第15話 箱推し合宿と、夜の通知

夜のコンビニ袋って、なんでこんなにいい音がするんだろう。


「アイスはバニラと、あとラムレーズンね。ねむ、どっち食べる?」

「ん〜……どっちも……」

「欲張りか?」

カイが即ツッコんでくる。


「えっだめ……?」

「だめじゃないけど。可愛いかよ。」


ルナが笑って、ねむの腕にそっと自分の腕を絡めた。

歩道の白線を踏みながら、とことこと進む足音がそろう。


今日は、配信でもオフでも仲のいい**灯台組(仮)**の小さなお泊まり会。

ねむ、ルナ、カイ、ミナト、そして後輩のユリ。


事務所が貸してくれた簡易宿泊ルーム。

壁は防音、照明は柔らかいオレンジ。

こじんまりしてるけど、なんか“秘密基地”っぽい。


「ねむ先輩〜ふとん敷くのお手伝いします!」

ユリがピョコっと手を上げる。

声が明るくて、部屋が一段階あたたかくなる。


「ありがと、ユリ。あのね、これ敷く向きどっち……?」

「そっち逆です〜!!」


「ねむ、そういうとこ、“らしさ”出てんぞ」

カイが呆れた顔で笑う。


「らしさ……褒めてる……?」

「もちろん褒めてんだろ」

ミナトが落ち着いた声でそう言って、そっと枕を整える。


この人は、いつも誰かが困る前に自然に動いてくれる。


そういうところ、好きだなと思う。

……“好き”は、まだ色の名前がない。


「よし、準備できたし、ちょっとだけ配信する?」

ルナが手を叩いた。

明かりがほんのすこしだけ強くなる。



◆ 配信開始(机カメラ / ねむチャンネル)


《配信タイトル》


【灯台合宿】声だけ雑談しよう〜〜〜【白露ねむ】


配信スタート

同接:4,200、6,800、9,300……11,200


じわじわと増えていく数字は、見ていて胸に暖かい灯を点けてくる。


「こんばんは〜〜〜白露ねむです……っ」

すこし息が弾んだ声になってしまう。


『待ってた!!!!』

『合宿って何ww』

『声だけ配信最高なんだが???』

『灯台メン来る??』


「います!います!」

ルナが、ねむの後ろからひょこっと声を差し込む。


「ルナでぇぇす!」

「カイでぇぇえす。」

「ミナトです、よろしく。」

「ユリですっ!!よろしくお願いしますっ!!!」


コメントの海が、一瞬で色づく。


『この並び好き』

『箱推しです(宣言)』

『ユリちゃんテンションで全部浄化された』

『ねむちゃん、声のトーン柔らかくて好き』


ねむは、にこっとして、胸の奥がじんわりした。


「今日はね、みんなでコンビニ行って、布団敷いて、お菓子いっぱいで……」

「ねむがアイス二個選んだんだよな」

「やめて〜〜〜言わないでぇぇ〜〜〜!!!」


『かわいすぎてむり』

『ねむ姫なんだよなぁ』

『保護したいV 1位』

『灯台、尊い』


カイがマイクに口を近づける。


「んじゃ質問ひとつ答えるか。

“最近いちばんうれしかったことは?”」


ねむは少し考えてから、ふっと息を吐いた。


「んー……今日、こうしてここにいられること、かな。」


ルナ、ユリ、ミナト、カイ。

全員が自然にねむの方を見る。


「ひとりで配信してるときも楽しいけど……

誰かと笑うと、もっと楽しいって……最近気づいたんだよね。」


コメントが一瞬止まり──

次の瞬間、溢れた。


『それはそう』

『ねむちゃんの“今の声”聞けてよかった』

『泣かせにくるな!?』

『灯台箱、永遠に推す』


胸の奥が、温かい。

ちゃんと、“届いてる”んだ。



配信はゆるく続いた。

マシュマロ読み、ちょっとした小ボケ、ルナの笑い声、カイのツッコミ。

ミナトが飲み物を配り、ユリがスナックを開ける音がマイクにふわっと入る。


視聴者が「そこにいる感じがする」と言うやつ。


ねむは、今日だけは思った。


ここが、わたしの居場所だ。



◆ 配信終了


「おつかれさまでした〜〜〜」

「おつ〜〜〜〜」

「ばいばいっ」


配信が切れる音が、小さく部屋に落ちた。


ふうっと息が落ちる。


布団を並べる。

枕が五つ、横に並ぶ。

夜の照明は、月の色。


 枕が五つ、横に並ぶ。

 シーツの皺が、薄い波みたいに寄せては返す。

 ルナが先にぺたんと座って、背中を伸ばした。


「ねむちゃん、ライトどうする? ちょっとだけ暗くして、月の色にしよ」


「うん」


 オレンジが一段だけ落ちて、部屋の輪郭がやわらかくなる。

 カーテンの上部に走る隙間から、夜の青が細く覗いていた。


「ねむ、こっち」

 カイが何気なく枕を半分ずらして、間に小さな空白を作る。

 それは“ここがあなたの席”という合図にも似ていた。


「ありがと」


 ミナトはコンビニ茶を一人ずつに渡す。湯気はないけれど、手の中が温かい。

 ユリは小声で「お泊まり会、初めてです」と言って、ニコッと笑った。


「じゃ、五分だけ、夜のおしゃべり——今日の反省会」

 ミナトが腕時計を見て告げる。みんながこくりと頷く。


「私からいーい?」とルナ。

「今日のねむちゃん、**“笑われる勇気”**って言葉、めっちゃよかった。コメント欄でハッシュタグになってた」


「#笑われる勇気 ?」

「そう。ねむが先に笑うから、みんなも安心して笑えるんだと思う」


 ねむは、布団の端を指先でいじった。生地の糸が、さらさらと指腹で鳴る。


「……私、前は“笑われる”が怖かったよ。バカにされてる、みたいで。

 でも、違った。今日の“笑い”、すごくやさしかった。

 まるで“ここにいていいよ”って言われてるみたいで」


 言いながら、心の中で言葉を置き直す。

 “笑い”=“届いた”=“光”。——それが今夜の式。


「俺から一個」

 カイが軽く咳払いをする。「ねむ、ミュート確認、三回やれ。今日、危なかった」


「う……がんばる」


「がんばれ。……でも、あの十秒の無音、嫌いじゃなかったけどな」

 最後の一言だけ、少しだけ小さくて、やわらかかった。


「じゃ、わたし」

 ユリが控えめに手を挙げた。「ねむ先輩の“おやすみ”は、いつもちゃんと眠くなります。……今日も、楽しみです」


「は、恥ずかしい……」

 頬が熱い。

 ルナは笑って、ねむの肩にちょんと頭を乗せる。「ほら、言ったでしょ。ねむは存在がスイーツ」


「砂糖多め」(ユリ)

「カロリー計算不能」(カイ)

「栄養表示なし」(ミナト)


「ちょっと、みんな……!」


 笑いが滲んで、空気がほどける。

 反省会は五分を過ぎ、やがて言葉が少しずつ薄くなった。

 目に見えない“お休みの合図”が、部屋の隅から順に降りてくる。


 ごろん。横になる音が重なる。

 枕がこすれる音。布団の温度が体温に馴染むまでの短い時間。

 天井は低くないけど、眠る前の目には、世界が少し小さく見える。


「ねむちゃん」

 ルナの声は、まつ毛に触れるくらい近い。「今日さ、いちばん前の席って、ずっと、空いてるの?」


「うん。いつも、空いてる。いつ来てもいいように」


「ふふ、じゃあ——たまに座るね」


 こく、と喉が鳴った。返事にならない返事。

 誰かの寝息が、一歩手前で深くなって、また戻る。


「ねむ」

 今度はカイ。声だけ平坦にして、柔らかさを隠すみたいに。

「お前、そのままでいいから。次、なんかでかい波来ても、拾うから」


「……うん」


「拾うのは俺じゃなくても。誰かが拾えるように、残しとけ。語尾を」


 ねむは目を閉じたまま笑った。

 “語尾を残す”。カイらしい、現場の言い方だ。


「ミナトさんは?」

 誰かが尋ねる前に、ミナトの声が落ちてきた。


「おやすみの前に、水、ひと口飲め。喉、明日も使うから」


「はーい……」


 会話はそこで途切れた。

 眠りの手前の静けさに、耳がよくなる。

 加湿器の音が、遠い雨に似ている。

 コンビニ袋の一枚が、やっと呼吸と同じ速度になる。


 ねむは横向きになって、みんなの背中の線をぼんやり想像した。

 それぞれの“灯り”が、小さな輪になって漂っている。

 触れたら消えるかもしれない輪。——でも、消えない。


 ピコン。


 スマホが震えた。

 枕の横、画面の明かりが布の谷を白くする。

 反射的に手を伸ばして、胸の前でそっと点ける。

 眩しさに目を細めながら、通知の送り主を読む。


【黒瀬ミオ】

件名:明日、時間ある?


 心臓が一拍、少しだけ強く打つ。

 ねむは、ベッドサイドの影で体を少し起こした。

 誰も起こさないように、息を殺す。


 続けて、チャットアプリのDMが震えた。

 ミオから。長文じゃない。短い、けれど重みのある言葉。


ミオ:ねむ、正式に話したい案件がある。

ミオ:音楽チームから打診。

ミオ:——“アニメ主題歌オーディション”、受けないか?


 呼吸が止まって、また動く。

 視界の端が、ほんの少し明るくなった気がした。


 “アニメ主題歌”。

 文字は知っていたけれど、今、音になった。


 ねむは、メッセージを開いたまま、しばらく動けなかった。

 目の前に並んだ四つの寝顔(正確には後頭部と布団の山)を、順に眺める。

 ルナの寝息は一定。ユリは丸く、カイは仰向けで、ミナトは腕を枕にしている。


 胸の奥が、きゅっと鳴る。

 これは緊張ではなく、願いの形に近い。


 画面が自動で暗くなりかけて、慌てて親指で触れる。

 入力フィールドに小さく光るカーソル。

 一文字目がなかなか出てこない。

 “受けます”と打ってしまうのは、簡単だ。

 でも、私は誰かに相談したい。

 けれど、今は——


 Good night, not goodbye.


 ねむは短く、そう返した。

 意味を知っている人だけが、受け取れる返事。

 “はい”でも“いいえ”でもない。

 でも、前向きのほうに寄っている。


 数秒後、ミオから即座に既読がついて、丸いスタンプが一つだけ返ってきた。

 灯りのアイコン。——理解されている。


 ねむはスマホを伏せて、仰向けになる。

 天井の白が夜に溶けて、まぶたの裏にうっすら残る。

 指先がじんわりと温かい。

 手のひらの真ん中に、見えない譜面が置かれたみたいだ。


 歌うことは、こわくない。

 配信でずっと、歌ってきたから。

 こわいのは、自分の声が、どこまで届くかだ。


 ——でも、灯台はここにある。

 笑いは光。

 “また明日”は、約束。


 ルナが寝返りをうって、背中が少し近づいた。

 カイの寝息が、ひとつだけ深くなった。

 ミナトの指が、無意識のリズムをとる。

 ユリは夢の中で、誰かに「がんばってください」と言っている。


 ねむは、息をゆっくり吐いた。4で吸って、1止めて、6で吐く。

 喉を通る空気が、すこしだけ甘い。

 ラムレーズンの後味がまだ残っているのに気づいて、笑いそうになった。


 目を閉じる前に、口の中だけで言う。


「……Good night, not goodbye」


 その言葉は、自分に向けた返事でもある。

 “また明日”。

 “また明日、話そう”。

 “また明日、歌おう”。


 加湿器の音が、遠くの雨に混ざった。

 部屋の灯りは、月の色でゆっくり薄くなる。

 灯台の光は消えない。

 ただ、次の朝に向けて、ひと呼吸だけ静かになる。


 ねむは眠りに落ちる直前、ほんの少しだけ声を出した。

 誰にも聞こえないくらいの小ささで。


「……受けたい、な」


 言葉は空気に溶け、枕に吸われ、胸の奥に沈んだ。

 それは、“はい”に限りなく近い“うん”だった。


 ——夜が、そっと終わっていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る