第7話 静かな学園生活と、不穏な影

入学式から三日。

 ヴァルモンド公爵家の嫡男、セラフィ・ヴァルモンドの“目立たない生活”は、今のところ順調だった。


「……完璧だ。授業中は発言ゼロ、魔法実技は控えめ、休み時間は読書。昼は木陰。帰りは裏門。これで刺される確率、限りなくゼロ」


 小声で自分に言い聞かせながら、ノートを整然と並べる。

 完璧な地味戦術――のはずだった。


 だが、教室の空気は思いのほかざわついている。


「ねぇ、あれがヴァルモンド公爵家のご子息なんでしょ? 意外と静かね」

「うん、でも横顔、すごく綺麗……」

「まだ“婚約者募集中”かな...?」


 囁き声が背後で飛び交う。

 セラフィは聞こえないふりをしながら、ため息を一つ。


「(……やめてくれ、頼むから。こうやってフラグが立つんだ……)」


 心の中のメーターが、ちらりと浮かぶ。

 全員三十〜四十台の“安全圏”。

 このままノートと教科書にだけ好感度を捧げて生きていくつもりだった。


 ――だが、運命はだいたい、こういう時に笑う。



「今日の座学、ペアを組んで討論形式にします」


 担当教官の一言に、セラフィの背筋が固まった。


「(ペ、ペア……!? いやだ、絶対に女子と組む流れだろこれ……!)」


 そう思った瞬間、背後から柔らかな声がした。


「――あら、偶然ね。セラフィ様」


 金色の髪が陽に透け、淡い香りが鼻をかすめる。

 商業貴族の天才少女、セレナ・カリス。入学式で“目が合っただけ”のはずの少女。


 ……の、はずだった。


「ご一緒してもいいかしら? どうせ席も隣だし」


 微笑む唇の奥に、わずかな独占欲の影が見えた。


「え、ああ……別に、構わないけど」


 セラフィはできるだけ淡々と返す。

 だが彼女の瞳は、一度もセラフィから逸れない。

 その視線には、まるで“何年も探していた宝物”を見つけたような、静かな熱があった。


「(……怖い。いや、可愛いけど……怖い)」


 セラフィの心のメーターが自動的に反応する。

 【セレナ・カリス:好感度 99(上限突破)】


「(なんで上限突破してんだよ……!)」


 セレナは小さく笑い、教官に向き直る。


「セラフィ様は本当に誠実な方なんです。わたくし、以前からそういう人を尊敬していて……」


「(以前!?俺にはそんな記憶がないぞ!?)」


 周囲の女子の視線が突き刺さる。

 セラフィは、心の中でそっと泣いた。



 午後。

 中庭の噴水のそばで一人、昼食をとっていたセラフィの前に――桃色の髪が揺れた。


「セラフィ♡」


 王国エリュシオンの王女、レイナ・エリュシオン。

 入学式以来の再会だった。


「レ、レイナ殿下……お久しぶりです」


「“殿下”なんて堅い言葉、やめて。あなたとは、もう少し親しい関係でしょう?」


 笑顔を浮かべながら、レイナは隣に腰を下ろす。

 彼女の仕草には一切の隙がなく、優雅さの裏に確かな支配欲が潜んでいた。


「この学園でも、あなたを見守るわ。……また、いなくなったりしないわよね?」


「え、いや、その……」


 返答に詰まるセラフィ。

 レイナの指が、ふとセラフィの手に触れた。

 まるで確認するように。

 まるで“二度と離さない”と告げるように。


 【レイナ・エリュシオン:好感度 100(上限突破済)】


「(やっぱり……上限突破してた……!)」


 セラフィは、目立たぬように冷や汗をぬぐう。

 その時、ふと空気がざらりと変わった。



 夕暮れ。

 授業棟の裏手で、小さな魔力の爆発音が響いた。


「……ん?」


 人影はない。だが、壁には“黒い焦げ跡”のような魔法痕が残っている。

 魔術の痕跡を辿ると、確かに高位の闇属性が混じっていた。


「(まさか、また俺が何かのフラグを……?)」


 セラフィは頭を抱える。

 だが、その視線の先で――誰かがこちらを見ていた。


 白い修道服の影。

 今はまだ、生徒ではない“誰か”が、微笑んで消えていった。


「(……あれは、誰だ?)」


 風が吹き抜け、焦げ跡の上に花びらが一枚、舞い落ちた。

『――どうか、罪なき者を導きたまえ』


 白い修道服の影が、光の中で一瞬だけ揺らめき、消えた。

 声の主の名も、姿も、まだ知らない。


 けれどその祈りが、確かに“何か”の始まりだった。


 静かな学園生活は、もうすぐ静かではなくなる。


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