1-3 七月上旬。期末テストと油性絵具

 七月上旬。一学期の期末試験が終わった。


 『普通』を追い求める学級委員長、秋月桜(あきづきさくら)は学年一位の成績をたたき出していた。


 なぜ、僕はそのことを知っているのか。


 よその高校がどうかは知らないが、うちは学年順位が張り出されるなんてことはなく、短冊状の成績表が各個人に渡される。その短冊は各教科、そして合計の点数、偏差値、順位が記載されているものである。しかしその前に各教科のテストは返却され、だいたいの教師は返却時に成績優秀者の成績を晒し上げるため、誰が学年トップランカーかどうかは分かりやすい。学年トップの候補だってある程度絞り込めるだろう。


 ましてや一年一学期の中間試験からずっと学内試験で一位を取り続けているというのなら、それは噂にならない方が、特定できない方が、無理という話である。いやはや、秋月さんはこれが普通だと思っているのだから、なんというか、恐ろしい話である。

 

 …いや、よくよく考えたら、順位という明確な基準があるにも関わらず、自分の成績が普通だと思っているのはおかしいな。秋月さんの出身中学の偏差値が高かったとか、彼女の星の種族の知能が地球人よりも高かったとかそういう話ではなくて、彼女が考える地球人像に向けて努力した結果が学年一位なわけだから…。いやこの結果を維持し続けて気づかないのは…。いやでも最近は気づきかけているのか。でも、いまいち気づき切れていない気もする。


 そのあたりは…。うーん。


 ともかく。


 ともかく、では、学年一位のクラスメイトに勉強を見てもらっていた僕、諸月草介(もろづきそうすけ)は今回どうであったか。


「普通科三百五人中四十二位、か。まあまあだね」


 梅雨明け、七月上旬の茜差す放課後。僕は秋月さんに「文化祭に向けた話し合いがしたい」と言われたのである。うちの文化祭は十月上旬だから、今から準備を始めないと間に合わないのは承知していたので当然、二つ返事で残ったという訳である。


 で、少し休憩するなかで、今回の期末テストの話になったという流れである。


 学年一位の秋月さんに教えてもらっておいて、僕は実に情けない順位であった。自己最高であるとはいえ、まあまあという評価は相当気を遣ってもらった形だ。


 ちなみに宇宙人の言っていることがわかる僕だが、それが英語の成績に生かされているかというと、そうでもない。動画サイトで結構な数の地球の言語を聞いてみたが、まったく理解できなかった。どうやらわかるのは地球外の言語で、地球の言語はわからないらしい。どういう理屈かは知らないが、まあ宇宙の技術にそれを求めてもしょうがないだろう。


 …などと現実逃避をするほどに、僕は動揺していた。ちなみに先に行っていた、秋月さんの成績や『普通』に関する思考も現実逃避によるそれである。いや僕はたいてい何かを考えていて…。いや、いつものように考え事をすることで、どうにか落ち着いて、冷静になろうとしているのか。


 いや、そもそも人前で考えに耽るのは失礼だろ。いやでもこうしないと落ち着けなくて…。


 と、秋月さんが、母星の言葉で『いや、普通は…』などと呟いていた。


 呟いてから、日本語で「頑張ったじゃん! 三百五人中の四十二位だから、自己ベスト更新じゃん!」と、褒めてくれた。


 無理に言わせてしまったみたいで心苦しかったが、「いや、そうでもないよ。でもありがとう」と受け取っておいた。


 そこから少しの間、沈黙が続く。そして『ああもう、諸月くんに気を使わせちゃったじゃない!』と母星語で。いや、気を遣わせたのは僕の方で…。


 僕はひどく申し訳ない気持ちになった。しかしどういうわけか、秋月さんもまた申し訳なさそうな顔をしていた。いや理屈はわかる。ただ彼女のその表情は、僕をさらに申し訳ない気持ちにさせた。


 そんな僕の気持ちを知ってか、あるいは秋月さん本人が耐えられなくなってか、ともかく彼女はぱんと手を叩いて「さ、休憩は終わり。話し合いに戻ろ?」と。


 ただ期末テストの成績の話をしていただけだというのに…。僕はさらにさらに申し訳ない気持ちになったが、これ以上彼女に気を遣わせないためにも、僕は努めて気持ちを切り替えて、彼女の提案に乗った。


***


 話し合いと、それから少しばかりの世間話を終えた僕と秋月さんは、靴箱の前で別れた。


 ちなみに話のなかで、秋月さんの成績の話になることはなかった。結局彼女の言う『普通』がどこにあるのかわからないし、僕の成績というか、成績に伴う落ち込んだ態度とかで気を使わせてしまったしで、何だか言い出せなかったのである。


 秋月さんは、部活動を終えたクラス内外の女子数名と校舎を後にしていった。仲睦まじく、仲良さそうに、下校していった。普通に、あるいは『普通』に、人間関係を構築している秋月桜さんであった。


「混ぜてもらわないの?」


 聞き慣れた、嫌な声がした。肩をぽんと叩かれたというか、絡まれた。


「女子グループの中に男子とか違和感しかないでしょ、芥坂砂月(あくたざかさつき)さん」


 僕は肩にあるそいつの手を払った。しかし違和感を覚えて、そいつの手のあった場所に触れる。ベタっとした感触があったので、察した僕は問う。


「…油の方じゃないだろうな」


「ご想像にお任せします」


 嫌なことを言ったそいつは、くるりと僕の前に躍り出る。肩くらいまである髪を、ローツインテールでまとめていた。ただそんなことはどうでもよかった。問題は、絵具という絵具にまみれた夏服である。あれが周囲の女子のそれと同じものだとは、一瞬気づかないほどであった。


 そう、こいつは絵を描く時、絶対エプロンをしないのである。いやしないにしたって今回のような有り様になることはなかなかない。


 エプロンをしないことには、もはや何も言うまい。本人曰く絶対嫌らしいし。それはもう、エプロン画家になるくらいなら、公衆の面前で全裸画家になる方が何百倍もマシだと豪語するくらいだ。冗談みたいな話だし実際僕も冗談だと思ったのだけれど、以前油絵具の付いた手で髪の毛をガシガシされた仕返しにどうにかエプロンを着せようとしたらエプロンごと制服を脱ごうとしたので、以来僕は認識を改め、例えどんなことをされようともこいつにエプロンは着せまいと固く決心したのである。


 ともかく、もうエプロンを着ないことについては何も言わない。言わないにしたって、しかし…。


「エプロンを着ないにしなって、汚れすぎでしょ。制服の原型留めてないよ、それ」


「絵を描いていたらこうなるでしょ、普通」


 普通、ねぇ。


「いやここまではならねぇよ」


「そうかなぁ」


 間抜けそうにアクタさんこと芥坂は答えた。そして「話を戻すけどさ」と言って、再度「混ざらなくてよかったの?」などと言ってくる。


「何にだよ」


「そりゃあ秋月グループにだよ。彼女のこと好きでしょ」


「財閥みたいに言うな。それに秋月さんとはただ同じ学級委員長というだけで」


 女子グループに男子一人混ざるという話はもうしたので、ここではあえて触れなかった。


「その割には仲良さそうだったけど」


「そんなことは…。いや悪いかよ、仲良くして。学級委員長は大人しく仕事だけしてろってか」


「そんなことないさ。ただ君にしては頑張ってるなと思ってさ」


 相変わらずこいつはニヤニヤと。僕の劣情に気付いてから、こいつは実に楽しそうである。


「ああ頑張っているさ。だからもう放っといてくれ」


「ほっとけないさ。中学時代の友人があまりに大きい一歩を踏み出そうとしているんだから。応援してあげるってのが友情ってもんじゃないか」


「とてもそうは見えないけど。今の調子に乗った様子といい、先月の趣味の悪い遺影やゲルニカ擬きといい、とてもそうは見えませんが」


 大事なことなので、二回言った。


「自分を客観的に見るのは大事だと思うよ。恋愛にしても、何にしてもね」


「あれは圧倒的にお前の主観だろうが」


「そうとも言う」


 こいつ、ぬけぬけと。呆れていると「でも」と次のセリフ。


「諸月草介本人の主観しかない状態よりは、よっぽどいいと思うけどね」


 芥坂砂月はそう言い残して、美術科の棟の方へと戻っていった。


 僕はやつが戻ってこないうちにと、さっさと帰途に就いた。


 ちなみにやつが肩にべったりと塗り付けた絵具は油性だった。


 


 

 


 

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