考えてもスケコマシのすっとこどっこいは、レオナルド様でしたわ……!」
「わたくしと来たら……“セレスティアのレオン様”と聞いて、勝手にレオンハルト様のことだと……っ。
本当に、本当に申し訳ございませんでした……!」
レオンハルト様の表情が、ふっと和らいだ。
「それで……君が私に近づいたのは、本当に断罪のためだけだったのか?
あの笑顔も、涙も……全部、嘘だったのか?」
「最初は……そうでした。
でも……お姉さまの敵と知っていても……あなたのことを想う気持ちは、あったかもしれません……」
唇が震える。
「あなたが、卒業舞踏会のパートナーに誘ってくださったときは……本当は、嬉しくて……」
その瞬間。
レオンハルト様の腕が伸び、わたくしの腰を強く引き寄せた。
「きゃっ……!」
気づけば、壁と彼の腕に閉じ込められていた。
距離が、近い。あまりにも。
泣きそうなくらい嬉しそうなレオンハルト様の端正な顔が、至近距離に迫る。
「……その言葉が、聞きたかった」
低く囁く声に、胸が跳ねた。
次の瞬間、彼の指先がわたくしの顎をくいっと持ち上げる。
(ま、まさか……キスを!?)
心臓が、壊れそうなくらい鳴る。
ぎゅっと目を閉じたそのとき——
唇が降りたのは、まさかの……おでこ。
「ふぁ……っ!?」
変な声が出てしまい、かあああと頬が熱を帯びる。
そんなわたくしを見て、レオンハルト様は小さく笑った。
まるで、愛しくてたまらないというように。
そして今度は、そっと——彼の唇がわたくしの唇を塞いだ。
驚くほど優しくて、けれど抗えないほどの熱を帯びていた。
——ほんの一瞬なのに、永遠みたいに長く感じた。
柔らかくて、温かくて、世界の音が全部遠のいていく。
胸が、ばくん、と跳ねた。
「……なーーーーっ!?」
声にならない悲鳴を上げ、わたくしはその場に崩れ落ちた。
「な、なんてことを……!? く、唇に……なんてっ」
真っ赤になって、レオンハルト様を睨む。
「責任は取ってくださるのでしょうね!!」
レオンハルト様はふっと微笑み、静かに答えた。
「もちろんだ。今すぐ——君に婚約を申し込みたい」
その言葉と同時に、彼はわたくしの目の前で——片膝をついた。
「れ、レオンハルト様……?」
白手袋の指先が、そっとわたくしの手を取る。
そして、その手の甲へと唇が触れた。
柔らかく、慎ましく、それでいて、確かな熱を宿した口づけ。
顔を上げた彼の琥珀色の瞳が、至近距離でわたくしを見つめていた。
その美しい顔が、あまりに近くて——息が止まりそうになる。
予想だにしていなかった言葉が、胸の奥にそっと降り落ちた。
理解が追いつかず、わたくしはしばらくポカンとしてしまう。
やがて言葉の意味が染み渡り、頬が一気に熱を帯びた。
「……っ!!」
心臓の音が、ひときわ大きく鳴り響く。
まさか——勘違いの断罪から始まる恋があるなんて。
思わず、ふっと笑みがこぼれた。
——Fin——
断罪令嬢、証拠品がアレでしたわ! 舞見ぽこ @mymipoko07864
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