星見の人
燈栄二
星見の人
「何をしているのですか?」
夜の星が良く見える丘。唯一の光源である月だけが、この世界に色を与えてくれている。そこに立つ黒い影。細いが背は高い。こんな人、村には住んでいなかったはず。
「星を見ている」
私の問いかけにそう答えた。昔の人みたいな話し方だったが、まだそう話す村が残っているのかもしれない。
「何のためにですか?」
「この星がある場所に行くためだ」
間も置かずに答えが来る。星のある場所? 神々の住まう天にでも行くつもりなのだろうか?
「じゃあ、神様になろうとしているんですか?」
丘にいる人物はこちらを一度も見ることなく、
「それは違う。けれど、何になりたいのか上手く言うことは出来ない」
私が詳しく聞こうとすると、星を見ている者は危険だから帰るようにと私を諭した。
そんな人物の正体が気になった私は、翌日に丘へと向かってみた。水を汲みにいくと言ってあるので、時間は稼げるだろう。明るくなった丘は、改めてみると空を良く見渡せる。遥か天の神々に祈ることはあるけれども、それ以外に星を見る目的があるのだろうか?
丘から集落の反対方向に歩いていくと、木でできた簡素な小屋を見つける。木に苔が生えていたり、植物が絡みついていたり、長期間使われているのは間違いなさそうだ。
中に入ってみると、中は見たことのない器具と、筆記用の葦ペン、そして、壁際には巨大な石箱。何が入ってるんだろう? そんな好奇心で近づこうとすると、光る金属製の何かを首元につきつけられる。
「動くな」
冷たい声。昨日の声だ。でも、何か怒っているらしい。
「昨日の奴か。金目のものなら無い。今すぐ立ち去れば、見なかったことにしてやる」
青銅の剣がしまわれる。振り向くと、どうやら昨日の人だった。剣を持っているあたり、この辺りの調査をしている王直属の人だろうか?
「ええっと、昨日何をしていたのかなって気になっただけで、物盗りではございません!」
星見の男は静かに私を見下ろす。小麦色の肌に、黒く長い髪。手入れはされていないのか、はりついた印象を受ける。そして明るい空の色みたいな目。その目だけがこの人をただの人間ではない、そう思わせている気がした。
「星の観察だ。星は一年の中で少しづつ動いている。その動きを追いかけているんだ」
「ああ……学者って人たちが日々やってることですか。何年くらいやってるんです? このあたりじゃあ、見かけない人です」
男はしばし黙る。何か考えてるようだ。
「新しい春を祝う祭りがあるな? あれがだいたい、300回行われるくらいには昔から、だ」
「300!? まさか、そんなこと出来るはずないでしょう」
嘘だと思った。しかし、男は口元を緩めるだけ。
「そうかもしれないな。けれど、それが事実だ」
そう話す男は石箱を指さし、話を続ける。
「あの箱の中に、俺の300年の全てが詰め込まれている。星を観察した記録だ。そして、あれを俺は誰にも見つからない場所に隠し、別の場所で星を観測する。
星の見え方は位置によって変わるかもしれないし、この大地を球体と仮定した場合、その広さを知ることも出来る。そうすれば、世界の全てがきっと分かる」
この人は頭がおかしくなっているんだ。体は大きいが、顔立ちからすると大人になったばかりに見える。きっと他の村でイカれちゃったと追い出されて、ここで孤独に星を観察している。そうじゃなかったらいいけど、そうに違いない。
神々の奇跡というものは、そう簡単に訪れないのだから。
「じゃあ、世界の全てが分かったら、是非教えてくださいね。ここのことは黙っておくので」
男はまた黙ってしまった。何か不味いことを言っただろうか? 変人の考えることはよく分からない。
「それまでにお前が生きていたらな。そうでなくても、戻ってきてやる」
見逃してやるから早く行け、という男の指示に従って、私は彼に手を振って木の古びた家を後にした。水を汲んで戻ってくる頃には遅いと怒られてしまったものの、あの家を見つけられたのは幸運に思う。
あれから数日後、再びあの場所に行ったが、既に男はいなくなっていて、小屋も既に使われていないようだった。中は相変わらず生活の痕跡があまり見られなかったが、石箱だけがなくなっていた。
あの男は重そうな石箱を隠して、本当にどこかへ行ってしまったのだ。結局丘の周辺や、近くの村を見て回ったけれど、背の高い星好き男を見つけられはしなかった。
私もいつの間にか大人になって、いつしか若い者たちに慕われるような存在にまで成長していた。衰えて動きにくくなった体で、もうあの場所に行くことはないと思うが、結局彼は世界の全てを知ることが出来たのだろうか?
当時子供だった私よりいくつか上であったし、もう生きていることは無いだろうが、彼の探求が達成されていることを心のどこかで願ってしまう。もしくは、今でもあの頃と変わらないままに星を観察し、世界の全てに挑んでいてはくれないかと。
こうして今閉じる目を開くことは二度とない。だがきっとあの男は約束を守ってくれる。世界の全てを携えて、あの木でできた小さな家に、帰って来るに違いないのだ。
1938年、付近の遺跡を調査していた学者たちが見つけた石箱。同じ時代の土壌からは小屋のようなものが建てられていた形跡も発見され、人が暮らしていた可能性が高いとされている。
住居遺構や石箱の発見された地層からすると、ここの居住は紀元前3300年から2900年ごろと考えられ、この地に定住がはじまった紀元前3100年ごろより200年も前から暮らしている何者かが存在したらしい。
石箱の中からは、保存状態の良い粘土板が数千枚押し込まれるようにして発見された。内容は星の移動を観察したものだったが、書かれている文字は今だ解読されていない。加えて、付近に当時存在した集落のものとは異なる文字体系に属している可能性が高いとされている。
石箱に残された粘土板は観察記録の抜粋と考えられ、石箱の一番下に入れられていたものを最古のものと仮定した場合、記録は300年分にのぼる。また、これらの粘土板には、星座の動きを記したもののほかに、ハレー彗星に比定できるものが記入されている粘土板も見つかった。
これはハレー彗星に関する最古の記録とも考えられ、学者の中にはエドモンド・ハレーよりも遥か昔に、このほうき星の法則に気付いた存在がいたのかもしれないと考える者もいる。
また、こうした星の観察記録は年数がいくつか飛ばされているものの約300年分、かつ文字の特徴から同一人物によって記録されたものと考えられ、現在でも未解明のオーパーツとして名高い。
今ではこれは当時の人々の儀式記録やいたずらで、文字にも図にも何の意味もないと語る学者も存在するが、同じ星を表したものに同じ記号の羅列が割り振られているなど、星に名前を付けて観察していた可能性は強く示唆される。
こうした発見について、現在粘土板の所蔵に関わる学芸員の男はこう話していた。
「昔の誰かが、世界で誰も知らないことに気付いて、公言する勇気もないままに、石箱に気に入ったものだけを隠した。そして、いつか取りに帰ろうとしたのかもしれないな。
そうしているうちに、石箱を隠したのを忘れたばかりか、見つけられる可能性を全く考慮していなかったことに、頭を抱えて慌てているのかもしれない」
だったらそいつはとんだ馬鹿者だろう? と彼は自分の失敗であるかのように笑う。西アジア系で、背が高い青年の、ライトブルーの瞳が、星を観察し続ける天文学者のようで、どこか不思議な存在に思えた。
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