俺の隣はきっと君のモノじゃない
夜亜
第1話 過去におはようを
「お、おはよう…高槻くん」
高校入学、初日。俺は神様を呪った。
高校生活に何の期待もしていない。友情だとか、恋愛だとか、そんなものは敢えて欲しいとは思わない。
俺にとって高校とは、志望大学に入学するためのただのお勉強機関。
だから、この水上高校に入るためにらしくもなく俺は受験勉強に熱中した。水上高校の偏差値と大学進学実績は県でもトップで、他とは一線を画している。ここに入るだけで、将来はかなり素晴らしいものが約束される。
そして、俺はこの高校に進学することを目の前の彼女に一度たりとも言った覚えはない。もし言ったら、高確率でこの高校に進学するように彼女は猛勉強するだろうと思っていたからだ。
だけど、俺が言おうが言うまいが、中学の頃の偏差値的に、彼女にこの高校は難しかったはずだ。だから、慢心していた。
なのに、ここに居る。
そう、恐ろしいほどにこの女は運がいいのだ昔から。
俺が過去に彼女の恋人なんかになってしまったのも、そのせいだった。
元カノーーーー大宮花音は、ぎこちなく笑う。所在なさげに、くるくると長いストレートヘアを指に巻き付けながら、呆然としたままでいる俺を見上げた。
綺麗な二重の瞳が、静かに見ている。
上目遣いのようなソレに、俺が絆されていたのは過去の話だ。今では面倒だとしか、思いようがない。
俺は仕方がないので、鞄を机の上に下ろす。
何で、こんなに席が近いんだよ。
入学したてで、お決まりの出席番号順の席だが、俺と彼女の苗字はそれなりに離れてるというのに。
もっと、か行とさ行の人を、このクラスにバンバン入れて、俺と彼女の席を離してもらいたいところだった。
教室中は、入学式を終えてようやく出会えた自分のクラスメイトたちの顔ぶりに、楽しそうな声を上げていた。「はじめまして」の初対面にしろ、「久しぶり」の中学の同級生との再会にしろ、どこもかしこも明るい春の季節にお似合いだった。
彼女とは簡単な言葉も交わすのも億劫だったが、挨拶をされて無視をするのは、いただけない。そもそも彼女も、単なるクラスメイトとして挨拶したのかもしれない。
これで挨拶を返さないなどというガキじみた行動は、ただの自意識過剰というやつだ。
もはや何に対してなのかわからない苛立ちを募らせながら、彼女の方を向く。
正直会いたくなかった、約一年ぶりの元カノに向けて、俺は無愛想な笑顔を浮かべた。
「………おはよう、大宮さん」
「………っ、う、うん……!」
彼女がとたんに分かりやすく、ぱあっと顔を輝かせた。裏表がなくて、すぐに表情に出る。付き合っている頃は、俺はそれを彼女の美点だと思っていた。
でもどうだろう。
そんなあからさまな反応をされると、現在の俺は面倒で仕方がなかった。俺が同じ熱量を返せないと分かりきっていながら、まるで返さなければいけないようにこちらに思わせる、その彼女の笑顔が今では鬱陶しかった。
挨拶はしたんだ。最低限の礼儀は果たした。
俺は斜め前の席に居る彼女を無視して、自分の席の椅子を引いて、腰を下ろした。
鞄から小説を取り出すと、彼女がまだ俺をじっと見たままなことに気付いた。
放置しておこう、と気にせずページをめくったとき、彼女が俺の席の前に、しゅぱぱ!と立ちはだかった。
彼女は、スマホを胸の前に握りしめている。
その手は僅かに震えていて、きゅうとスマホは彼女の胸の膨らみの合間に埋まっていた。
「あの……高槻くん……っ」
「……何?」
俺はどこまでも冷め切った人間だった。いくら気まずい元カノ相手だからって、何やら不安そうな目の前の相手に、こんな仕打ちをしたりはしないだろう。
彼女の瞳に織り交ぜられた不安の色が濃くなっていく。それでも彼女は瞳を閉じて、浅い呼吸をした。
そして、俺に言う。
「わた、私……っ、お願いです、連絡先……もう一回、交換してほしいの!」
スマホを手に持ってた時点でそのお誘いをしてくるだろうとは、察しがついていた。
別れた後に俺は、彼女の連絡先を綺麗さっぱり消してしまった。それを彼女は、どういうわけか復活させたいらしい。
俺の答えは、明白だった。
「嫌だ」
「……っ、…」
迷う余地すらなく一刀両断した俺に、彼女は桜色の唇を噛んだ。悲しそうに睫毛を伏せた。彼女の手は、先ほどよりずっと震えていた。
もういいだろ。こんな男に執着するのは諦めて、他にいい奴探してくれよ。君なら引くて数多だろ。諸手を挙げて、立候補してくれるさ。
「……お願い……」
「……え?」
「おおお、お願いしますっっ!!!!お願いだからもう一回私と連絡先交換してくださいっ!!!せめて、せめて、っ……!連絡の手段だけでもぉ…!!お願いっ、遼河くん〜〜っ!!!お願い……っ!!お願いします遼河くんーーーー!!!!」
「………は、ちょ、おい…っ」
ざわざわ、と教室中の視線が俺たちに集まる。何だ何だと、声を顰めて訝しげに眺めていた。
それはそうだろう。花音はスマホを両手に持ったまま、俺の机に額をくっつけて、わんわんと涙ながらに、俺に懇願をしていた。
「おい、大宮さん?恥ずかしいからやめていただけると……」
「うわ〜ん、うう、お願いしますぅ……どうか連絡先交換してくだはい……」
「………それは…ちょっと……」
「お願い……お願い、遼河くん……」
クラスメイトたちは、おおよその事態を把握して、再びのざわざわ。
女子なんかはひそひそと口元に手を当てて、俺を冷たい眼差しで見ていた。
「あの子可哀想……ただ連絡先交換して、ってだけなのに、あんな拒否るとか…」
「冷たすぎ……連絡先くらいで、フツー泣かせる?」
「あんな可愛い子が誘ってるんだから……素直に応えてあげればいいのに」
ああくそ、俺の味方は居ないのか?
この女がかなり容姿に恵まれているせいで、俺が完全に悪者のような構図になっている。
昔からこうだ。俺がいい返事をしなかったら、周りを巻き込んでは自分の要望を叶えようとする。その上その行動に無意識なのが、なおのこと恐ろしく、始末に負えない。
冷たいのは認めるが、こちらにも事情というものがある。俺はもうこの女とのことは、過去のこととして捉えているし、今後一切関わるつもりはない。連絡先を教えようものなら、彼女のお得意のメッセージプレゼントが連日俺を襲ってくるに違いなかった。
この美少女を扱うのがどれだけ大変かを、君たち新入生は知らないだろ?
付き合ってる間にこの女はどれだけでも俺を束縛して、ストレスで俺が倒れた。
もう二度とあんな思いをするのはごめんだ。
「……お願い、遼河くん」
彼女はそこでようやく顔を上げた。こすりつけていた額は赤くなっていた。目尻には涙が浮かんでいて、長い睫毛の先に雫が乗っている。
泣きべそをかいて、俺に乞うように、花音は俺に自分のスマホを差し出した。
いくらでも無視してやろうと思った。
花音と付き合っていた散々な過去による大義名分と、生来の冷たさで、俺は彼女に拒否を突き出すつもりでいた。
だが、俺は今後の学園生活をつつがなく送る上での、ファーストインプレッションはそれなりに大事だと思っている。
なのに、周りの視線が、突き刺すほどに痛い。この美少女は見事にクラスメイトたちを味方につけていた。現在、すべてが、彼女の擁護に回っている。
繰り返すが、俺はこの女を無視する冷たさは持ち合わせていた。
一方で、同時に、衆人環境によって左右される悲しき小市民的一面をも、俺は持ち合わせていた。
ここで断れば、俺の平凡な学園生活に暗雲が立ち込めるに違いなかった。
ああ、くそ。
やるせない思いで、息を吐き出した。
俺は黙って鞄からスマホを取り出し、LINEの画面を開く。QRコードを表示させて、花音の前の差し出す。
「10秒しか待たないからな」
「えっ!?ありが…っ!!待ってね待ってね、お願いだから消さないでね……!!!あ、画面が開かないぃ……!!!」
「……8……7……」
「待ってぇ……っ!!?」
6……5……4…
遅いな。君、慌てすぎだろ。
元々時間が経ってスマホの電源が落ちてたのもあるだろうが、指で上手く操作できてないみたいだし、何より読み込みに時間がかかっているらしかった。
花音はようやく開いた読み込み画面で、急いで俺のQRコードを読み取った。
花音の表情は緊迫したものだった。
それが、ふにゃあと和らいだ。
「……っ、…あ、繋がったぁ!!連絡先繋がったよ……!!」
「……はあ」
おまけの10秒、気付いてるか君?
俺は頬杖をついて、たった今繋がった彼女の連絡先を見る。そのアイコンに映った背景に見覚えがあって、俺は辟易した。
昔2人で行った、最後のデートの場所だ。
俺が彼女に直接別れを告げた場所でもある。
元カレに別れを告げられた日の写真を使ってるって、どういう心情なんだこの女。
俺のことを心底どうでもいいと思ってくれてるゆえの選んだアイコンなら、全然それで構わないが。
「……こ、これから、よろしくね…遼河くん」
「…………」
過去におはよう。
そして、これからずっとさようなら。
俺はごめんだ。
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