第6話 奈央の選択
サイレンの音が近づいていた。
霧の奥で赤と青の光が滲み、港の輪郭がぼやけていく。
潮風に混じって、焦げた倉庫の匂いがまだ残っていた。
神谷は銃を下げたまま、静かに蓮を見つめていた。
その目の奥にあるのは敵意ではなく――決意だった。
「奈央は俺たち両方を救おうとした。」
低く押し殺した声が、霧を裂く。
「だが救いは、どちらか一方にしか届かない。そういう“真実”だった。」
「どういう意味だ……?」
蓮の喉が乾く。
ペンダントを握る手のひらに、冷たい汗が滲んだ。
神谷はポケットから小さな黒い端末を取り出した。
無骨な金属に、見覚えのある刻印。
――研究所で奈央が携わっていた、記録デバイス。
「お前が持っているカードには、“公開用”の映像が入っている。
だが、こっちは“真実”そのものだ。」
神谷は一瞬だけ笑った。
「黒田はそれを知らなかった。彼は理想を信じて死んだ。
奈央が何を犠牲にしたかを知らずにな。」
蓮は息を呑んだ。
奈央の声が、頭の奥で反響する。
――『ねぇ蓮、真実って……本当に誰かのためになるのかな。』
「……あんたは、奈央を裏切ったのか?」
神谷の眉が微かに動いた。
「裏切った? 違う。俺は、選んだだけだ。」
その言葉とともに、彼は銃をホルスターに戻した。
「奈央はお前を信じた。
俺は、彼女の“計画”を信じた。
――だから、ペンダントを開け。今すぐだ。」
蓮は躊躇した。
黒田の血がまだ乾かぬ手で、ペンダントの留め金を外す。
小さなクリック音。
中のメモリカードが、月明かりを受けて鈍く光った。
神谷が端末を差し出し、カードを差し込む。
次の瞬間、空気が張りつめる。
映像がホログラムのように浮かび上がった。
そこに映っていたのは、白衣をまとった奈央だった。
優しく微笑みながら、どこか遠い場所を見つめている。
『――この記録を見ているなら、もう戻れないと思う。
神谷さん、黒田さん、そして蓮。
誰かが“真実”を求めて、誰かが“未来”を選ぶ。
私が選んだのは……』
映像が一瞬揺れ、ノイズが走る。
その隙間から、奈央の瞳がまっすぐこちらを見た。
『……あなたよ、蓮。』
空気が凍りつく。
神谷の表情が、初めて崩れた。
蓮はただ、息をすることさえ忘れていた。
奈央の声が耳に残る。
「真実」と「未来」――
彼女が残した選択の意味が、まだ見えないまま胸の奥で脈打っていた。
そのとき、遠くの霧の中から再び銃声。
神谷の背後で、影が動いた。
黒い戦闘服――神谷の部下ではない。
誰かが、二人の“選択”を終わらせに来ていた。
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