公安特殊潜入捜査班
まめだっく
巡り遭いの夜(前編)
3年前。一人の公安委員の変死体が発見された。
場所は小さな教会だった。“変死体”の名のごとく、その前に安置された遺体からは、頭を含め身体の中身が全て抜き盗られていた。しかしながら奇妙なことに、死体は手を胸の前で組まされ、エンジェルメイクもされていた。ご丁寧に白いシーツにくるまれて。それはまるで死者を弔うかのようだった。闇シンジゲートなどの臓器売買目的なら、遺体が出てくることはまずない。そうかと言って、愉快犯による猟奇殺人にも見えなかった。誰が何のためにやったことなのか。事件は未解決のまま月日が流れる。
20××年。
人工知能を搭載したアンドロイドが普及し、街中のいたるところで活躍する時代になった。大きさも飛行機程ものからマイクロチップ程のものまであり、人型・ペット型など多種多様な形をしている。それらは様々な分野で活用され、最早、アンドロイド無しでは人間社会は成り立たない程普及している。
そんなハイテク社会には無関心の男-名は
翔琉は自分のアパート近くまで差し掛かった時、ゴミ捨て場に妙なものが置いてあるのが目に入った。青白い街灯の下、よくよく目を凝らすと女型のアンドロイドが見えた。誰がこんなところに捨てたのか、そもそも燃える・燃えないゴミと同じ類でいいのか。
(俺には関係ない)
通り過ぎる際にちらっとそれを視界に入れる。
ドクン
自分の心臓が一つ大きな鼓動を打ち、家へ向かう足が止まった。ゴミ捨て場の方へゆっくりと歩を進め、腰を屈めてアンドロイドに手を伸ばす。顔にかかった髪をかき上げてやる。心臓の音がやたらとうるさい。
(ああっ!君は・・・)
顔を見た時の衝撃を何と表そう。様々な感情が渦巻く中、ただ驚きよりも懐かしさの方が勝っていた。翔琉は考えるより早くそれを抱きかかえた。異様な冷たさが腕からひしひしと伝わってくる。端から見れば酔いつぶれた女性を介抱しているように見えるだろうか。そんなことをぼんやりと思いながら、壊れ物を扱うように大事にそれを抱え、急ぎ足で慎重に部屋へ運び込んだ。
ドアを開け、靴も脱がずに部屋へ上がる。それをそっとソファに寝かせると右腕がだらりと床に垂れた。己の心拍数は上がったまま、心臓がまだうるさく鳴っている。背中をつーっと一筋の汗が流れた。
女型のアンドロイドは電源が切れているようで、うんともすんとも言わない。ぐったりとしてソファに横たわっている。顔は少し汚れていて、体にかすり傷も見える。
「北斗」
ぼつりと名を呼ぶ。アンドロイドは反応しない。自分の声が虚しく部屋に響いただけだった。優しく頬に触れてみる。やはり冷たい。そうだ。あの時の彼女も冷たかった。
「どういうことなんだ・・・」
訳が分からない。頭の中の整理が追い付かない。ただ、記憶の中の彼女が優しく微笑む。
その声は『翔琉君』と自分の名前を呼んだ。
スマートフォンを取り出し、久しく連絡を取っていない名前をタップする。数回のコール音の後、相手方が電話に応答した。少々不機嫌な声だったのは否めない。時刻はすでに夜の11時半を過ぎている。
「
『あなたからそんな電話が来るなんてよっぽどのことなのね』
「ああ。女型のアンドロイドを拾った」
昔からの知り合いで、アンドロイドオタク(でも実はちゃんとしたアンドロイド研究者)である雪奈は、翔琉の部屋に入るなり驚きで固まって動けなくなった。目の前に死んだ知り合いと同じ顔をしたアンドロイドが横たわっているからだ。
「え、いや、どういう・・・」
ちらっと翔琉を一瞥するとこう言い放った。
「ついに、そっちに手を出したか」
“そっち”というのは、恋人用や性欲処理用のやつのことを指しているのだろう。
「それが必要ならとっくに手を出している」
そうだよね、あははと渇いた声を出して彼女は笑った。だが、すぐに真剣な顔に戻るとアンドロイドをくまなく調べ始める。
雪奈による簡易的な検査は30分ほどで終わった。
「製造Noも、メーカーも所属が分かるものは何もない」
「違法か」
「うん。しかも、ヒューマノイドに間違いない」
それは、本物の人間の脳を使用したアンドロイドのことである。生命倫理的な観点から、一部を除き製作が禁じられている代物だ。
「どこのものか見当は付くのか」
「ないわけではないよ。似ているアンドロイドは知っている」
もちろんヒューマノイドではないが、この精巧過ぎる作り方には見覚えがあった。少しばかり眉間に皺を寄せた雪奈に翔琉が何かを察する。
「公安絡みだな」
「うん。ある事件現場にあったものと酷似している」
彼女は公安に所属してはいないが、公安の委託先である研究所でドクターをしている。そのため、事件などでアンドロイド絡みになると、頻繁に翔琉たちと関わっていた。
「俺にしゃべっていい内容なのか」
「元公安の、それも特殊潜入捜査員が何を言ってるのさ」
翔琉はそれを昔の話だと切り捨てた。今は昔話に花を咲かせている場合ではない。それはもちろん彼女も心得ている。
「で。これからどうするの?」
「決まっているだろう。再起動させる。そのために君を呼んだんだ」
元の場所に戻すことも、ましてや警察に届け出ることもしない。
翔琉の返答に、雪奈の目が子供の様に輝いた。そうこなくっちゃっと張り切っている。彼女も危ない橋を渡るのには慣れているし、違法うんぬんよりも興味が勝る。細かいことは後に考えるタイプなのだ。
雪奈はアンドロイドの口の中に指を入れ、舌の裏にある起動スイッチを押す。アンドロイドに目立った変化は表れない。翔琉が訝しい表情をする。
「・・・おい。何も変わらないが」
「少し待ってよ。ヒューマノイドは脳を動かすために体温を36度近くまで上げる必要があるの。電源が落ちると脳を一時的に仮死状態にするために、体温を5度以下に下げるから。それでも・・・」
雪奈はアンドロイドを見つめたまま一度言葉を切る。
「再起動して脳がきちんと機能するとは限らない」
ヒューマノイドは倫理的な観点からもだが、その維持管理が非常に難しいためほとんど製作されない。その上、一度電源が落ちると再起動しても元の状態に戻る確率は低い。このヒューマノイドが無事に起動するかは神頼みでしかないのだ。だが、翔琉の強すぎる想いであれば、神の領域へ足を踏み入れることが可能な気がしてならない。無論、研究者としては是が非でも復旧させたい。
しばらく無言の状態が続いた。期待と不安が織り交ざる中、アンドロイドの脇に差した体温計は、ようやく35度台を表示している。
「だいぶ上がってきた。もう少しだ」
雪奈の声からは興奮が抑えられない様子が伝わってくる。嬉々として違法であろう行為に手を染め、しかも楽しんでいる。昔から変わらないなと、翔琉はどこかほっとした。そして、自分もまた同じように期待しながら、不安にも似た落ち着かない気持ちが体の中をぐるぐると巡っているのに戸惑う。
君はあの『北斗』と同じなのか。それとも他人の空似なのか。いや、俺の『北斗』であって欲しい、そう願いたいのかもしれない。
その瞬間はすぐにやって来た。
アンドロイドは重そうな瞼を薄く開くと、焦点の合わない目でじっと天井を見つめる。
「やった・・・」
雪奈にしては遠慮がちな小さい声で喜びを言葉にする。アンドロイドが声のした方に顔を向けた。
「 」
掠れるような小さな声。それは何年も前にずっと耳にしていた声と同じだった。翔琉の心臓がまたドクドクと大きく脈を打ち始め、体の中を巡っていた不快な感情が出口を見つけたかのようにすーっと消えて行く。
「え?なんて言ったの?」
雪奈が腰を屈めアンドロイドの顔に自分の顔を寄せる。
「 」
口の動きはさっきよりはっきりしている。が、音は伴わない。しかも、その瞳は近くの雪奈ではなく後ろに立つ翔琉を見ている。
「待っていろ」
翔琉は鞄の中から小さなビニール袋の包みを出す。
「なになに?この子が何て言ったか分かったの? ていうか、それ・・・」
「金平糖だ」
「そっか!ヒューマノイドは脳の活動のために多量の糖分が必要なんだった。あと、それを運搬する水も!」
翔琉は床に膝をつき、金平糖を一つつまむとアンドロイドの口に入れる。弱々しい口の動きだが、カリっと金平糖が砕ける音がした。
「もっと」
相変わらずあえかな声だが、確かに聞こえた。もう一つ口の中に入れる。
「翔琉、水も」
雪奈がコップを差し出す。
「まだ起き上がる力が無いから」
その先は言われなくても分かった。翔琉は自分の口に水を含んでアンドロイドに口移しする。生温かい感触に心が沸き立った。過去に引き戻されたような懐かしい錯覚に陥る。水を飲むため、ゴクンと彼女の喉が鳴った。その様子に我に返ると、彼は黙々と金平糖と水の投与を続けた。
「さてと。回復したところで、君の話を聞きたいんだけどいいかな」
雪奈がアンドロイドに話しかけると、彼女は翔琉の方を向き、まるで許可を求めるかのように見つめる。翔琉がうなずくと、彼女は雪奈に顔を向けて首を縦に振った。
「名前は分かる?」
「北斗」
翔琉と雪奈は顔を見合わせる。それはある程度予想していたことでもあったが、いざ現実となると戸惑うものだ。
「それは、君の名前?それとも、その脳の持ち主の名前かな」
「両方・・・だと思う」
「そう。じゃあ、リセットする前の記憶はある?」
「以前の情報は保護されている」
「北斗は何者なの?」
「詳しくは言えない」
「造られる前の記憶はあるの?」
「・・・」
彼女は黙ったまま再び翔琉を見る。眉を八の字に下げ、とても困った顔をしていた。
「分からない。でも、あなたのことは知っている。メモリーに情報が無いのに」
脳の記憶は生きている。そして、彼女は間違いなく『北斗』なんだと翔琉は確信した。あの日、教会の前で棺に入った姿を最後に会えなくなってしまった君が、今、目の前にいる。火が灯されたように、懐かしい感情が心にぽっと蘇る。
彼女はそんな翔琉の心の内を知る由もなく、おもむろに立ち上がった。
「行かないと」
「どこへ?」
雪奈もすかさず立ち上がり、アンドロイドの前に立ちはだかる。
「助けて頂いたあなたたちを巻き込むわけにはいかない」
そうは言いつつも、強行突破はしない。戸惑いから焦りの表情に変わった彼女は、両手を広げ通せんぼをしている雪奈の前でおろおろしている。翔琉はそんなころころと変わる表情に笑みが零れそうになった。彼女のこんな様子をまた見られる日が来るなんて思いもしなかったから。
雪奈が冷静に彼女を説得し始めた。
「ねぇ。君が違法なアンドロイドであることは知っているし、君から情報が漏れるのを恐れて、製作者側が私たちを抹殺しようとすることも分かるよ」
「そこまで分かっているのなら尚更」
「そう。尚更、君を行かせるわけにいかないさ。 ね、翔琉」
同意を求められた翔琉は静かに頷いた。
「ああ。事情が何であれ、俺は君を手放すつもりはない」
ヒューマノイドの腕を引っ張って自分の腕の中に閉じ込める。ああ、やはり温かい。涙が出そうだ。ぎゅっと力を込めると彼女の体が少し強張る。でも、抵抗はされなかった。
「行けたければ俺を倒せばいい」
『北斗』にはできないと分かった上で言ってやる。
「話せる範疇でいい。君の身の上話を聞かせてくれ」
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