月に踊るナナコ 前編


 ルナリア。月生まれの月育ち。地球より提供された臍帯から作られた77式クローンは、皆、月で作られ、月で育った。1/6Gの重力で育ったために低重力障害を持ち、筋肉や骨が弱く、そのままでいれば地球の重力には耐えられない身体となっている。


 月で働く職員たちも同様に、低重力障害になることは多い。月施設内では広く運動スペースが設けられ、皆一定の運動を行うことが義務付けられていた。




 ぎしぎしとルームランナーの軋む音が響く。黒髪の少女が手足にパワーアンクルを嵌めて懸命にただ走り続けていた。金髪碧眼の世話係の男は片手にバインダーを持ち、細かく記録をつけていた。男が腕時計に目をやると、ちょうどアラーム音が鳴り響いた。ルームランナーが徐々にスピードを落とし、少女もそれに合わせるように歩行を緩めた。


「――はぁっ、はぁ……」


 息を切らす少女に世話係がストロー付きのボトルを手渡す。少女が柔らかな唇をそっとつけて、中の液体をゆっくりと飲む。独特の喉に張り付くような粘りを感じる飲料は味が薄く、少し気持ち悪い。少女は重たい身体を休めるようにその場に膝をついてから座り込んだ。


「ねぇ、ハード過ぎない? この後出撃あるのに……」

「――身体づくりはパイロットの基礎だ。……脊髄適応システムの場合、身体能力の向上がレイファーの運動性能に直結すると考えられる」

「だからって何も重力下訓練なんてしなくても……」


 少女……775、もといナナコはそうぼやくように言うと、世話係が短くため息をついて、ルームランナーに表示されているデータを手元の書類に転記し始めた。

 ナナコは男を見てつまらなさそうに口を尖らせた。出会ってからほとんど目を合わせようともしない男。一方的にナナコなんて名前をつけたくせに、自分は名乗ろうともしない。仕事にしか興味ないのだろう。毎日食事の用意と、このトレーニングばかりさせられて、休む間もない。


「そういえば、今日の出撃からレイファーがカスタムされるって説明受けたけど」


 技術部の作業員から事前に説明を受けていた。前任者が半壊させた、レイファーMk-Vがオーバーホールされて戻ってくる。いままではコクピットブロックだけを移植したMk-Ⅲを使っていたから、機体が新鋭機になるというのは少しワクワクする。


「あぁ、聞かされている。楽しみなのか?」


 ナナコはレイファーに乗るのが好きだった。何故かはわからない。ただレイファーに乗っている間は自由であるような気がナナコにはしていた。だからMk-Vに――最新鋭機に乗れるというのは、より自由に月の周りを飛び回れるということで、それが楽しみでないわけはなかった。


「えぇ。そりゃあね。どんな感じなのかな」

「Mk-Ⅳは、長距離航行爆撃を想定したカスタムだったが、今回は月基地防衛を主体にしている。装備はMk-Ⅳカスタムのロングレンジライフルと背面バーニアがフレキシブルバーニアに変更され、内蔵式のフィールド発生装置が搭載される」

「――ふぅん……って聞いてもよくわからないわね」

「……乗ればわかる。あれはそういう風に出来ているからな」

「まぁね」


 レイファーシリーズはMk-Ⅳから脳波コントロールが実装され、その操縦方法はより直感的になった。機体情報も脳に直接流し込まれるようで、教えられてなくてもその使い方はすぐに理解できた。実際Mk-Ⅲに乗ったときも特に説明は受けなかったが、装備の取り回しや機体の制御方法も、理解できた。


「――さて、そろそろドックに向かおうかな。そろそろ時間でしょう」


 世話係が腕時計をちらりとみて頷く。火星人の襲来は予測ができている。というのも時空圧縮による長距離移動は事前に次元の歪みが観測される。七カ月の距離を一瞬で跳躍するため、その予兆はかなり早い段階からもたらされるのである。


「そんなに楽しみなのか? レイファーに乗るのが」

「――だって私の身体だもの。楽しみに決まっているわ」




 ドックに搬入されたばかりのMk-Vをナナコは見上げて感嘆の吐息をこぼした。Mk-Ⅲに比べて白の流線型のボディと前に突き出るように2本伸びた大型頭部アンテナはどこか兎の耳のようで可愛らしく思えた。世話係の説明の通り、背面には大型のブースターがアームによって取り付けられ、自在に方向を変えられるようになっているらしい。


「――ちょっと大型だね」

「装甲も厚くしてあるからな。その辺りはMk-Ⅳカスタムから継承されてる」


 世話係がMk-Vを見つめて、表情を曇らせたように思えた。火星に行ったっきりのレイファーMk-Ⅳ。火星への直接攻撃という計画が失敗に終わったのか、計画から一年、まだその結果はもたらされていない。

 ナナコがコクピットブロックに近づくと世話係がハッチを開いて無言で搭乗を促してくる。


 四肢を拘束するユニットに、背面脊髄適応コネクタ、ヘッドバイザーと見慣れたコクピットにナナコは乗り込む。手足をユニットに差し込み、世話係が脊髄から飛び出た端子に背面コネクタを接続させていく。1つ差すたびに身体がぴくりと動く。神経を通って刺激が身体を走る。全て接続し終えてから、ヘッドバイザーを被せられ、駆動音の後、頭皮に金属端子が押し付けられて、びりっと痺れるような感覚の後、視界がレイファーのカメラへと置き換えられた。


 下を見る。展開したコクピットブロックの直ぐそばに世話係が立っていた。いつもはすぐに離れていくというのに、どうしたのだろう。周囲を見回している。

 そう思っていると、おもむろに世話係がコクピットに乗り込んできた。狭いコクピットの中に世話係の気配だけ感じ取れる。レイファーに感覚を移しているため、どちらかというとお腹の中に人がいるようでナナコはなんとも気恥ずかしい気持ちを覚えた。


「ちょ、ちょっとなんで乗り込んでいるの!?」

「――見てたのか。面倒だな……ハッチを閉じるぞ」

「ちょっと待……」


 レイファーのコクピットブロックが格納され、機体に熱が入る。同時に発進シークエンスが自動で始まり、レイファーが機密ブロックへと運搬される。


「世話係! どうして乗っ……」


 声をあげたところを口元を手で覆われる。


「狭いんだ。耳元で叫ぶな。――コクピット内の音声と映像はすでに差し替えてある。このまま出撃するぞ」

「……き、危険よ。戦いにいくのよ?」

「――望むところだ。俺は……あいつを迎えに行く」

「あいつって……」


 機密ブロックに入り、ドックの扉が閉められる。ナナコは世話係の行動に混乱しながらも機密ブロック内で出撃の姿勢を取った。

 機密ブロックの外壁の扉が開かれる。ナナコは戸惑いながらも世話係の言う通りに出撃した。


 月基地から宇宙空間へ飛び立つ。今回の火星軍の出現位置は月から少し離れているため、小型移動艇を使って移動する。ナナコの視界の隅にガイドが表示され、ナナコは示されるままレイファーを動かす。Mk-Ⅲよりも感覚がより鋭敏になったのを感じる。この身体は動きやすい。だけど同時に身体の中に小人を抱えているような感覚は気持ちが悪い。


「世話係――どうしてこんなことしてるのよ」

「……」

「だんまり……ね。あれ……?」


 機密ブロックの外に、レイファーを搭載できる小型移動艇がある。レイファーのカメラ越しに捉え、ナナコは首を傾げた。いつもより普通の小型艇にさらにメガブースターが取り付けられていた。


「補助ブースターがついてる。なにあれ。あれに乗っていくの?」

「あぁ。そうだ」


 手を伸ばし、小型艇を掴んで、手のひらのコネクタを接続して操作する。小型艇が基地から切り離され、ブースターが点火し、月から離れていく。


『――よぉ、世話係。また大立ち回りしてるのか?』


 小型艇を通して通信が届いた。


「おっさん……。大丈夫か。こんな通信をして」

『いいってことよ。こっちはうまく処理しといてやる。基地の方は俺に任せておけ』

「恩に着る」

「……ちょっと何勝手に話を進めてるの? 私にもちゃんと説明して」

『なんだ。775には話してないのか』


 レイファーがナナコの動きに合わせてこくこくと頷く。


『――こいつはあんたらを助けたいんだとよ。とはいえ、俺も基地の人間だ。手伝えるのはこれまでだ。――例のコンテナも載せておいた。……健闘を祈るぜ。世話係』


 そう言い残して通信が切れた。


「助けるって、どういうことよ」

「……そのままの意味だ。ここにいたら、お前はナナヨと同じように使いつぶされる。その前にお前を地球へ降ろす」

「!?」

「――その前に1つやってもらいたいことはあるけどな……。と、そろそろ敵のお出ましだ」


 ナナコの視界に次元震が観測される。空間が歪み、敵母艦が二隻ワープアウトし、すぐさま敵の羽虫のようなデザインのオートマトンが出撃した。無数の光が尾を引くように広がり戦隊を組む。

 腕部のユニットから肌にちくりと痛みが走る。薬が注入され、心臓の温度が少しあがるような感覚の後、脳が、目が、覚醒するように鋭敏になる。気持ちが戦闘モードへと切り替わっていく。


「――世話係! ちゃんと掴まっててね!」

「こっちは気にするな。やってやれ」


 ナナコがにっと口元をあげる。足に力を入れて、小型移動艇から離れる。移動艇は光学迷彩を展開して姿を隠した。レイファーの背面ブースターから虹色の光が広がり、羽のように広がり、宇宙を走る。

 カメラに捉えた無数のオートマトンをナナコは目でロックオンし、レイファーの左腕を前へと突き出した。左腕が展開し、光の粒子がチャージされ、ホーミングレーザーが放たれる。回避しようと逃げ惑うオートマトンを1つ1つの光の束が追尾して撃墜する。展開していた腕が元に戻り再度チャージが始まる。レイファーは右腕に携行したロングレンジライフルを構えて、狙いを定めた。


「まずは一つ目!」


 背面ブースターの間に設置されたエネルギーパックが熱を帯びる。レイファーを通してエネルギーがチャージされ、バレルが赤熱する。ナナコの眼には敵の大型母艦がロックオンされていた。

 引き金を引く。太いビームが発射され、数秒の照射のあと、赤熱したバレルがパージされる。放たれたビームは敵母艦を直撃し、爆散させた。


「すごい威力……」

「気を抜くなよ。オートマトンが近づいてる」


 ライフルを腰にマウントし、交換用バレルが装着される。オートマトンから反撃のビームが飛び込んでくる。ナナコは足に力を入れて、背面ブースターが可動してその攻撃をかわし、掠りそうな攻撃を、特殊フィールドが打ち消していく。


「回避も防御も完璧じゃない! やっぱりレイファーは凄いわね!」


 左の腰に提げられたマシンガンを抜いて、近づいてくるオートマトンの群れをフルオートビームマシンガンで迎撃する。

 ナナコは、戦いが好きだった。そのために生まれてきたと世話係に会うまでは教育されてきた。そのために生きるのがナナコの目的だった。

 レイファーという身体を動かすために、その時間だけが私の生きている意味だったのに。


 ――レイファーのお腹の中で今、一緒にいる世話係。彼に出会ってからレイファーに乗っていない時間に少しだけ意味が生まれた。

 何のためにしているかわからないトレーニング。言葉だってそんなに交わさないのに、食事や体調だけは随分と気にかけてくれる人。私をナナコと名付けた人。


「――一撃だって当たってあげないわよ」


 だって今、お腹の中には世話係がいるんだもの。

 私が――守らなきゃ。


(――……ヴ……レヴ……)


 頭の中で声が響いた。守らなきゃって……。月を……地球を守るのが私の生きる意味で、私は。

 何かが重なるような感覚。


(……私……戦うからね。一つでも……敵を……して、あなたを守るから)

「ぐっ!」


 頭が痛い。ロックオンアラートが鳴り響く中、腕部に鎮痛の薬が投与される。痛みが急速に抜け、また頭が沸騰するような感覚が走る。血が鼻から垂れる。


「大丈夫か。ナナコ」

「――大……丈夫」


 ロングレンジライフルを引き抜く。もう一隻の戦艦をナナコは睨みつける。早く終わらせる。その一心で、チャージを開始し、引き金を引いた。ビームが戦艦目掛けて一直線に伸びた。一撃で沈められる。ナナコはそう思いながらビームの行く先を見つめながら、オートマトンにホーミングレーザーを放つ。


 無数のオートマトンを撃墜するなか、母艦の目の前で、ビームが弾けて無数の光の線をなぞって霧散した。


「な……!」


 母艦の前に、一機の人型兵器が浮かんでいた。黒に真紅のライン。流線型のボディに大型のアーマー。片手にはロングレンジライフルを構えていた。


「レイ……ファー?」

「Mk-Ⅳカスタム……? まさか……」


 世話係が戸惑いの声をあげた。震える声に、今まで感じなかった感情があった。ナナコは視界に入る人型機動兵器レイファーを見つめた。


 レイファーMk-Ⅳカスタム。


 火星で消息を絶った機体。


 世話係が初めて担当した77シリーズの搭乗機がそこにいた。



 


 

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