Day6-3 声を聴かせて side小南チヒロ

「何をやっているんですか、瀬高くん」



サッカー部軍団の後方から現れたのは、生徒会長、『天野サヨ』であった。


天野サヨという人物を知らない者は、この学校において一人もいないとされている。


成績優秀で清廉潔白で、それでいて皆から慕われる⋯⋯というか皆が『認めている』存在。それは生徒だけに限らず、この八雲高校に勤める教職員でさえ例外ではない。


彼女が白といえば白、黒といえば黒。

まるで全てを従えているかのような、そういう存在だ。



そんな彼女がここに来たということは、この一件を認知して関与を決めたと言うことだろう。


(昨日のうちに布石を打っておいて良かった)


昨日廊下で話した時、そしてトウマ君と別れた後の2回、彼女との接触を図っていた。


誘惑云々は口にせず『サッカー部の暴走』と『原賀による独断での面談強行』について報告。それによりアカネ君とトウマ君の2人が学校を休まざるを得ない状況に陥っていることを訴えたのだ。


(昨日の段階だと半信半疑といった様子だったけど、朝の一件で確信に至ったようね)


朝から瀬高と接触するという気味の悪い目に遭ったが、怪我の功名といったところでトントンだろう。




そうして考えている間にも、天野サヨはサッカー部の集団を切り崩さんとばかりに、その持ち前の鋭い目付きで瀬高や原賀を睨んでいた。


「⋯⋯大体、朝から何ですか騒々しい。公共の場で異性に迫るなんて破廉恥なこと。汚らわしい」


うーん⋯⋯。ちょっと潔癖が入ってないか?

概ね同意ではあるんだけどね。実際汚いし。



「ちげぇって!コイツらが俺の女に手を出したんだ!」

「俺の女、という定義は分かりかねますが、特定の異性がいるのに、小南チヒロさんに迫るのは不貞行為そのものではなくて?」

「ち、ちげぇし!アカネは俺の友達だ!」


そう反論するものの、瀬高の旗色は相変わらず悪い一方。自分の失言で自分の首を絞めているのだから、やっぱり瀬高は馬鹿だなと改めて思う。


「大体、鏡宮のヤツが全部悪いんだ。原賀先生だってそれは認知しているんだぜ!」

「そ、そうだ! 鏡宮が騒動の発端で、しかも登校拒否をしている始末なんだ!」


しかしそれでも彼らは諦めが非常に悪かった。

原賀も反論に加勢して、なんとか天野サヨを言いくるめられないかと試みるも────。



「──話になりません。昨日実施されたいた、鏡宮トウマ君への3時間にも及ぶ生徒指導内容について、既に確認させて頂きましたが」


はぁ、と天野サヨがため息をついて。


「貴方がたの個人的な復讐心に、この学校のシステムを使うのは止めてください。健全な学び舎として機能しなくなる要因となります」



彼女の強烈な一撃。

つまるところ『私怨を持ち込んで学校を荒らすな』という発言に、瀬高も原賀も後ずさる。


当たり前といえば当たり前な話なのだが。

彼らに対してそう言えるのは、この学校では天野サヨしかいないのだと、改めて痛感した。



「まず今すぐにでも、この不愉快な集会を解散させなさい。もう各教室で朝のHRが始まりますので。それと⋯⋯」


そして天野サヨは、事実上の処刑宣告を唱えた。


「⋯⋯サッカー部は活動停止。放課後は全ての部活動が活動終了するまで校内清掃に従事して下さい。新しい部長を立てましたら、活動再開を検討しましょう」


加えて「勿論、原賀先生も例外ではありませんよ」と。

⋯⋯彼女の執行権は、例え目上の教職員でも叶わない。




彼女の発言は、まさしく『鶴の一声』。

生徒会長になったあの時から⋯⋯いやその前からも。


散っていくサッカー部員達を背に、天野サヨがコチラを向いた。


「⋯⋯これで満足かしら?」

「十分過ぎるほど。もっと早く出てきてくれても良かったのよ?」

「確証が欲しかったもの。それに、無闇にこの生徒会長としての立場を利用するのは望ましくないもの」


生徒会長としての立場⋯⋯ねぇ。



「ともかく、これでしばらくすれば平和になるでしょう。小南チヒロさんもクラスに戻りなさい」


そう言って彼女はこの場を後にした。

彼女が去った廊下には、音さえも残らない。

まるで世界そのものが息を潜めているかのようだった。


そんな静寂を改めて目の当たりにして、思う。



(⋯⋯トウマ君から『瀬高が催眠術を使う』という話を聞いた時。その言葉をすぐに信じられた理由がコレよ)


催眠術なんて非科学的なものは信じない。

オカルトなものなど、証拠がなければ考えるに値しないと思っていた。


だがしかし、本当にそんな超常現象が存在するのだとしたら──。


(──天野サヨが持つ力も、恐らくは)



ともかく、これ以上考えても仕方がない。


もうすぐ朝のHRが始まるが⋯⋯瀬高に触られたところが痒くて痒くて仕方ない。

⋯⋯まずは顔を洗いに行こう。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇



朝のHRを知らせる鐘が鳴る頃。


私は未だに、女子トイレ内にある手洗い場で顔を洗っていた。



(汚い⋯⋯)


瀬高が触れてきた、あの手が。

酷く卑猥で矮小なものにみえて仕方ない。


(汚い、汚い、汚い⋯⋯)


しかし何度洗っても、あの時の感触が消えずに残っている。むしろ擦る度に皮膚の下まで浸透していっているのではと錯覚してしまう。


それと同時に脳裏に浮かぶのは──瀬高と原賀が浮かべていた、あの汚い笑顔だ。



瀬高に掴まれた直後は、恐らく興奮状態だったから気にならなかった。

しかし今こうして思い返すと⋯⋯。


(私が⋯⋯もし催眠術を掛けられていたとしたら)



私が、瀬高の催眠術に掛かることは決してない。

それはトウマ君が好きだから、という理由ではないことは分かっている。

そうだとしたら、アカネ君が催眠術にかかるわけがないのだから。


理由は簡単。ただ1つ。

私が、ヤツのことを殺したいほど憎んでいるからだ。

瀬高はミクの将来を奪った元凶。そんなヤツに心を開ける余地など微塵も存在しない。


⋯⋯だからこそ、私は睨むように直視してしまった。



(瀬高が『獲物』に対して向ける、あの下卑た目を)


興奮状態から収まりつつある今なら、それが明確に思い出される。

あの狂気に満ちた目は──まさしく悪魔だ。




「あっ」


そう思った瞬間。

私の膝から力が抜けた。


あまりにも唐突だったため、足を捻り、そして全体重をもって床と膝がぶつかった。


しかし痛いという感情より先に湧いて出ていたのは⋯⋯後悔にも似た同情心だった。



「そうか⋯⋯ミクも、アカネ君も。あの目を向け られていたんだな」


それなのに私は『催眠術を掛けられて魅了されていた』の一言でまとめていた。彼女達の苦しみを、分かったつもりになっていた。


「⋯⋯怖かった」



思わず口から溢れ出たその言葉を皮切りに、私の涙腺が僅かに緩む。

まるで水が並々と注がれたコップの縁が、土塊の如く、徐々に崩れていくような。


そして、その気持ちを自覚した今──コップはその形を留めることが出来なくなった。



「怖かった、怖かったよぉ⋯⋯」


手が震え、足に力が入らない。

涙が頬を伝って、ひざ元へと落ちていく。


1人で瀬高と対峙して。

あの下卑た目を向けられて。


もし隣に誰かがいたら、別だったかもしれない。


トウマ君がいてくれたら、身を挺して庇ってくれただろう。

ミクがいれば、手を強く握って、目を覚まさせてくれただろう。


でも今日は⋯⋯私ひとりだった。


そう考えるだけで身体の震えが止まらない。

まるで全身を巡る血液が氷水かのように、酷く身体が重かった。



「⋯⋯ヒック。怖かった、怖かった⋯⋯」


自分でも、ここまで女々しく泣けることに驚いていた。

どんなヤツが相手でも、ミクのためなら戦える自信があったはずなのに⋯⋯。


⋯⋯なんて私は、弱いんだ。




「助けて、助けて⋯⋯」


縋るように、自身のスマホを開く。


せめて声だけでも聞きたいと、トウマ君の自宅へ電話を掛けようとするが⋯⋯。


(⋯⋯こんな格好悪いところ、見せたくないな)


彼の前では、常に格好良い小南チヒロでありたいという自尊心の気持ちが先行して。

『鏡宮トウマ』をタップする指が直前で止まった。



しかし、スマホのディスプレイへと落ちた涙が誤反応を起こしたのか。


「あっ⋯⋯」


『鏡宮トウマ』の一個下の人物へと、電話発信がなされてしまった。



間違って押してしまったのなら、早く発信を止めれば良い。

そうは頭が分かっていても、呼出停止ボタンを押すことが出来なかった。


でもいい、誰かと話したい。

⋯⋯いや、それは嘘だ。誰でもじゃ良くない。



その画面に名前が映し出されている人物。

──────『紗月ミク』と、話がしたい。



祈るようにスマホを耳にあてるものの、無慈悲にコール音が鳴るばかり。


ただ、今はそのコール音ですらどこか心地良く。

ようやくミクの心に向き合えるようになったという気持ちだけでも、嬉しくて⋯⋯⋯⋯。




『⋯⋯もしもし』



電話の向こうから、よく知った声が聞こえた。

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