第2話 考察
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昔、青田村に太助という若者がいた。
太助がある日、村の端の青沼で釣りをしていると、白蛇が子どもたちに捕まっていた。不憫に思った太助は、子どもたちを諭し白蛇を助けてやった。
数年後のある日、白い肌の美しい女が太助の家を訪ねてきた。昔、助けてもらったお礼にと、女は、毎晩、太助の家を訪れ、太助に蚕を育てる方法を教えた。太助は蚕を育てる名人となった。太助は女に夫婦になってくれと願ったが女は首を縦に振らなかった。
あるとき、村を訪れた修験者が、太助の家を訪れる女は化け物であると村人に伝えた。村人が太助を家に閉じ込め、修験者が家の周りに御札を貼って祈祷を行った。女が訪ねてくると、雨が降り、風が吹き、家が揺れたというが、女は太助に会うことができなかった。七日七晩を繰り返した朝、太助の家の前で白い蛇が死んでいた。それを見た太助は、白蛇の亡骸を手に青沼に身を投げた。太助の両親は、桑の木で二体の人形を作って供養することにした。それが青田村に伝わるオシラサマ信仰の始まりだったと、いまも言い伝えられている。
『鍬潟郡の民話と伝説(鍬潟郡郷土史同好会)』
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米村さんが見せてくれたコピー用紙に書かれていたのは、地域の怖い民話を集めたホームページを印刷したものだった。出典は 『鍬潟郡の民話と伝説(鍬潟郡郷土史同好会)』だという。
「似てますね」
わたしの率直な感想に、「そうだね」と小野瀬さん。腕組みした米村さんは自慢げな様子で語っている。
「土俗的民俗学的な知見が怪異を解き明かす材料になっていく。これ最近の流行りなんだよ。もっと調べて記事にできればな」
米村さんは楽しくてたまらないといった感じがにじみでている。オカルトライター志望というのはけっこう本気なんだな。これがどう亜沙美さんに繋がるのか気になるところだが、物語の流行りと現実とをいっしょにしてほしくはない。
「これはトネさんの実家の地域の昔話で、ネットで見つかったんだ。トネさんの実家でオシラサマ信仰があると聞いたのが気になっててさ。これ完全に心霊現象の原因でしょ。過去から続く因縁が、今も続いてるんだよ。トネさんがこれを祀っているせいで、太助と同じ立場の人間として澤田卓二を呪っているというか、祟っているんじゃないかな」
そんなことってあるか。飛躍しすぎな気がする。霊が原因だと言われるより、昔話の蛇の精だとか妖怪が原因だと言われると、いっきに現実感がなくなって、嘘くさいというかそんな感覚を覚える。すると、小野瀬さんが、こんなことを言い出した。
「実はわたしも連休中に遠出してきまして、向こうの図書館や知り合いのお寺さんなんかにあたってきました。オシラサマの祀り方や起源は本当に地域でも家でもまちまちなんですが、この地域の場合、さっきの伝承を軸にして、オシラサマを祀ってるそうです。トネさんが、蛇の精としてコシロサマを祀っていてもおかしくはないですね」
「ほらね」
愛する男に閉め出されて、何度も訪ねても会えずに亡くなった女――蛇の精の話。亜沙美さんの霊と確かに似ている。
「おれが考えていることは――この蛇の精が、似た境遇の亜沙美さんの怨みを晴らすために出現しているんじゃないかってこと。鈴木トネが仏壇に置いている人形ってさ、結局、その蛇の精を祀ったオシラサマと同じでしょ。これは、過去から続く蛇の精の呪いってことさ。いや、蛇自体が何かの事件の隠喩だったり真実を隠すための設定の可能性もあるか」
意気揚々とする米村さんだが、祟りや呪いを、そう簡単に認めてしまってよいのだろうか。話を大きくし過ぎだし、違和感もあった。
「わたしや米村さんのところに亜沙美さんが出るのは何故かということへの説明にはなっていないような。蛇の精が祟る相手として、わたしは当てはまらないし。米村さんは、ぎり当てはまるかもしれないけど」
「そう、そこがポイントなのさ。トリガーって言えば言いのかな。蛇の精の祟りは、鈴木トネの祈りというか怨みをトリガーに発動するって考えればいいんじゃないかな。鈴木トネの怨みの理由なんてちょっとしたことでもいろいろ考えられるだろ。亡くなった姪と同世代の女の子が近くに住んでるってだけで、はらわた煮えくりかえってたのかもしれないんだよ」
「そんな感じじゃなかったですよ。トネさん普通に親切だった。もし、ちょっとはそういう気持ちがあったとしても、呪いをかけるなんて考えられない」
「鈴木トネの仕業だってのは当てずっぽうじゃあない。ちゃんと理由はあるんだよ。まず、澤田卓二の実家に女の霊が現れたきっかけは鈴木トネの手紙が来てからだ。鈴木トネが澤田卓二の実家を知ってから霊が現れたってこと。そして、女の霊は首が長いという特徴がある。船戸亜沙美の死因に首が長くなる要素はないよね。首を吊ったわけでもない。これは、女の霊の正体はコシロサマなんだってことだと思う。棒に服着せた人形って、見た目はオシラサマそのものでしょ。コシロサマはトネさんにとっての祀る神であり、呪いの道具みたいなものになっているとおれは思うんだ」
正直、米村さんの話は一理あるとは感じる。筋が通っているような気がしてきた。言い返す言葉が思いつかない。
「鈴木トネは、船戸亜沙美の部屋に住むやつも、澤田の部屋に住むやつも全部気に入らないんだろ。前の住人の佐藤も、こないだ引っ越した吉田さんもそうだろうし、おれのところにも祥子ちゃんのところにも霊が現れた。祥子ちゃんのことは気に入ってはいるけど恨めしくもある愛憎半ばの状態なんだろ。で、おれは祥子ちゃんにちょっかい出すのが、澤田卓二に似た存在だってことで気に入らないから、コシロサマを使って呪ってると考えればしっくりくるだろ。全部つながって説明がつくんだよね」
「蛇の精の祟りかは置いておいて、トネさんの関与という意味では、かなり的を射ていると思います」と、小野瀬さんまでそんなことを言う。
「なぜ亜沙美さんの霊は氷川さんの友人宅にまで追いかけてきたのに、実家には現れなかったのか。距離の問題でしょうか」
小野瀬さんの問いかけに、わたしは思うところを答えた。
「距離ではないと思います。澤田卓二の実家はもっと遠いのに現れてるということですし。距離じゃない」
「そうだね。氷川さんは本当は検討がついてるんでしょう」
そうだ。小野瀬さんの言いたいことはわかっている。わたしが認めたくないこと。米村さんの説とも合致する事実。
「トネさんは、わたしが明子の部屋に泊まることを知ってました。果物屋さんで会話して、部屋の場所も知っていた」
「つまりトネさんが知っている場所だからこそ亜沙美さんの霊が現れたのだと考えることができる。澤田卓二の家と同じだね」
明子の部屋に行ったとき、果物屋でトネさんが下から部屋を見上げていたのを思い出す。わたしが実家に戻ることを叔父以外には伝えるなと言っていたのは、小野瀬さんはこの可能性を見越していたのだろうか。
でも、わたしはまだ納得いかない。
「トネさんが澤田卓二を呪うんだったらわかります。でも、わたしや米村さんぐらいの関わり方で、呪うなんて強い感情を抱けるものですか。犯人相手ならまだしも」
「逆に、トネさんがおれらにそこまで強い感情を抱けないって根拠がないだろ。それと犯人は 獄中で生きてるみたいだぞ。扉開けなければ襲われないんなら牢屋なら大丈夫なんじゃね。つうかさ、実際、扉を開けたらどうなるんだろうな。祥子ちゃんが御札持ってなかったらどうなってたんだ」
それは確かに疑問だ。命に関わる事態だったのか。怪我や病気になっていたのか。ただの驚かしだったのか。そして、獄中にいるという犯人のもとにも女は現れているのだろうか。夜な夜な獄中に現れる女。牢屋の扉の向こうで、自分が殺した女から責められる犯人をイメージする。
「さて」
小野瀬さんは、みんなの顔を見渡して、語る。
「米村さんの考え方は非常に的を射ていると言いましたが、氷川さんの考えももっともです。それで、ちょっとわたしの思っていることも話をさせてください。米村さんの考えを少し補足するイメージになりますが」
「どうぞ。元々あんたの話が聞きたかったんだよ。お手並み拝見といこうか」
「お願いします」
小野瀬さんは、「それでは」と一呼吸置いて話し出す。
「トネさんの部屋に入ったとき、わたしは、コシロサマは呪物だと疑いました。米村さんのいうように今回の件はトネさんの呪詛によるものという可能性は考えたんです。でも、どうも、呪詛にしては、狙いが絞り込めていないというか、対象が曖昧に感じた。トネさんは厳密には呪詛を行っているわけではないんだと思います」
「厳密にってどういうことだよ」
「無意識なんでしょう。トネさんの負の念が無意識に呪いに近い現象を引き起こしているんじゃないかと思っています」
負の念を供給。一瞬意味がわからなかった。わたしの怪訝な顔を見て、小野瀬さんはさらに言葉を続けた。
「トネさんは、亜沙美さんの死について怨んだり悲しんだりという気持ちを、祈りながらコシロサマにぶつけているのはそのとおりでしょう。米村さんは、女の霊はコシロサマだと言ったけど、そうとも言えるし、やはり船戸亜沙美さんの霊とも言える。トネさんの想いによって、亜沙美さんの霊はコシロサマという媒体を通じて現れているのだと思います。氷川さんが見た女も、米村さんが見た女も、船戸亜沙美さんと思われる服装や姿格好をしていたのでしょう。でも、首が長くて、それはたしかにコシロサマの特徴も示している。尚が氷川さんを見て描いた絵でも、ろくろ首みたいな姿でしたしね。そして、トネさんの想いに引きずられて、澤田卓二の家に現れたかと思えば、もたもと住んでいた三〇二号室に現れ、何度も三〇三号室を訪問している。トネさんの気持ちが外に、例えば米村さんに向かえば、霊はそちらにも現れる。トネさんの気持ちに左右されるから、行動に一貫性がない部分があるのでしょう。米村さんの考えとあまり変わらないように感じるかもしれませんが、トネさんが呪っているわけではないんです。ただ、トネさんの気持ちに亜沙美さんの霊が反応してしまっていると言えるでしょう」
「言いたいことはわかったよ。無意識の呪いって解釈もたしかにありうるけど、俺の説のとおり鈴木トネが呪っていると考えてもおかしくないし、どっちか決められないんじゃないか。澤田のことは意識して呪っててもおかしくないと思うしね。いずれにしろ、俺たちは、トネさんの気に入らないって気持ちに反応した船戸亜沙美の霊に攻撃されてるってことは変わらないわけだな。その仲介をコシロサマが担っている。指示役はトネさんだってこと。船戸亜沙美の霊は、使い魔とか式神みたいなもんだと考えればよいのか」
米村さんがすらすらと、小野瀬さんのいうことを整理するので、ちょっと感心する。
「そのように考えてよいでしょう。あくまでも推測ではありますがね。そもそも、妬むのも怨むのも本来は生きている人が抱く感情ですよ。トネさんの気持ちが大元であると考えてよいと思いますよ」
生きている人間の怨み。背中から二の腕にかけて、ぞわりと寒気が走った。
亜沙美さんのことが大好きで、毎日亜沙美さんのことを考えて、澤田さんを恨んでいるトネさん。その強い感情は米村さんやわたしに対しても向かっていたのだろうか。
「じゃあ」と、わたしは言う。指先がじんじんと痺れる。わたしが恐れているのは、むしろ、今から口に出すことのほうなのかもしれない。
「もし、そうだとすると、わたしに優しくしてくれたのも表面上だけで、本当はよく思っていないってことなんですかね」
トネさんは世話好きで優しい人、その印象は決して間違ってはいないと思うが、裏の顔もあるのだと想像してしまう。
「人の感情はむずかしいですよ。呪うつもりがなくても、亜沙美さんと氷川さんを重ね合わせて見てしまって、氷川さんを無意識に妬んでいたということもありえる。それって氷川さんに優しくしたいという気持ちと両立するものだと思いますよ」
小野瀬さんは穏やかに、わたしを諭すように言う。小野瀬さんはわたしを安心させるような言い方をしてくれている。もしかすると、トネさんが意識的に呪ってわけではないという話も、わたしが負担に感じないように言ってくれているのかもしれない。
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