エピローグ「恵みの工房の主」

 あれから、十年以上の歳月が流れた。

 相川譲は、四十代半ばになっていた。口元にはうっすらと髭をたくわえ、その目には、多くの経験を積んだ者だけが持つ、深い落ち着きと自信が宿っている。

『恵みの工房』は、今や大陸全土にその名を知らぬ者はいない、伝説の工房となっていた。王都とダリアの店に加え、いくつかの国に支店を出し、一大ブランドとして確固たる地位を築き上げている。

 しかし、譲本人は、今も変わらず、ダリアの最初の工房で槌を振るう一人の職人であり続けていた。経営のほとんどは、今や立派に成長した弟子たちに任せている。


「師匠。王都の店から、新しい魔法鋼の素材が届きました」

 工房に入ってきたのは、すっかり大人の女性になったルナだった。銀色の髪を後ろで一つに束ね、その佇まいは、若き工房長としての威厳に満ちている。しかし、譲に向ける笑顔は、昔と少しも変わっていなかった。

 彼女の腰で、ふさふさの銀色の尻尾が優雅に揺れている。

「おお、来たか。どれどれ……」

 譲は、素材を受け取ると、熟練の目つきでその品質を確かめる。彼の【呪物鑑定】スキルは、今や呪いだけでなく、物質が内包する微細な魔力の流れや、その構造の歪みまでも見抜くことができる域に達していた。

「ふむ。これは面白いものが作れそうだ」

 譲がにやりと笑うと、ルナも「はい!」と嬉しそうにうなずいた。師弟の間に、言葉はもうあまり必要ない。互いの考えていることが、呼吸をするように分かるのだ。


 ボルガンは、数年前に故郷のドワーフの里に帰り、今では長老として若者たちの指導にあたっている。だが、今でも時々、新しい鉱石を見つけては、自慢げに工房に送ってきてくれる。

 かつて勇者だったレオードたちのことは、もはや誰も口にしなくなった。彼らの物語は、歴史の闇に完全に葬り去られた。人々が語り継ぐのは、呪われたアイテムから人々の生活を豊かにする「恵み」を生み出した、一人の職人の物語だけだ。


「そういえば、師匠」

 ルナが、ふと思い出したように言った。

「先日、女神様が夢枕に立ったんです」

「女神様?」

 譲は、思わず手を止めた。自分をこの世界に転生させた、あの光り輝く存在だ。

「はい。『あなたは、私の想像をはるかに超える方法で、見事に使命を果たしてくれました』って。すごく、嬉しそうな声でした」

 ルナの言葉に、譲は少し照れくさそうに鼻の頭をかいた。

「そうか……。なら、良かった」

 彼は、自分が歩んできた道が、間違いではなかったことを、改めて確信した。英雄のように魔王を倒すことはできなかった。だが、自分にしかできないやり方で、多くの人を呪いの苦しみから救い、彼らの生活にささやかな幸せをもたらすことはできた。

 それで、十分だった。


 仕事が一段落し、譲とルナは、工房の屋根裏部屋でお茶を飲んでいた。そこは、二人が出会ったばかりの頃、よく未来について語り合った、思い出の場所だ。

 夕日が窓から差し込み、部屋を暖かなオレンジ色に染めている。

「なあ、ルナ」

 譲が、穏やかな声で言った。

「なんだか、あっという間だったな」

「……そうですね」

 ルナは、こくりとうなずき、そっと譲の肩に頭を寄せた。

「でも、私は、師匠と一緒に過ごした一日一日を、全部覚えています。これからも、ずっと一緒です」

 その言葉に、譲は何も言わず、ただ優しく彼女の肩を抱き寄せた。

 彼の人生は、過労死という最悪の形で一度終わった。だが、この世界で得た第二の人生は、かけがえのない仲間と、心からの生きがいに満ちた、最高に幸せなものだった。

 伝説の職人、相川譲。

 彼の物語は、まだ終わらない。彼と、彼の大切な弟子が作り出す「恵み」が、この世界にある限り。

 夕日に照らされた工房から、心地よい槌音が、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。

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役立たずと勇者パーティーを追放された俺の【呪物鑑定】スキル、実は呪いを反転させて伝説級の武具を生み出す最強のチートでした 藤宮かすみ @hujimiya_kasumi

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