第3話 将来の夢 

 入学式が終わり、新入生は各教室へ向かう。

 階段を上り、3階へ出ると、ガラスに反射した太陽の光が、廊下の照明がいらないほど明るく照らしていた。

 すぐ左手にクラス表記で“1年C組”と書いており、今日からここが璃乃の新しい日々を送る教室となる。

 

「はーい、出席番号順で奥から詰めて座ってねー」


 先生の声がかき消されてしまうほど、生徒たちは思い思いに行動をしていた。

 窓際で景色を眺める生徒、知り合いと抱き合って喜ぶ生徒。

 便乗した璃乃も明日香と放課後にカフェに行く約束を取り付けていた。

 

「いい加減にしてねー」


 先生の気の抜けたような声で注意され、ようやく席へ座る。

 

「教室内が落ち着くまで5分かかりました」


 その台詞は、まるで学園ドラマのワンシーンを切り取ったようだった。

 璃乃には既視感として胸の奥でくすぐられるものがあった。

 

「今日は、入学式とオリエンテーションのみだからしっかりと集中してやってねー。まずは自己紹介から。私は担任の佐藤綾子さとうあやこ——」


 高校生活初日は午前のみとなっており、オリエンテーションが始まった。


「今日は皆さんの夢について、まぁ現時点での進路ってことね。それをプリントに書いて下さい。あとで回収するからねー」


 前からプリントが配られるが、案の定「夢ってガキかよ」「進路って早すぎるでしょ」とヤジが飛ぶ。

 

 小学生の時は“夢“だの、“憧れ“などを平然と言っていたが、中学生になると気恥ずかしくって“適当に“や“安定“を口にする友達が増えた。

 実際璃乃もそうで、内心を無視して、『普通に暮らせれば十分だよね』とよく言っていた。

 

「はーい、そこうるさい!」


 佐藤の喝でプリントの文字がハッキリと見えた。

 黙々と将来の夢や進路を書き始める。


「私の夢か……」


 シャーペンを握り、コンッコンとプリントに芯先を当てて璃乃は考える。

 ふと、今朝の夢を思い出した。“私もみんなを幸せにできる魔法使いになりたいな“と。

 素直な気持ちはそれをそのまま文字としてしまった。

 

「あっ……」


 改めて読むと優花の年齢じゃないと見るに堪えない幼い夢だった。

 璃乃は自分でも猛烈なスピードで頬が紅潮していくのが分かった。

 紅潮した頬の赤みを消すかのように消しゴムで幼い夢を消す。


 佐藤は咳払いし、教壇に手をつく。

 

「はーい、じゃあ出席番号順から自己紹介と今書いた将来の夢を発表していってねー」


 提出するだけではなく発表まですることにブーイングが起きるが、佐藤は一切動じない。


「はい、相澤さんからお願いね」


“あい“から始まる出席番号1番常連であろう相澤は緊張のせいか少し手が震えていた。


「私は相澤——」


 この独特な緊張感、先ほど“魔法使い“と記入したことを思い出し余計に璃乃は胸の高鳴りを抑えられなくなる。

 

「次、九条さ——」

「はいっ!」


 声が裏返った。

 反射的に立ち上がってしまい、椅子が暴れるようにガタガタっと音を上げた。

 周りの視線が璃乃へ向かう。

 

「私は九条璃乃です!第2中学校出身です!将来の夢は……ま」


 言葉に詰まる。“ま“って言っちゃった。と絶望しかけるが挽回の一手を璃乃は決める。

 

「まくら職人です」

 

 一拍、静寂。


「「「はっ?」」」

 

 聞いたことのない職業に皆、頭の上に?が浮かんでいた。

 何もなかったのかのように席に座り、次の人どうぞと言わんばかりの表情を浮かべ、佐藤の目を見る。


「はーい、次は——」


 ——乗り切れたはず。

 

 クラスの全員が自己紹介を終えた直後にチャイムがなりオリエンテーションは終わった。


「じゃあ今日はここまでね。明日から通常授業になるから今日は早く帰ってゆっくり休んでね」


 佐藤が帰りのホームルームを締めて、帰りの準備をする。


「なぁ九条だっけ?」


 璃乃の後ろの席の男子がニヤニヤしながら声をかけてきた。


「そうだけど、どうしたの?」


 彼は肩を震わせながら大きめに言う。


「お前将来の夢、魔法使いって書いてただろう!?」

 

「……え?」


 頭の中が真っ白になる。何も言えない。

 周りの生徒が璃乃の方を見てクスクスっと笑い始める。

 

「違うの!あれは——」


 頭のてっぺんから湯気が出そうなほど熱い。

 両手を全力で振って否定をするも周りの笑いが次第に大きくなっていく。

 その中には机にうつぶせ、お腹を押さえている明日香の姿もあった。

 

「私の高校生活どうなるのーー!」


 1年C組の教室内で璃乃の咆哮ほうこうとどろく。

 

 


「魔法使いが夢……」


 廊下で不審な声が姿と共にひっそりと消えていた。

 彼女の新しい日々が始まったその頃、すぐ背後に世界を壊す足音が迫っていた。


 ——その晩の九条家——


「——でね!明日香ちゃんがビシッと決めてすごーくかっこよかったんだよ!」


 目を輝かせながら初登校の興奮が冷めやらない璃乃は、父・仁彦がテレビを見ているのを遮ってまで説明をしている。


「そうか、やっぱり明日香ちゃんが新入生代表だったんだね。あの子頭いいからね」


 テレビの音量を少しだけ下げ璃乃の話を聞くために身を傾ける仁彦。

 

「それで璃乃はどこのクラスになったの?」


「C組!明日香ちゃんと一緒ですごく嬉しかった!」


 お風呂から上がってきた母、まどかは冷蔵庫から二本の缶ビールと一本のジュースを取り出し、二人のいるソファーに座る。


「それでは璃乃の高校入学にかんぱーい!」


 ただ飲みたいだけの口実な気もするが、この日常が落ち着く。


「もうーお母さんったら……ふふ」


 リビングには優花から貰った花が、3人の代えがたい生活にささやかな彩りを飾るように月明かりに照らさせれていた。

 

「おやすみなさーい」


 1時間ほどミニパーティーを行い、明日に備えるため、早めにベッドへ入る。


「ニャー」


 璃乃のベッドの中に入ってくるヒナを撫で、最後に璃乃は「幸せだなー」と一言つぶやきゆっくりと眠りに着いた。


 

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