Day7-4 適切な距離
時は少し遡り
木曜日 正午過ぎ
カラオケ店『歌天原 南八雲店』での現地調査を一通り終えた俺は、一度自宅で昼飯を食べたり小南先輩にメールを送ったりと雑務を終えた後、とある場所へと向かっていた。
⋯⋯本当はもう少し早く来るべきだったのかも知れないが、中々決心が付かなかったからか、自ずと優先順位を下げていたのだ。
「今の俺に⋯⋯会う資格があるのだろうか」
そうボヤく視線の先にあるのは──『御影』という苗字が刻まれた表札。幼馴染ゆえに良く見知った文字ではあるものの⋯⋯今はそれがとても重い。
(会うべきか、それとも会わないべきなのか⋯⋯)
ユウカは毎日放課後に訪れているらしく、曰く比較的気持ちは安定している方なのだという。
話題は決して瀬高を連想させるようなものではなく⋯⋯中学校時代の話を掘り返しては思い出話に花を咲かせているとのこと。
ならばこのまま同性のユウカに任せておくのが一番なのではないか。そう思うのも自然であろう。
しかしユウカ曰く「早く会いに行ってやりなさい」の一点張り。先ほどもメールで小言を言われてしまった。
「⋯⋯俺なんかが会ってもな」
それよりも放課後に向けて早く文化財センターに向かったほうが良いのではないか?
下手に触れてアカネが調子を崩すくらいなら──。
──不意に、背後から大きな影が迫る。
まるで大型動物に覆われてしまうのではないかと言わんばかりの巨影に身構えてしまうが、振り返った先をみて、別の意味で硬直した。
「⋯⋯どうしたんだねトウマ君。ウチに用事があるんじゃないのか?」
御影アカネの父親が、そこにいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「楽にしてくれていい。そう緊張するな」
アカネ父に促されるまま、御影家へとお邪魔してしまう。そのままリビングへと通されて──何故か今、アカネ父が机を挟んで真正面に座っている。
アカネ父は、決して悪い人ではない。
悪い人ではないのだが⋯⋯。
「どうした、遠慮するな。食べていいぞ」
⋯⋯何故、俺の目の前にラーメンが置かれているんだ?
そんな至極真当な疑問を口にしたくなるものの、視界の端に映る筋骨隆々な太い腕が抑止力として机の上に鎮座している。
アカネ父は駅前でラーメン屋をやっている、所謂ラーメン屋の店主である。学生の味方を謳い、学生であればファストフード店よりも安くラーメンを食べられるお店で有名だ。
果たしてそれで採算が取れているのか──と思いきや、2号店3号店と市外に構えているようで、結構評判が良いらしい(アカネ談)
なら何故、素直にラーメンを頂かないのかって?
そりゃ、『学生向けラーメン』を提供する店なのだ。華の男子学生に振る舞う量と言えば──文字通り大きさの『桁』が異なる。
「⋯⋯おじさん。多いっす」
「なんだ。食えないのか」
⋯⋯⋯⋯そう言われて断れるだろうか。
断ることができるわけないだろう⋯⋯?
先ほど家で食べてきたばかりではあるのだが⋯⋯振る舞ってもらった以上、残すわけにはいかない。
やむを得まい────いざっ!!
箸を手に取り「いただきます!」と威勢よく声を上げる。
これに謝意はまるでない。戦いに臨むチャレンジャーの咆哮だッ!!
ズルズルズルズル⋯⋯。
ズルズル⋯⋯。
ズル⋯⋯。
⋯⋯。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ハァ、ハァっ⋯⋯ご馳走様、でした」
なんとか完食こそしたものの⋯⋯その代償はあまりにも大きなものであった。
まず、腹がはち切れそうだ。
パンパンになった胃が、食道や肺に向けて圧力を掛けているのがよく分かる。
そして、脂が重い。
どこから出してきたか分からない、これでもかと言わんばかりの分厚いチャーシューが内臓の粘膜という粘膜をいじめ抜く。
最後に⋯⋯麺が太かった。
咀嚼するのにも一苦労だし、最後の方は麺が汁を吸って重くなっていた。実質『油の汁』を飲んでいたに等しい。
「うむ」
そんな死に体の俺の姿を見て、どこか満足気な様子のアカネ父。振る舞ってもらって言うのもなんだが、この量のラーメンは常識外れだって⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯満足されましたか?」
息も絶え絶えながら、辛うじて残っている理性を働かせて問いかける。
何故突然こんなことを仕掛けてきたんだ⋯⋯?
「⋯⋯これなら、アカネを任せられそうだ」
不意に、アカネ父が、そう言葉を溢した。
聞き間違いをしたかと思い、彼の顔を改めて見ると⋯⋯どこか淋しげな表情を浮かべている。
「どういう⋯⋯ことですか」
俺とアカネは幼馴染──されど幼馴染というだけだ。少なくとも彼女の父親と信頼関係を築くようなことは、これまで意識してやってはいない。
それにその顔は、まるで⋯⋯。
「⋯⋯まるで嫁入り前の娘を見送るかのような顔をしてますよ。俺とアカネはそういう関係じゃないですから」
そう自分自身に言い聞かせるように、言う。
少なくともアカネにとって、例え一件が落ち着いたとしても、暫く色恋関係は遠慮したいだろう。
そんな中で、俺が『そういう目』でアカネを見ていたと知られてみろ。幻滅されるに⋯⋯決まっている。
しかしアカネ父は、静かに首を横に振った。
「いいかいトウマ君。人付き合いの形には正解がない。仲のいい人がいたら、その人と必ず付き合わないといけない⋯⋯そんな決まりはあるのかね?」
「いや、そういうのは決まってませんが⋯⋯」
「自分以外の誰かと接する時──その人にとって最も適切な距離を保つことこそが、理性の根源的な部分だと私は考えている」
⋯⋯言わんとすることは、分かる。
友達であれば友達としての距離。
恋人であれば恋人としての距離。
家族であれば家族としての距離。
人は自ずと、自分にとって適切な距離に相手を置いて、『心地良い関係性』を築き上げるのだ。
「⋯⋯今、トウマ君がアカネのために頑張ってくれていることを知っている。その果てに何があるかは分からないが、結果はどうあれ、2人の関係性は大きく変わるだろう」
「それは⋯⋯」
⋯⋯違う、とは言い切れなかった。
果たして、これまで通りにアカネと接することは出来るだろうか。
残念ながら、それは難しいだろうと俺は思う。
悔しいが⋯⋯アカネが催眠術にかけられたことによって、この恋慕の気持ちが一層強かったのだと自覚させられたことは否定しない。
そんな邪な気持ちを持っている俺が⋯⋯これまで通り『カードゲーム馬鹿』としてアカネと接することが出来るのだろうか。
それに今は⋯⋯もう一人、脳裏を過ぎる人がいるから。
「私はね、トウマ君。ユウカちゃんもそうだが、君達みたいな人がアカネの周りに居てくれて本当に良かったと心からそう思っている。家族であったとしても、きっと君達の代わりは務まらない」
「⋯⋯」
「だからこそ。トウマ君が決めた『アカネとの距離感』を私は信じる。例えどのような形になろうとも、君の決断を尊重することを誓おう」
それはつまり⋯⋯アカネを信じているから鏡宮トウマの存在を容認するのではなく、鏡宮トウマという人間を信じているからアカネとの距離感を容認するということだろうか。
「⋯⋯こうも過剰に感謝されると、逆に萎縮してしまうんですけどね」
「そう寂しいことをいうな」
控えめに捉えたとしても、一定の評価を得ていると考えても良いのだろう。⋯⋯ただ言われる分には、素直に嬉しいというのが正直な所だ。
「だからこそ、今のアカネと話をして欲しい。きっと家族でない君だからこそ⋯⋯届く言葉があるのかもしれないから」
そう言ってアカネ父は、静かに頭を下げた。
自分なんかより一回りも大きい、彼女の父親が。
家族以外の男に、決してその軽くない頭を下げたのだ。
(あぁ、そうか)
何故、御影家の前で入ることを躊躇っていたのか。今ならそれを言語化出来る。
(⋯⋯怖かったんだ。相手のテリトリーに入ることが)
俺は期せずして、それも願わずして、他人の心を読み取る力を得てしまった。
すなわち『相手のことを一方的に知る能力』であり──自らの意思で相手との距離感を変えることのできる能力に相違ない。
それによって助けられてきた面もあるが⋯⋯それ以上に辛い経験の方が遥かに多かった。
アカネに催眠術をかけられていることを知った時。
彼女の想いが踏みにじられていると知った時。
何時間も指導室に拘束され、詰問を受けた時。
⋯⋯クラスメイト全員から後ろ指をさされた時。
もしもこんな能力を得なければ⋯⋯使おうとしなければ、こんなに辛い目に遭わなかったのではと心の何処かで思っていた。
だからこそ不用意に相手の素性を明かすような真似が怖くなって。そして次第に、アストラルカードを使う自分自身が怖くなって。
⋯⋯これまで築き上げてきた信頼という城壁が、実は穴だらけで独り善がりなものだったのではと自覚せずにはいられなかったのだ。
距離感が変わって、これまでと異なる質感でアカネと接することになることが⋯⋯怖かったのだ。
だから俺は、心のどこかでアカネを遠ざけていた。
アカネの想い人は俺ではないと、決めつけて。
もしかしたら本当に、想い人は俺ではないかもしれない。けれどそれを怖気づくようにして決めつけて、こちらから距離を取るのは、また話が違う。
(⋯⋯恋愛って、良くわからないな)
幼馴染として10年以上の付き合いがあっても、その好意の程度は良くわからないし。
かと言って会って3日も経たないうちに、好意を向けてくるような人もいるし。
⋯⋯きっと俺の恋愛偏差値が低いせいだな。
カードゲームばかりやっていたツケが回ってきたってわけか。
「⋯⋯任せてください。俺はアカネの幼馴染なんですから」
今ならアカネの幼馴染であると胸を張って言える。そんな気がした。
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