第06話「綻び始める英雄譚」
『恵みの工房』が辺境の町ダリアで少しずつ根を下ろし始めた頃、王都では勇者レオード一行の快進撃が、吟遊詩人によって華々しく歌い上げられていた。
「金色の勇者レオード!その魔剣は悪を薙ぎ払い!」
「賢者の末裔、エルフの魔術師!その魔法は天を穿つ!」
彼らは譲が追放された後、魔剣ブラッドソウルの力で連戦連勝を重ねていた。魔剣の『生命吸収』の呪いは、装備者の魔力と共鳴して力を増す。レオードの持つ膨大な魔力は、魔剣の性能を極限まで引き出し、同時に彼の生命力を吸い上げる速度も加速させていた。
しかし、その初期症状は、力に酔いしれる彼らにとっては些細なものだった。
「なんだか最近、疲れが取れにくいな……」
レオードが遠征帰りの作戦会議でそうこぼしても、仲間たちは気にも留めなかった。
「連戦の疲れでしょう、レオード様。少し休めば大丈夫ですよ」
神官の少女が微笑むが、その回復魔法ですら、レオードの倦怠感を完全に拭い去ることはできなかった。
綻びは、些細なところから始まっていた。
ある日、彼らはワイバーンの群れの討伐依頼を受けた。以前の彼らであれば、何の問題もなくこなせるはずの任務だった。
「行くぞ!一気に叩きのめす!」
レオードは魔剣を抜き放ち、先陣を切ってワイバーンに斬りかかる。確かにその一撃は重く、ワイバーンを怯ませる。だが、続かない。数回剣を振るっただけで、彼の肩は大きく上下し、呼吸が乱れた。
『くそ……!なぜだ、体が……重い!』
以前のような、無限に力が湧き上がってくる感覚がない。むしろ、戦えば戦うほど、体から力が抜けていくような感覚に襲われる。
連携も、いつの間にか乱れていた。
「レオード様!右から来ています!」
魔術師が警告の声を上げるが、レオードの反応は一瞬遅れた。ワイバーンの爪が彼の鎧をかすめ、大きな音を立てる。
「ちっ!」
レオードは舌打ちし、焦りからさらに大振りの一撃を繰り出す。しかし、その攻撃は空を切り、大きな隙を作ってしまった。
結局、その戦いはドワーフの戦士の奮闘と、神官の必死の支援によってなんとか勝利を収めたものの、パーティーは満身創痍だった。レオード自身も、いくつかの傷を負っていた。
「レオード様、近頃少し、精彩を欠いているのでは?」
帰りの野営で、魔術師が指摘する。彼女が持っていたのは、譲がいた頃に手に入れた『狂気の宝玉』が埋め込まれた杖だった。
【狂気の宝玉:呪い『精神汚染』。装備者の精神を少しずつ蝕み、猜疑心や攻撃性を増幅させる。解除条件:賢者の涙に三日三晩浸す】
譲は当時、この宝玉の危険性にも気づいていたが、誰も彼の言葉に耳を貸さなかった。
「……なんだと?俺の戦いぶりに文句があるのか?」
レオードは、普段なら笑って流すような指摘に、苛立ちを隠さずに言い返した。魔剣の呪いによる肉体的な疲弊が、彼の精神的な余裕を奪っていたのだ。
「いえ、そういうわけでは……。ただ、以前のような圧倒的な強さが感じられない、と」
「黙れ!俺の力は衰えてなどいない!お前たちの支援がなっていないだけだろう!」
レオードの怒声に、パーティーの雰囲気は凍りついた。仲間たちは、彼の変化に戸惑いを隠せない。いつも自信に満ちあふれていた勇者の姿は、そこにはなかった。
その夜、レオードは一人、悪夢にうなされた。体中の血を吸い取られ、ミイラのようになっていく夢だ。彼は汗びっしょりで飛び起き、荒い息をつきながら自分の体を見下ろした。
『気のせいだ……。ただの疲れだ』
自分に言い聞かせるが、不安は黒い靄のように心にまとわりついて離れない。
彼らは気づいていなかった。彼らが栄光の証として身につけている武具の数々が、実は彼らを内側から蝕む呪いの塊であることに。ドワーフの戦士が誇る大斧には『痛覚鈍化』の呪いが、神官が持つ護符には『信仰心減退』の呪いがかけられていた。
戦士は、致命傷になりかねない深手を負っても痛みを感じず、無謀な突撃を繰り返すようになっていた。神官は、祈りの言葉を口にしながらも、その効果が弱まっていることに気づかず、ただ儀式をこなすだけになっていた。
パーティー全体が、ゆっくりと、しかし確実に破滅へと向かっていた。彼らはその原因が自分たちの装備にあるとは夢にも思わず、ただ「最近、運が悪い」「スランプなのかもしれない」と、根本的な問題から目をそらし続けていた。
王都に戻った彼らを待っていたのは、以前のような熱狂的な歓迎だけではなかった。
「ワイバーンの群れ相手に、あれほど手こずるとは……」
「勇者様も、少し陰りが見えてきたのではないか?」
民衆の囁きが、レオードの耳にも届く。賞賛が疑念に変わるのに、時間はかからなかった。
「くそっ……!もっと、もっと強い力があれば!」
焦りと苛立ちに駆られたレオードは、さらなる力を求め、より危険なダンジョン、より強力な魔物が持つとされるアイテムに手を出すようになる。それは、自ら破滅のサイクルを加速させる行為に他ならなかった。
彼は、かつて自分たちが追放した荷物持ちの男のことなど、とうの昔に忘れていた。あの時、必死に発せられた警告の意味を、彼らが理解するのは、全てが手遅れになった後だった。
一方、辺境の町ダリアでは、『恵みの工房』の評判が新たな段階に進もうとしていた。ゴードンをはじめとする冒険者たちが、譲とルナの作った武具を手に、次々と困難な依頼を達成していったからだ。
「恵みの工房の剣を使うと、なぜか魔物の急所を狙いやすいんだ」
「あの店の盾は、見た目以上に頑丈で、何度か命を救われたよ」
彼らの武具に宿る「呪いを反転させた効果」は、使用者本人ですら気づかないほどの、ささやかだが確実な恩恵を与えていた。その積み重ねが、大きな評判となって、町中に広まっていったのだ。
譲とルナの穏やかな日常と、レオードたちの破滅への序曲。二つの物語は、まだ交わることなく、それぞれの場所で静かに進行していた。
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