23話 合宿審査ライブ『うみのけもの』/鬼灯千尋
客席に座ると、右隣に座ったねねちゃんがふんと鼻を鳴らした。
「まあざっとこんなもんね。あのちんちくりん見た? 結局うちらにびびってたし。あの程度の覚悟で喧嘩売ってくるから痛い目見るのよ。身の程を弁えない、才能がない奴が一番頭にくる」
客席の真ん中に座ったのに、周囲には他にも誰も座らない。みんな遠巻きに私達を見ている。この合宿中ずっとこんな感じだ。みんなちらちら見て来るだけで、振り返るとすぐに目を逸らす。
でも、あの小鈴蘭丸という子だけは、班での練習の時もずっと私を意識して、少しでも多くのモノを得ようとしていた。
「そうかな」
「そうかなって、何言ってるのちーちゃん」
「私、あの子とはこれから何回も戦う気がするの」
手応えだけだけど、私とねねちゃんはこの二次審査で落ちることは無いと思う。
客観的に見ても私達よりクオリティが高いパフォーマンスをした組はないし、珠薊瑠璃さんがいる組を除いて、他にいるとも思えない。
だから、きっと私達はアイドルになれる。
レベル・ゼロに行って、それから事務所内の子と組むことになって、デビューをする。
そうしてこれから〈Colosseo〉を生き抜いていくうえで、あの二人は無視できない存在になる気がするの。
「なんで?」
「私達だってまだまだだでしょ。これからもっと上手くなっていく。そうじゃないの?」
「……そうだけど」
「ならきっと、他の子も上手くなる。あの子もきっとその一人だなって思ったの。ねねちゃんもわかるでしょ?」
『うみのけもの』を選択したユニットのパフォーマンスが始まっては終わっていく。みんな上手いとは思うけど、小学生の頃からレッスンをしてきた私達程の子はやっぱりいない。
私もねねちゃんも、そもそも『スタービーツプロダクション』の事務所内選考を突破して、限りある〈Colosseo〉への応募枠を掴み取ったんだ。
そこらの、ただアイドルに成りたいだけの子に負けるつもりも……負けて良い理由も、一つもない。
「上手くなる子っていうのはさ、努力を辞めない子だよ。私達がここにいるのは、私達が事務所の他の子の誰よりも練習してきたからでしょ」
「…………」
ねねちゃんが腕を組んで口を閉ざすと同時に、審査委員長の女性が、ステージに上がった次にパフォーマンスをする二人を呼ぶ。
「それでは、次。受験番号二百八十三番、珠薊瑠璃さん。受験番号三百十二番、小鈴蘭丸さん。課題曲は『うみのけもの』。良いパフォーマンスを期待しています」
直後、曲が始まる。弦楽器の多重奏に加えて、重くお腹の底に響くドラムが力強くうねる様に鳴り響く。
深蒼のライティングがステージ上の二人を包む中、小鈴さんをステージ中央に残し、珠薊さんが前奏に合わせて踏み出した。
長い足を高く躍動させ、しなやかな鞭のように大きく、鋭く。
静かな滑り出しだった。元々この『うみのけもの』は、物語をモチーフにしたパフォーマンスを行う【Boo! Boo!! Boo!!!】というレベル・ファイブのユニットの曲で、演劇めいたパフォーマンスが特徴的だ。
だから求められるのは、楽曲の根底に眠るテーマへの理解度と、真に迫るパフォーマンスの演技力。
歌やダンスの完成度とは別に、より何を表現したいか、どんな世界観を作り出せるかといった構成力が必要とされる課題曲だ。
だから、思わず息を呑む。
「綺麗」
観客席の中で、誰かがぽつりと呟く声が聞こえた。
そんな呟きが聞き取れるほどに、まるで水の中にでもいるような静寂が、ホール内を満たしていた。
数十秒にも及ぶ長い前奏の中で、珠薊さんは泳ぐ様に踊っていた。
水中でより進むためにはじたばたと水を掻くのではなく、大きく、長く水を押さなければならないように。
背筋と指先を伸ばし、ひたすらに美しい姿勢で、長い手足を繊細に、力強く動かす。
遅れて気が付く。何よりも、その過程で頭の位置が全く上下していない。
重心も決して崩れず、円を描くように踊りながら、その間ずうっと滑らかに平行移動を続けている。だから本当に、魚が海原を悠々と泳ぐ様に見えるんだ。
それこそ、まるで海の中で泳いでいる鯨を水中から眺めているような感覚。
そう、鯨だ。圧倒的な存在感。決して人が触れてはいけない、海の中という神秘に溢れた世界の王。
水族館で魚を眺めるのとはわけが違う。自分よりも何百倍も大きな生命が目の前を遊泳する様に恐怖し、息を潜めなければならないと本能が訴えるのに、見惚れてしまってじっと視線を注いでしまう雄大ないのちの魅力。
陸上で生きる人間の常識なんて通用しない。言葉も、音も届かない。
圧倒的で、巨大な、才能。
「……は? なに、これ……」
隣でねねちゃんが目を剥くのがわかる。
「うっま…………」
溢れ出した純粋な賞賛は、ありとあらゆる理性を置き去りにしていた。
その時、また受験生の誰かが話す声が聞こえた。
「ああ、この子が、〝あの子〟か」
「うん。〝一人だけ上手すぎて、同じ班の子が諦めてリタイアしちゃったっていう〟……」
前奏が終わりに差し掛かり、転調した演奏に合わせて珠薊さんのソロダンスが加速する。
ぐんぐんと大きく伸びる手足と共に連続ターンを行い、ステージ上を激しく横断。でもやっぱり一切重心の位置がブレず、まるで氷の上でも滑っているみたいに美しく踊る。
そんな彼女のことを、誰かが的確に言い表す。
「──化け物だよ」
直後、ステージの端から端までを横断した化け物が、蒼基調の人魚をイメージしたドレスの胸元を握り締め、胸を梳くような美しい高音を放った。
『あぁ────』
一音目から音程をドンピシャで捉えたロングトーン。さっきまで激しく踊っていたのが嘘みたいな発声。
気持ちよさそうなその伸びやかな声が、しかし、〝濁る〟。
『泳げはすれども、踊れはしない、この鱗の足よ、こわれてしまえ
孤独を蹴立てて、こわれてしまえ
運命を踏み鳴らし、こわれてしまえ
わたしはひとに、うまれたかった』
その声に乗った感情の質量に頭を殴りつけられる。悔恨と絶望に満ちた、悲痛な歌声。これだけ美しく泳ぎ歌える人魚が、己の足をこれでもかと恨んでいるのが伝わる。
彼女の内から溢れ出す哀しみが、有無を言わさず、私の心を染め上げていく。
しかし、その直後。誰もが人魚の泳ぎと歌に心を奪われた刹那。
『悲しい気持ちはわかるけど、怖い話はしないでおくれ』
掛け合うように歌い始めた少女は、ステージの中央で突っ立ったまま。
深蒼のライティングの下、顔を上げて。
次の瞬間。
〝恐ろしい魔女のように、邪悪に笑った〟。
『壊すくらいにいらないのなら、その足私に喰わせておくれ』
ぞくりと胃の腑が縮み上がるような、恐ろしい笑み。
……誰だ、あれは。
今ステージの上で、あの夢にまで出て来そうな奇妙な笑みを浮かべているのは。
あの子が、あの……小鈴蘭丸さん、なの?
まるで、別人だ。
しかし、そんな得体のしれない演技力に呆然としている合間にも、曲は進む。
そして思い出す。そもそもこの曲は……〝この曲を作った【Boo! Boo!! Boo!!!】は三人組のユニット〟。
だからこの楽曲の〝配役〟はもう一つあって。
次の瞬間、軽いステップでターンをした小鈴さんが見せたのは、芯から純粋そうな眩い笑顔だった。
『食べちゃうなんてもったいない! ならばその足描かせて!
触らせろなんて言うつもりはない、ただこの筆先で、絵の中で良いから撫でさせて
足が欲しいなら描き変えるから、その綺麗な声で、君の望みを聞かせておくれ!』
溌剌とした純真無垢な歌声。晴れやかで情熱的な笑顔にはさっきまでの魔女の邪悪な余韻など欠片も残っておらず、別人のように声を張り上げて踊る。
こういう風に、『うみのけもの』という曲は、大海原で一人孤独に歌っている人魚を取り巻く魔女と画家の歌だ。
人魚は大勢で楽しく歌っている人間を羨ましく思い、その輪の中に入りたがるけれども、足がないせいで陸に上がれない。
魔女はそんな人魚を人間にさせる代わりに寿命や美貌を奪おうとし、画家は人魚のありのままの美しさに惚れこんでその感動を人魚に伝えようとする。
そんな魔女と画家の間で揺れる人魚の人間らしい葛藤こそが、この曲の肝だ。
ステージの上での立ち位置が入れ替わる。人魚は中央に行って曲に合わせて美しく踊り、小鈴さんがその周囲を弾むようなステップワークでくるくる回る。
『なんて艶やかな歌声だ、私にその声寄越すなら、たちまちのうちに足をやろう』
『なんて澄み渡る歌声だ、ぼくにその夢くれるなら、毎日だって歩いてくるよ!』
左周りにターンをすれば魔女になり、右周りにターンをすれば画家になる。表裏一体の二面相を完全にテンポよく使い分ける小鈴さんを見ていて、ようやく気が付く。
「振りが、〝簡略化されてる〟……?」
小鈴さんのシームレスな演技の切り替えに目を奪われて気が付かなかったけれど、彼女が舞台上で披露しているダンスは簡単なステップとターンだけだった。
上半身については完全にレッスンで教えられた振りを無視し、身振り手振りで演じ分ける事に振り切っている。
もちろんユニットの人数が課題曲の想定よりも増減してしまうこの審査では、振りやフォーメーションのアレンジは認められているし、ねねちゃんだってそれなりに手を加えていた。
でも小鈴さんの振りの簡略化や、珠薊さんのソロダンスを始めとして、この二人はそもそもアレンジという範疇を越えるほどに振りやフォーメーションに手を加えている。
だけどそうやって振りを殆ど無視しているのに、これまで『うみのけもの』を演ってきたどのユニットよりも曲が伝わってくるんだ。
というのも、小鈴さんに関しては振りを簡略化している為に演じ分けに注力できているのもそうだし、きっと〝体力管理〟も兼ねているんだ。
小鈴さんは班でのレッスン中に体力切れを起こすことがよくあったけど、これだけ運動的な動きが少なかったら、二人分歌っていたとしても最後まで体力が持つ。
何よりも、単純に振りを簡略化させたことで生じる、ステージ上での画としての迫力の低下も一切心配がいらない。
なぜなら。
『魔女の言葉は美しく、画家の描く絵も美しく、わたしの尾ばかり穢れて見える』
ステージの中央で踊り蹴り舞う人魚の姿が、あまりにも美しく目を奪うから。
彼女のダンスにはきっと色んな体操のエッセンスが入っているんだろう。バレエの柔らかい華美さはもちろん、時折見せる力強く鋭い脚力の発露にはアスリートじみた迫力まである。
そして何より、そんな雄大たるスケール感で踊る怪物が、曲が進むにつれて〝人みたいに〟なっていくんだ。
『それはお前が人だから、魚の足を嫌うのさ、命と美貌を渡しなよ、完璧な人にしてあげる』
『甘美な言葉はわたしを祝う、あらゆるものを取り上げて、夢も痛みも奪ってくれる』
魔女に唆される人魚は、いけないことだと気付いていながらも心を揺らしてしまう。孤独に疲れ、運命に傷付き、全てを投げ打ってしまうべきかと悩む。
その絶望と悲哀に打ちのめされそうになる弱弱しい横顔は、まさしくあらゆるものを諦めた人間の顔だった。
けれども、そんな人魚に明るい声が呼びかける。
『ぼくの描く絵は美しくなく、ぼくが描く君こそ美しい、向こうの浜に目を向けて』
太陽のように笑った画家が、客席に座る私達を大きく指し示す。
『だからこんなにも人が来た! ぼくが描く絵じゃなく、美しい君に会いに来た!』
すると、これまで苦しそうで、辛そうで、孤独そうで、虚しそうな顔をしていた人魚が。
枯れた木のようだった、人魚の顔が。
花開くように、温かく笑った。
その笑みを見た瞬間。
心の底から、美しいと思った。
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