第38話 弱虫ちゃん
◇ ★ ◇ (璃乃視点)
気づいたのは、逃げ場のない真紅の雨——
頭上には暁瑞穂が翼を失ったように宙を浮いた。
「瑞穂!!」
璃乃は手を伸ばすが、届くはずもない。
相棒である瑞穂が無数の赤い弾丸に撃ち抜かれ、上空へ吹き飛ばされたのだ。
耳を刺すような
敵に背を向けることすら
瑞穂の安否は彼女にとって、身の危険を上回るほど大事なことだった。
しかし、璃乃の目に映ったのは——
割れた窓から命の灯を感じさせない、だらんと糸が切れた人形のようにぶら下がる彼の足と、それを伝って滴り落ちる大量の血。
「お願い返事をして!瑞穂!」
返事はなく、璃乃から見える瑞穂の足は微動だにしない。
「あら、死んじゃったみたいね」
その忌々しい声に相棒を背にし、溜まる涙を草原へ散らす。
「瑞穂は死んでなんかいない!絶対に死なせない!」
「だったら、来なさいよ。“弱虫ちゃん“」
ガレインの挑発を今の璃乃は受け流すことは不可能だった。
廃工場で守ってくれた相棒。すれ違っても愛してくれた親友。後ろで抱きしめてくれていた両親。
そして、弱虫だった自分。
「そんなのはもう嫌だ!!」
心は未来へひとりでに進みだす。
縺れる足と地面へ着きそうになる手。
体は過去の自分が
まだ僅かに追いつけない。
蹴り上げた足の裏から草が舞い上がる。
腕と足のすれ違いざま、アイアンが右足に僅かに掠る。
右脚には力が漲り、大地に足跡を刻む。
心技一体とは程遠い彼女は、さらに一歩前へ駆ける。
力みを持て余すように左手を眼前へと伸ばし、指の先まで開かせる。
敵を倒したいからではない。
明日を掴みたいから。
——強くなりたい。
しかし、それを阻もうと口角を吊り上げる者がいる。
ローブに身を包むその者の左腕がスッと伸びたかと思うと、
瞬間、右脇腹の傷の上から複数のナイフで抉られたような痛みと同時に、血潮が吹き飛んだ。
「あぁぁ——!」
璃乃はガレインの足元で転倒をしてしまう。
痛みの正体は恐らく、見えない野犬。
傷の上を狙った周到な攻撃。
噴き出すように流れ出る璃乃の血液がガレインの血だまりと交じり合う。
「良い痛みでしょ?生きてるって、素晴らしいわよね!?」
振り抜かれるガレインの足が璃乃の顔面を捉える。
璃乃の体は衝撃波と共に、ボールのように草原をバウンドさせながら転がる。
「いっ——」
背中を柱に強く打ち付けて、草原へ沈み込む。
右脇腹からは鋭い痛み、右頬と背部から鈍い痛みが璃乃を襲い、まともに呼吸ができない。
視界も曲がり、敵が認識できない。
薄っすらと見えるのは円形の禍々しい光。
【——神とは抽出。秩序の揺らぎに応じて、形の真理を解け。移ろえ——《
欠損した右腕を振り上げた際に零れたガレインの血潮が弾丸として璃乃を襲う。
咄嗟に柱の陰に身を屈める。
「……ッハァ……ハァ……」
柱の端々は破壊され、背後の窓ガラスは次々と割れていく。
そして、聞こえる詠唱。
——このままじゃ瑞穂が、みんなが……
【——《
耳に届くのは、聞きたくもないガレインの狂気じみた声と轟音。
璃乃の頭上からガラス片やコンクリート片が落ちてくる。
ガレインは面白半分で琴宮邸全体に向かって無作為に攻撃を加えている。
その弾幕は徐々に璃乃のいる方向へ集中していく。
破断音は止み、代わりに草を掻き分ける小さな足音が近づいてくるのを感じる。
死が近づいて来るのが、収まらない脈拍が示している。
「つまらないわね。この身体がどれだけ神の器として相応しいか証明にもならないじゃない。さぁ弱虫ちゃん……そこにいるんでしょ!?」
璃乃が隠れていた柱を覗き込むガレインは呆気にとられていた。
璃乃の姿はもうそこにはなかったからだ。
「……ハァ……ハァ……」
弾幕の合間に割れた窓から廊下へ逃げていた璃乃は、呆然と立ち尽くしているガレインの姿を確認し、2階の階段へ向かう。
ひび割れた大理石の廊下には璃乃の血が流れ落ちる。
身を屈め、ガラス片を避けながら歩みを進める。
「瑞穂だったらこんな怪我じゃあ倒れない。諦める訳にはいかない……」
零れた心情が、血となり地面に落ちる。
「……明日香ちゃん!ヒナ!」
明日香とヒナが倒れていた所へたどり着くも二人は見当たらない。
「二人はどこに?痛っ——」
右脇腹の痛みが一段と強くなり、足の力が急に抜けて膝をついてしまう。
——お願い、言うことを聞いて!
立ち上がろうとするも、足は冷たくなっていくだけだ。
【——《血動弾波!!》】
ガレインの錬金術が、中庭から館全体を撃ち抜く。
その弾丸のひとつが、璃乃の左大腿を掠める。
「いっ——」
声を喉で止めようとするも、微かに漏れてしまう。
その声は中庭までは届いていなかったらしく、ガレインに大きな動きはない。
ガレインの無作為な攻撃は琴宮邸に大きなダメージを負わせていた。
大理石はひび割れ、所々が崩落しかかっている。
恐らく瑞穂のいる方も同じような攻撃を受けているのであろう。
必死に足を動かそうとするも、痙攣をしてしまい、自分の足ではないかのように言うことを聞かない。
——お願い!動いて!
その想いが微かに通じたのか、右足が少しだけ動いた。
しかし、大きなガラス片を踏んでしまい、ガシャン——と音を響かせる。
その瞬間——
璃乃は後ろから口を塞がれてしまう。
足元の血に視界が揺れ、ぐるりと頭を振って——肺の奥がキュッと潰れるような感覚に襲われた。
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