家庭の証言

鈴木

社会


高校生の頃、私は反抗期すぎる反抗期だった。度合いは最低だった。その最低具合は地の底、いやその更に奥深くにめり込んでいた。最低だった。『人間のクズ』。

まさにそんな言葉が反抗期時代の私にぴたりと当てはまっていた。私の衝動は止められなかった。

そのくらい私の反抗期は最低だった。悪くいうなら“子供の社会的対応の失敗例”だろうか。それくらい私は過激な反抗期だった。


反抗期は大体中学生くらいで終わると思うが、高校生になっても3年間は過激な反抗期だった。親にとっては大変だっただろう。後から考えるとその為に精神科に行った、と言っても過言ではない。精神科に行くたびに出される薬が馬鹿らしく感じていた。酷い時は薬を二日間、あるいは1週間も飲まない時もあった。そういう日もあるほど私は薬に嫌悪感を持っていた。精神科というものに私は嫌悪感を持っていた。「そんなものがなくても私は出来る」と思っていた。精神疾患、その言葉が私のプライドを傷つけていた。今になってはただの“強がり”ではないかと思った。


薬を飲まなかったときにふらついた。強がっていた。が、結局は飲んだ。


中学校では孤独だった。クラスメートの誰とも話さなかったこともある。だが、高校生になったら人と話せる様になった。部活では一年生の時、同期にも敬語を使っていた。タメ口で良いよと言われタメ口にしたがそれはそれで少し喋りすぎだと言われた。


少し話が逸れたがとにかく反抗期すぎる反抗期は高校生になっても止まらなかった。親に『警察署にいつ行く?』と言われるまで発展した時もある。それくらい酷かった。『社会適応の失敗例』。私にはその言葉がぴたりと当てはまっている。


親はよく私を裏切っていた。病院の先生が『もう警察を脅しに使わないように約束した』と言いながら次の日には私に『警察に電話するよ』と脅しを使う。『児童相談所にスマホを預ける?』ともいう。脅し?と聞いたら、脅し。と答える。私はそれで児童相談所が嫌いだった。親の道具に使われる。それがいちばんの信用できない部分だった。警察も児童相談所も親の道具に使われた。それで私は警察にも児童相談所にも信用できなくなった。電話番号を持っていた紙も捨てた。「形式なんて信じない」と思いながら破り捨てた。意味がないと思った。それくらい高校生の私は児童相談所と警察を信用できなかった。

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