第5話 説明
「突然の訪問に対応いただきありがとうございます。まずは、氷川さんの体験から聞いて欲しいんです」
小野瀬さんに話を振られ、わたしは、改めて引っ越してから体験してきたことと昨晩の体験を包み隠さず話した。
さらに、米村さんが、俺の話も忘れるなとばかりに、最近の自分の体験を話す。
トネさんは、黙って私たちの話を聞いてくれていた。米村さんの話が終わると、トネさんは話し出した。
「体験を否定するつもりはありませんけど、それが亜沙美だとは、どうしても思えないの。亜沙美の霊が祟るというなら、きっと澤田を怨んで出てくるに違いないし、氷川さんを襲ったりはするわけないと思うの」
「そもそも亜沙美さんは今も澤田さんを怨んでいるのでしょうか」
小野瀬さんの言葉は、丁寧で優しい口調ではあるが、どこか挑発的だ。亜沙美さんが澤田さんを怨んでいるはずというのは、これまでもトネさんが話してきたことだというのに。
「怨まないはずがないでしょう。あんなふうに裏切られて、無念だったはずに決まっているでしょう」
トネさんの目は睨みつけるようで、場の緊張感も高まるが、小野瀬さんは相変わらず落ち着いて返す。
「亡くなった方の心のうちは本当にはわかりませんが、きっと無念だったことでしょう。でも、わたしが言いたいのは――」
言葉を区切る小野瀬さん。息を整えるように、わたしは喉を鳴らした。
「――“今の”亜沙美さんが澤田さんを怨んでいるのか、ということです」
小野瀬さんが続けた言葉に、トネさんは、虚を突かれたかのように目を見開き、そして、答える。
「なに、言葉遊びなの。今、ということなら、亜沙美はもういないというのはわかっているでしょう。意味がないことを言わないで」
「そのとおり。亜沙美さんはもういない。だから、貴女には酷だが、こう言わざるを得ないんです。死者の怨みが残ることはあるかもしれませんが、死者は新たに人を怨みません。今、澤田さんを怨み、さらには新しい住人である氷川さんを妬み、米村さんを嫌う”感情”を持つのは――きっと、生きている誰かです」
「あなた、何が言いたいの。私が、私のせいで亜沙美が成仏できないと――そうと言いたいの?」
トネさんが、感情を抑えられなくなったのか、声を荒げる。その手に握ったコップは、中の麦茶が、外にはねるのではないかと思うくらいに暴れている。
部屋の空気が重たくなったように感じられた。部屋の照明は、もっと明るかったような気がする。
米村さんが、突然びくっと膝の上に抱えていたリュックから手を離し、何か呟いたようだった。「動いた」と言ったように思う。
これは小野瀬さんの意図する状況なのだろうか。口を挟んでいいものかわからないが、ここからどう説得するというのだ。
「少なくとも貴方が澤田卓二を怨む気持ちは本物でしょう。澤田さんの御実家を突き止めて、手紙を送ったそうですね。お恨み申し上げると」
「そんなことまで調べたのね。そうね、私は澤田卓二を怨んでいるわ。だから興信所を使って手紙を送った。あいつが、自分のしたことを忘れないように」
「毎日、仏壇でも、澤田卓二のことを考えてしまうのでは」
「亜沙美の冥福を、祈っているだけよ。何が悪いと言うの」
「もちろん大切な方の冥福を祈ることが悪いわけがないです。ただ、その祈りには、あなたが意識していなくとも、澤田さんへの怨みが混ざっているのではないでしょうか。いえ、もちろん、その気持ちも否定されるべきものではありませんよ」
「たとえそういう気持ちがあったとしても、亜沙美に他人に祟ってほしいなんてことは祈らないわよ」
「いくつかの条件が、たまたま揃ってしまったのだと思います。コシロサマの存在があり、重なってしまう物語があり、あなたの思いの強さもあったのでしょう。澤田卓二に祟って欲しいなんてことは、仏壇では願わなくとも、隣に神様がいれば願いを託してしまう。
その願いに込められているのは――亜沙美さんの無念じゃない、あなた自身の無念です」
麦茶を口に含み一息つく小野瀬さん。トネさんは真剣な表情で小野瀬さんの言葉を待つ。
「トネさん、氷川さんにも複雑な感情をお持ちだったはずです。氷川さんのことが嫌いなわけじゃないし、おそらく好ましく思っているのだとしても、それでも、亜沙美さんが亡くなったのに、同じ年頃で、同じ大学に通っている女性が引越してきて楽しそうに生活しているのを見るのは、お辛かったでしょうに」
トネさんは無言。わたしも、叔父さんも、米村さんもだ。
「それに米村さんのことを、澤田さんと同じような男だと決めつけて毛嫌いしているでしょう。不謹慎でよくない部分も目に付くが、意外と面白い男だとわたしは思いますがね。で、そういったあなたのいろいろな思いが、本来なら成仏していたであろう亜沙美さんの魂を引き留めているのではないでしょうか」
そのまま、だれも喋らず時間が過ぎる。私が何か言うべきなのではないかと考えるが、何も思いつかない。
「小野瀬さんの仰ること」
急に、トネさんが一言告げて、さらに言葉を続けた。
「氷川さんへの感情、それは否定はしないわ。先日、お友達の家に遊びに行くのを見たとき、なんで亜沙美じゃないのって思った。そんなこと考えちゃだめなのに、そう思ってしまった。米村さんのことも、たしかによくは知らないけれど、澤田と同じような人間と決めつけていたと言われればそうかもしれません。だから、わたしの気持ちのことは、そうね、あなたの言うとおりかもしれないわね。でも、そのために亜沙美が化けて出るなんて、そんなことがほんとうにあるのかしら。わたしは霊能力者でもなんでもないのよ」
トネさんの手はもう震えていない。落ち着いた口調に戻っており、どこか諦めたような悲しみを称えた目をしている。
「いろいろな条件がそろってしまった結果でしょう。……トネさんの御実家の地域のことも調べました。オシラサマを祀っている旧家といってもたくさんありますが、それぞれ違いがある。トネさんの実家の集落では、養蚕と蛇神としての性質が強いようですね。少なくともトネさんはそう認識しているのではないですか」
「そうです。よく調べましたね」
小野瀬さんは、トネさんにコピー用紙を手渡した。
「あなたが無意識に重ねている物語がここにあります。取り寄せました。それにトネさんの集落のオシラサマにはこんな伝説があるんですね」
トネさんが例の紙に目を通すのを待ちながら、小野瀬さんが、ざっと、概要を口に出す。
「トネさんの集落に伝わる昔話で、男と蛇の恋の話がありますね。いじめられていた白蛇を助けた男の下に、美しい女が現れて桑の木を育てる方法を教える。男は名人になり、その美しい女と恋仲になるが、修験者がそれは蛇だから、会うのをやめなさいと言う。女は、毎晩、村を訪れ、男のもとを訪ねたが、御札を貼り祈祷して決して会わせない。7日7晩繰り返すと、家の前で白い蛇が死んでいた。それを知った男は、白い蛇の死体を手に沼に身を投げる。不憫に思った村人が、供養するために、男の育てた桑の木で二体の人形を作って育てるようになったことが、オシラサマを祀るはじまりだった」
トネさんは話を聞きながら頷く。
「この話は地元の昔話です。男が身を投げたという沼も実際にあります。この物語が、亜沙美と関係があるということですか」
「直接の関係はなくとも、貴方の意識で紐づいていたということが重要なのです。オシラサマは家庭ごとに祀る神様ですし、貴方にとっては、コシロサマに祈りを捧げることは自然なことだったでしょう。そして、亜沙美さんを昔話の蛇妖と重ね合わせてしまった。
……似ているでしょう。
その白蛇は、愛する男性のもとを訪れて、家に入れてもらえずに死んでしまった。あなたは亜沙美さんとコシロサマと昔話の白蛇を、同一視してしまっています」
「だから、亜沙美があんな姿で現れたというのですか。小野瀬さんのお話を聞いていると、まるで、わたしの祈りが、そう、呪いのように作用しているように聞こえます」
「そう――これは呪いです。貴方の祈りは、いくつかの条件に形を与えられ、力を得てしまった」
「そんなことってありますか。貴方の話は一見筋が通っている。腑に落ちる点もありますよ。わたしの祈りが呪いだと言われれば、それも間違ってはいないかもしれない。でもそれで亜沙美の霊がだれかを攻撃しているなんて、そもそも霊が出るなんて前提が、その、どうかしているでしょう」
「まあ、納得できるものではありませんよね。でも、ご自身の気持ちについては受け入れていらっしゃるわけですね。では、もう一度、コシロサマを見てみませんか」と、小野瀬さんは、優しく言う。
「でもコシロサマはどこかに行ってしまって。探しても見つからなくて」とトネさんが戸惑っているのに対して、米村さんが「ああ、それは」と言いながら、リュックの中に手をいれる。しかし、米村さんの動きは止まり、鞄の中をじっと見つめている。
どうしたんだろう、見守っていると、尚くんが、「いるよ」と部屋の奥を見た。皆がそちらを見た。
部屋の奥、仏壇のもとの場所。
そこに――何事もなかったかのように、コシロサマが戻っていた。
一瞬で、空気の色が変わったように感じた。
沈黙が部屋に満ちた。
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