第43話 母の企みはなんと
あかりは自室でガッツポーズをした。
「よし!」
障害年金の手続きが終わった。医師に診断書を書いてもらうのに随分時間がかかったが、半年経ってようやく申請が終わった。申立書を書くのは大変だったのでサポートしてくれた社労士には頭が上がらない。
「……どんな結果でも受け止めよう」
最初から落ちることを考えて不安になってしまうあかりであった。
机の上を片付ける。その上にあるものを見てにやける。それはポラリスで書いた履歴書三枚だった。まだ写真を撮っていないがちゃんと震えずに書くことができた。空白期間が情けないが嘘を書くわけにはいかない。
(写真って写真館とかで撮った方がいいのかな? 機械のやつの方が安いけど……就活って思ったよりお金がかかる)
ため息をついてベッドに座ろうとすると声がかけられた。
「あかり」
「お、お母さん?」
またもやノックなしで母は現れた。本当に心臓に悪い。あかりは立ち上がった。
「だから、入るなとは言わないけど、ノックしてよ。本当に驚くんだから」
「これを着なさい」
母はあかりの言葉には我関せず、ポンと白い袋をあかりの横に放った。
紙袋で開けると中にオフホワイトのワンピースが入っていた。茶色の線で花柄が描かれているシフォンのような素材だ。他にもストッキングとパールの長いネックレスが入っている。
「お母さん、これは一体……?」
「言ったでしょ」
母はもう決まったことのように宣言した。
「久しぶりに一緒に出かけましょう。着替えている間は待っているわ。ああ、ちゃんと化粧もするように」
思えば母は身綺麗にしていた。ブラウスにスカーフを巻いて濃い緑のスカートを履いていた。
「お母さん、待ってってば!」
あかりは母を追いかける。母には目的地があるようだがあかりには分からない。
母娘は三宮の大通りを歩いていた。あかりは白いワンピースを着て、パールのネックレスを首にかけていた。履き慣れない就活用のパンプスを履いているので歩くのが遅い。母の恐ろしさというべきかサイズはぴったりだった。
母の迫力にメイクまでしてしまい、自分の流されやすさが嫌になるあかりだった。本人に自覚はないがそれなりに綺麗になっていた。
母は一度振り返るとじっとあかりの足元に顔をしかめた。幅広の真っ黒なパンプスが気に入らないらしい。
「それしか靴はなかったの? まるで会社にいくみたいじゃない。もっとお洒落なの持ってなかったの? 黒なんて、せめてベージュとか」
「そんなの履かないし、履かない靴を買うほどお金はないよ。ねえ、お母さん、どうしたの? 急に服まで用意して私と、で、出かけたいって」
「お金がないならそういえばいいでしょう? それにバックだって、もっと小さいのはなかったの?」
あかりのバッグは基本的に大きいものしかない。一応就活用に買った新品の真っ黒の皮の鞄だがこれも気に入らないらしい。
母はこんなに見栄っ張りだったろうか。あかりと三宮に出かけるためにこんなにオシャレを望むなんて意外だ。
(お母さんと出かけるなんて子供の頃以来だ)
内心、嬉しかった。母のことを恨んでいる一方で母と出かけるというシチュエーションに憧れていた。
幼少期から持つ「家族は仲良くあるべき」という価値観はそう簡単には変わらない。ミドリを思い出す。あの仲の良さなら彼女はこんな風に休日に母親とよく外出するのだろうか。
あかりは立ち止まった。気付いた母も雑踏の中で振り返る。
「お、お母さん、出かけるのはいいよ。服だって買ってくれて嬉しい。でも行き先教えてよ。そうじゃないと歩くの自然に遅れちゃう」
「行き先?」
母は初めてそれを言っていなかったことに気付いたようだ。母はこういうところがある。いつも突然に物事を決めて報連相をしないのだ。
「あそこよ」
母は十階建てほどのビルを指差す。あかりはほっとした。
「そうなんだね。あそこにカフェでもあるの? それとも今日は買い物?」
母はがしと力強くあかりの手を握って、ビルへ急がせた。
「言ったでしょう、お見合いしなさいって」
あかりは固まっていた。
母に連れられてきた場所はビルの五階で中くらいの広さのホールだった。アジールの会場ほどだろうか。アジールと違って赤い絨毯が敷かれて、キラキラしたシャンデリアが天井を飾っている。
ホールにはあかりのようにワンピースを着た女性とスーツを着た男性がたくさんいた。会場の女性の中では太っているあかりは気恥ずかしい。
隣にいた母は胸を張って会場の真ん中に立っていた。そんな母にあかりは暗い目を向ける。
「お母さん、これって……どういうこと?」
「最近は大変ね。お見合いするにも誰も教えてくれなくて。本を読んで、最近の人はこういう場所でお見合いするってやっとわかったの」
あかりはようやく母は半年前に言った「お見合い」のことを言っているのだと分かった。あの時、あてはあるのか、と返した後に引き下がったと思っていたが諦めていなかったらしい。
「四十代婚活パーティ」。入り口にはそんな筆で書かれた紙が掲げてあった。
勝手に人の名前でこんなものに申し込まないでほしい。
(お母さんが一緒に出かけてくれるなんて浮かれて、バカみたい)
トイレに行こうと入り口に向かうとささっとスーツ姿が美しいスタッフの女性が話しかける。すっと人が並んでいる列を指差した。
「お客様、女性のエントリーはあちらです」
「い、いえ、私は参加しませんから」
「あかり! どこいくの!」
ホールに母の声が響く。あかりは何もかもが嫌になっていた。
トイレから帰ると母の顔を見た。実に満足そうであかりは逆に不満たらたらだ。
(どうしよう、帰ろうかな。でもお母さん怒るかな)
母が怒ることは子供の頃から苦手だった。まるで自分だけが正しいとばかりに怒鳴りつけるのだ。だからあかりはほとんど母に口答えをしたことがない。
(いやいや、私は結婚なんかしたくないし)
しかし優柔不断なあかりを婚活パーティは待ってくれない。母に引きずられてあかりはエントリーの列に並んでしまった。しかし、婚活パーティとはエントリーが必要なのだろうか?
会場はザワザワとうるさかった。隣の母だけが元気だった。
(音がうるさい……ノイズキャンセリングイヤホン、持ってくるんだった)
元々うるさい場所で声を聞き取るのは苦手だ。しかしあかりにはクスクスという周囲の声が聞こえてしまった。
……「なにあれ、母親同伴?」……
……「いい年して親と婚活とか都市伝説だと思ってた」……
……「手まで繋いで女のマザコン?」……
嘲笑されている。あかりはハッとして母に振り返った。
「お母さん、やっぱり私、帰るよ。結婚なんかしたくないのにこんなとこ来ても仕方ない」
「今更なに言ってるの!? せっかく予約までしたのに……」
「頼んでない!」
あかりは母の手を振り払って、会場の外に出た。このまま帰ってしまおう。
「あかり!」
あかりが一人でエレベーターに乗り込むと母が追いついてきた。二人きりのエレベーターの中で母娘は怒鳴り合う。
「なにしてるの!? パーティはこれからなのに!」
「言ったでしょ! 私は結婚したくない、働いてあの家を出るの!」
母は声を荒げ、その甲高い音がエレベーターの中で反響した。
「なんで黙って親の言うことが聞けないの。働くって障害者の施設でしょ! そんなみっともないこと絶対やめて、あんたは結婚してまともな人間になるの!」
「……いい加減にして!」
「発達障害なんて恥ずかしい! どうして私の娘が障害者なんかに……あんたが普通にならないと私も普通じゃないみたいじゃない! 私もあんたもまともな人間、発達障害なんかじゃない!」
パァンとあかりは母の頬を平手打ちした。思えば面と向かって母に逆らったのは初めてかもしれない。その瞬間、エスカレーターのドアが開く。
「あかり……?」
母は滅多に逆らわないあかりの行動に驚愕して固まった。
「発達障害は恥ずかしくなんかない! お母さんが差別主義者なだけでしょ!」
あかりは母を振り切って、エスカレーターを出ると雑踏に消えた。母は追ってこなかった。呆然としたまま母と娘の間でエレベーターが閉まった。
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