スライム拾ったら人生変わった
轟イネ
第1話 スライム
教師が言う。
「ですから、魔滅歴1998年に魔力運用の――」
そこでチャイムが鳴り響いた。
教師は説明を中断されたことで不機嫌そうにしつつも、「終わりです」とだけ告げて資料をまとめ始めた。
生徒一同は安心した様子で、一斉に空気を弛緩させてたわいない会話に興じる。
そのような中。
教室の最前列。黒と白の混ざった長髪の少年だけが、いっそ表情を緊張させていた。青ざめてさえいる。
彼にとって休み時間とは……地獄の別称だった。
「おい、
「っ」
びくり、と名字を呼ばれただけで肩が跳ねた。なるべく事態を長引かせようと、ゆっくり振り返ろうとした時だった。
突如、後ろから伸びてきた手が、強引に少年――形里ムガイの前髪を掴んできた。
『お前、掴みやすいように髪伸ばせ、良いな?』
かつての記憶が蘇ってくる。
髪を掴まれたムガイは、その勢いで汚い教室の床にまで引き摺り倒された。咄嗟に後頭部を魔力で防御したが、遅れていれば……どうなったか。
がつん、と後頭部が床と激突し、周囲の机と椅子がはね飛ばされる。
教師は見て見ぬ振り。
クラスメイトたちはザワザワと騒ぎ出すが、いつものことなので冷笑をムガイに注ぎ出す。そのざわめきに晒されながらも、ムガイは天井方向を見上げる。
そこにいたのは端正な顔立ちの、耳の長い、緑髪の少年。
エルフの男子。
優等生。この魔法学校の中でも歴代最高の――男子生徒にしては、という但し書きはつくものの――魔力量を保持する男子生徒だった。
せっかくの顔面を醜く、加虐に歪めてその生徒……
「ちょっとさあ、金、貸してくんね? お前、親死んで金だけはあるんだろ?」
「……今、財布、持ってない」
「電子で送れや」
「…………おととい、園くんにケータイ壊されたじゃないか」
「あ? 壊された? あ? オレが悪いわけ? 違うよね? お前がどんくさいから、勝手に壊したんだよね? あー、お前みたいなさ、他責思考っていうの、やめたほうが良いよ。人生おわるから」
けらけら、と笑いながら園の足が、長い前髪ごとムガイの顔面を踏みつける。
「あー、ごめ、もうお前の人生おわってっか? ゴミ親とおんなじーじゃーん」
そう踏みつけてくる園の隣で、少女が面白そうに笑い出す。
「園くん、マジおもろいー」
「だろ、ミミミ。オレ、将来お笑い芸人になろうかな。ま、オレみたいな優秀な奴がなる職業じゃねえよな! やっぱやめた」
「ぎゃは、えぐいえぐいてえー」
嗤う少女の名は
今は園の背中にしな垂れかかりながら、ムガイを害虫でも嫌悪するような目で見る。かつての仲のよろしかった時の記憶は、今ではまるで嘘のようだった。
「とりま、金、金、金えー。ATM行って来い。ダッシュな」
おっとり起き上がって、ムガイは言われるままに校内ATMへと走る。鼻血が垂れている。ポケットからハンカチを取り出し、抑えながら走った。
昔は違った。
もっと抵抗する意志もあった。けれど、抵抗すればするだけ攻勢が厚くなるだけ。五人ものクラスメイトたちに押さえつけられ、爪を数十枚ほど剥がされ、前歯をペンチで抜かれて以降、もうムガイに抵抗する余地は許されなかった。
明るく正義感に溢れる少年は、あの日に殺されてしまった。
「なんであの日」
思い出すのは大昔。
高等部に入ってから二ヶ月のこと。
どうしてあの日、あの時……うっかりムガイは――園に、
「
▽
激突した。
ほとんどパニック状態で廊下を駆けさせられていたのが原因である。いつも過剰に虐げられているムガイの脳は、ほとんど回っていない。
激突相手の銀色の髪が、ふわりと揺れる光景は映画の一幕じみた絵となっている。
「あ、ご、ごめんなさいっ」
「……」
衝突の相手はエルフの少女だった。
その名はこの学園に通う者ならば誰でもご存じであろう。男子よりも基本的に魔力量の多い女子の中でも、飛び抜けて魔力に優れ、何よりも異常なまでの美貌を誇る少女。
すらりと高い背。
大きすぎず、決して小さくもない、たしかに制服を押し上げる胸元。くい、と細い腰にほどよい肉付きの下半身。総括してスタイル抜群。
転倒した少女の太ももは目に眩しいほどに白く。
思わず視線は太ももを這い上り、その向こうにあるスカートの内部へと向かう。太ももに負けぬほどの白。
ただし、可愛げはなく、なるほど美術品を観覧したような気にさせられる。
目を逸らす。
見てしまった。
「……」
ぎろり、とエルフの少女――
かと思えば、白手袋越しの手によって頬を強く張られていた。
魔力による強化も込みでの一撃は、明確に脳を揺さぶった。
リノリウムの上を滑るように転がり、ムガイはまた鼻血を飛ばした。
吐き捨てるようなフレーズが投げつけられる。
「ほんとうに気持ち悪い。人風情が私に触れるなど。ほんとうにほんとうにほんとうに気持ち悪い」
聖アディーネ。
最優秀の魔法使いであり、生粋のエルフとして差別主義。あの園ゴムルの恋人であるらしいことも手伝い、ムガイのことを蛇蝎の如く嫌っていた。
囁きが聞こえてくる。
学校中から。色々な声が。こんな時でもバッシングを与えられるのは、完璧たる聖ではなく、劣等者たるムガイである。
「あいつ、まだ学校にいたんだ」「はやくいじめ殺されろよ」「自殺したらニュースになるくね? インタビュー考えとこ」「うけんね」「あれ魔力27らしいぜ」「ぷっ、え、それで生きていけるの?」「税金どろぼーじゃん」「前のアレ見た?」「見た」「スク水でしょ。きもかったあ」「犯罪じゃん」「なんで退学になんねーの」「大事にされたら学校も困るんじゃネ?」「でも告発とかされたら虐めてる側やばいんじゃないの」「園家だぜ?」「握り潰せるっしょ」「園家告発した社畜の末路知ってる?」「あいつも消されればいいのにね」「まじきもーい」
吐きそうだ。
吐きそうだ。目眩がやまない。お腹がきゅうと締め付けられる。全身が嫌な熱を持つ。一刻も早くここから逃げ出したい。吐きそうだ。目眩がする。
急いでATMに行ってお金を下ろして、園に渡せば少ないと殴られ。
園は金に不自由などしていないというのに、こちらの金は減っていく一方で。苦しい。それでも学校は辞められない。
亡くなった両親は入学の時、あんなにも喜んでくれた。
『俺たちが出会った学校にお前も通ってくれて嬉しい。生きてくれて、その上、あの学校にも通ってくれて、お前は立派な親孝行者だよ』
その言葉が脳裏から離れない。離れてくれない。
もう親孝行なんてできなくなった両親のために、ムガイは。
それでもお金は減っていく。学費に生活費に、虐めで奪われて。両親の姿や声も、日々の中で摩耗して消えていくような気がした。消えてしまえば、もう生きていける自信がない。
このままでは。
どうやって生きていけば。
もう解らなくなってしまいそうだ。
これが形里ムガイの人生だった。
放課後。
校外の空気に触れた途端、すうと顔の熱が引いていく。涙が出る。長い目隠しのような前髪の下から、黒く塗り潰されたような黒目が覗く。
夕日が目に焼きつきそうだ。
小走りで帰りたいけれど、走っている姿を馬鹿にされたくなく、歩いて帰る。
スーパーで買いだしを行い、帰る頃には日は沈んでいた。
なるべく安い商品を探すべく、長く粘りすぎたのが原因だろう。時間をかけたことにより、校内で半ば動きを停止させていた脳が動き始める。
まるで世界の色が濃くなったような気がした。
手にしているズタボロのエコバッグには、訳あり品で割り引かれた食物が入っている。それが袋の中で揺れていた。母が生前、作ってくれたエコバッグは、事情を知っていたミミミの手により丹念に汚されている。
自販機と電信柱ばかりの道を抜けていく。
今のムガイが借りている住宅はボロい。転生者と呼ばれる勇者とその仲間たちが力を合わせて、魔王と呼ばれる怪物を討伐してから三千年と少し。
勇者がもたらした知識を使い、世界は魔法と科学の世界と化した。
余計なことを、と思う。
もしも、今もまだ魔王が生きていたのならば、世界がネット小説のような初期中世時代の文明度ならば、逃げ出して冒険者でもやって生きていくこともできたのに。
鬱々としながら歩いていれば、ふと、気づく。
数メートル先の自動販売機。
その電子光が照らす下で、
半透明のソレ。
ムガイはそれを本能で「生物」だと断定していた。
危険だ、と本能が訴えてくる。
けれども、ムガイはなんとなく思ったのだ。
「べつに。どーでも、いい、か」
身体は不安がっているが、心は引き寄せられるように
ソレに触れられる距離にまで近づく。
その時だった。
ちょうどタイミングを合わせたかのように、母が手作りしてくれたエコバッグの底に穴が抜けた。食品どもがぶちまけられ、それは足下の「生物」を潰す。
「あ」
だが。
ムガイが反応するよりも早く、その食材たちはソレの中へと溶けていく……
食べた?
食べ物だけではなく、容器ごと。塵一つ残さずに。
その悍ましい光景を目にしたムガイは……口元を痙攣させるように嗤っていた。
ムガイの顔を目掛け、ソレが飛びついてきた。
――これが将来、
三千年前に討伐された魔王の計画は、この時、始まっていたのだ。
次回 血の味
――――――
作者からのお知らせです。
続きが気になる、という感じがございましたら是非お話の「フォロー」と「評価(星つけ)」をよろしくお願いいたします。
かなりモチベーションに関わってくるところです。
一緒に楽しんでいければうれしいです。
それでは今後とも
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