第13話 改革の序章

 魔王軍の本営──黒曜石の尖塔が林立する戦都〈バル=グラド〉。

 その一角、戦略会議の広間には、今日も怒号とため息が渦巻いていた。


「補給隊がまだ前線に到着しておりません!」

「なに? 三日前に出たはずだろう!」

「途中で運搬獣が魔力切れを起こしたとの報告です!」


 分厚い石壁に響く報告の声。地図の上では補給路が赤く塗られ、まるで血管が詰まったように動きを止めていた。

 魔族たちは苛立ち、罵声を飛ばす。責任の所在を押し付け合い、会議はただ混乱を重ねていく。


 そんな中、カイルは一歩前へ出た。

 彼の瞳は冷静で、誰よりも静かだった。


「補給が遅れるのは、偶然ではありません。仕組みの問題です」


 その言葉に、場の空気が凍る。

 角を持つ将軍たちが一斉に人間の若者へ視線を向けた。


「ほう……人間風情が“仕組み”だと?」

「貴様の国では、どうやって補給を運ぶというのだ? 羽も牙もない身で」


 嘲る声が飛ぶ。だがカイルは淡々と資料を机に広げた。

 そこには、地図と数字の羅列。通行ルート、魔力消費量、距離、食糧消費率――すべてが計算されていた。


「現状の補給ルートは、山岳地帯を通過しており、平均で四〇時間の遅延が発生しています。

 さらに、運搬獣の魔力維持に必要な供給魔石の数が不足しており、途中で止まるのは必然です。

 回避策として、平野部の第三道を夜間行軍用に再整備すれば、遅延は一日以内に収まるでしょう」


「なっ……!」


「さらに、通信符号が各部隊で統一されていないため、報告の伝達に平均七時間のズレが生じています。

 統一規格を導入し、報告書式を簡略化すれば、意思疎通も飛躍的に改善されます」


 淡々と並べられる改善案に、会議室が静まり返る。

 魔族の将たちは唸り、ある者は拳を握りしめた。


「……たしかに理屈は通っているが、我らのやり方を人間に教えられるのは気に食わんな」


「そう言われると思っていました」


 カイルは口角をわずかに上げた。

 そして、資料の最後に一文を書き加える。


「この改革案は、“戦わずして勝つ”ための第一歩です」


 リリアが横で静かに息を呑む。

 彼女は既に知っていた――カイルの言葉が、単なる理屈ではないことを。


「……よかろう」

 重い声が響いた。

 玉座に座る魔王ゼルファードが、ゆっくりと立ち上がる。


「人間参謀補佐カイル。貴様の案を、試してみる価値はある。実戦で結果を示せ」


 その言葉に、場がどよめいた。

 カイルは深く一礼し、静かに答える。


「承知しました。必ず、“結果”で証明してみせます」


 こうして、魔王軍の大規模改革は始まった――。



 翌日から、カイルは休む暇もなく軍施設を回った。

 倉庫、通信塔、野営陣。

 彼の姿を見かけるたび、魔族の兵たちは眉をひそめた。


「またあの人間だ……」

「数字だの帳簿だの、面倒くさい真似を……」

「戦いは“力”がすべてだろうに」


 そんな陰口にも、カイルは気にも留めない。

 彼の《分析》スキルは、対象を数値化し、構造を理解する力――まさに「効率化の鬼」である。

 彼は無駄を嫌い、理論で動く。


「この倉庫、同じ物資が三か所に重複していますね」

「な、なんでそれがわかる!?」

「在庫票の記入癖です。字の傾きで同一筆跡だと判断しました」


「……ひぃっ!」


 魔族の兵が慌てて在庫を調整し始める。

 小さな修正が積み重なり、次第に混乱が整っていく。



 一週間後、前線での戦闘報告が届いた。

 リリアが駆け込んでくる。


「カイル! 報告よ、補給が予定より二日早く届いたって!」


 彼は書類を束ね、微笑した。


「予定より二日……なら、成功ですね」


 リリアは息を弾ませながら頷く。

 兵たちの士気は高く、疲弊も少ないという。

 彼の設計した“効率的な動線”が、初めて戦場で機能した瞬間だった。


「魔族の中でも、あなたの噂が広がってる。“人間のやり方も悪くない”って」


「それは良い兆しです。信頼は、言葉より数字の方が早いですから」


 リリアは微笑む。

 しかし、その瞳の奥に、わずかな不安も宿っていた。

 ――このまま、彼が本当に“魔族の中心”になってしまったら。



 その夜。

 カイルは執務室で新たな改革案を書き連ねていた。

 通信符号の統一案、部隊間の報告網、魔力管理制度の原案……。


「ここまでやれば、魔王軍は変わる」


 独り言のように呟く。

 それは希望でもあり、警告でもあった。

 “変わる”ということは、“古い力”を壊すことでもある。


 ドアをノックする音がした。

 入ってきたのはリリアだった。


「こんな夜更けまで……また働いてたのね」


「休むと、頭が鈍るので」


「ふふ、相変わらずね。……でも、無理はしないで」


 リリアは机に視線を落とし、ふと、紙の隅に目を留めた。

 そこには一行――


『戦いとは、勝つことではなく、損なわないこと。』


「これは?」


「僕の恩師の言葉です。勝つだけなら、誰でもできる。でも、“失わない勝ち方”は、難しい」


 リリアは静かに頷いた。

 その目に、尊敬と少しの寂しさが混ざる。


「あなた、人間にしておくのが惜しいわね」


「僕も、そう思われるくらいになれたなら、悪くありません」


 二人の笑みが交錯する。

 だが、その光の裏で――

 暗闇の中では、別の影が蠢いていた。



 翌朝、魔族の一部将校が密かに集まっていた。

 人間参謀補佐の改革案が「魔族の誇りを奪う」として、不満を募らせている者たちだ。


「このままでは、魔王軍が人間のものになる……!」


「我らの誇りを、数字で測るというのか!」


「いずれ魔王陛下も、人間に操られるぞ!」


 その声は、やがて密談へ、そして――

 ひとつの“陰謀”へと形を変えていく。


 カイルの改革は、確かに軍を変えていた。

 だが同時に、それは“敵”の形も変えつつあった。


 人間から見放され、魔族に受け入れられつつある青年。

 その歩みの先には、必ず“代償”がある。

 彼自身、それを理解していた。


「――それでも、進むしかない」


 静かにペンを置く。

 夜の帳が落ち、蝋燭の炎が揺れる。

 紙面に浮かぶ文字は、まるで運命の設計図のようだった。

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