第21話 すれ違う三人
休日の午前、太陽がまぶしく光を投げかける。
郊外にある大型ショッピングモールの入り口前には、すでに家族連れやカップルが行き交っていた。
そんな中で、桐生里奈は――待ち合わせのベンチに座りながら、緊張で指先をもてあそんでいた。
「……ちょ、ちょっと待って、今日の私、変じゃないわよね?」
鏡代わりにスマホの画面を覗き込み、前髪の乱れを確認する。
ピンクベージュのブラウスに白のプリーツスカート。生徒会長のいつもの制服姿とは違う、少しだけ“女の子”を意識した装い。
(これ、文化祭の衣装の買い出しのはずよ……!)
(でも二人きりって……これ、どう考えてもデートでしょ!?)
「――おまたせ、里奈」
その声に、心臓が跳ねた。
振り向くと、そこに立っていたのは神谷蓮。
黒のシャツにライトグレーのジャケット。普段の飄々とした雰囲気とは違い、休日仕様の“おしゃれ男子”だった。
「蓮……じゃなくて、神谷くん」
「名前でいいって。せっかくだし」
軽く笑う彼に、里奈の頭の中で“理性スイッチ”がバチンと落ちた。
(な、名前呼び!?)
(いつも“桐生”って言ってたのに……! そんな自然に呼ばれたら……心臓持たない……!)
「な、なんで名前で呼ぶの……?」
「だって、今日くらいは仕事モードじゃないだろ? ほら、デート――じゃなかった、買い出しだし」
“デート”の一言で完全にフリーズ。
「……っ! デートって言った! 今言ったわよね!?」
「気のせいじゃない?」
「き、気のせいじゃないわよ! もうっ……!」
頬を赤く染めながらバッグをぎゅっと抱きしめる。
神谷は、そんな彼女を見て、わざとらしく肩をすくめた。
「じゃ、桐生さん。まずは服の下見、行こうか」
「……もう、“桐生”禁止です!」
その宣言に、神谷は小さく笑って頷いた。
「了解、里奈」
――その呼び方だけで、今日という日が一瞬で特別になる。
ショッピングモールの2階。
ファッションブランドが並ぶ通路を、里奈と蓮は並んで歩いていた。
「この衣装、舞台のシーンに使えるかも」
「うん。けど……俺的には、これとか似合うと思うけどな、里奈に」
蓮が手に取ったのは、控えめな花柄ワンピース。
柔らかなクリーム色が、彼女の清楚な雰囲気にぴったりだった。
「わ、私に? これ……可愛すぎない?」
「そう? こういうの、好きだけどな。……似合うと思う」
(ちょ、ちょっと待って、“好き”って……!)
(いや、服の話よね!? そうよね!?)
動揺を悟られまいと、里奈はハンガーを受け取って試着室へ。
カーテンを閉めた瞬間、鏡に映る自分に向かって小声で呟く。
「冷静に……冷静に……でも、これ似合うって言われたの……!」
頬を押さえながら、思わずニヤけそうになる。
そしておそるおそるカーテンを開け――
「ど、どう……かな……?」
蓮の目が一瞬だけ見開かれた。
その沈黙が、余計に恥ずかしい。
「……里奈、似合ってるよ。“女の子”の顔してる」
「なっ……な、何それ! そんなこと言わないでくださいっ!」
顔を真っ赤にして、慌ててカーテンを閉める。
その背中越しに、蓮の柔らかい声が落ちてきた。
「……本当のこと言っただけなのにな」
――ダメだ。この人、甘すぎる。
距離が近い。言葉が優しすぎる。
まるで恋人みたいで。
(……恋人、か)
胸の鼓動が、ひときわ強く響いた。
同じモールの別フロアでは、別の“ペア”が買い物中だった。
勇気は、エスカレーターを上りながら軽く息を吐く。
「……なんか、デートっぽいよな、これ」
隣を歩く玲奈が、くすりと笑った。
「“っぽい”じゃなくて、ほとんどそうじゃない?」
「ち、違うって。文化祭の舞台小道具を買いに来ただけだろ」
「はいはい、“小道具”ね」
玲奈は手にしたトートバッグを軽く揺らした。
そこには脚本のコピーと、必要なアイテムリスト。
けれど、どう見ても“デート中の彼女”の持ち物のように見えた。
「それにしてもさ」
玲奈はショーウィンドウを眺めながら言う。
「勇気くん、休日に会長以外の女子と出かけるの、珍しくない?」
「……そうかもな」
勇気は視線を逸らし、ポケットに手を突っ込んだ。
(会長、か。神谷と買い出し行くって言ってたな)
その言葉を思い出した瞬間、胸の奥が妙にざわつく。
玲奈はそれに気づかないふりをして、笑顔を見せた。
「ほら、行こ。アクセサリーショップ、あっちだよ」
「勇気、こっちこっち!」
元気に手を引くのは、演劇部の玲奈。
彼女の目的は、舞台用の小道具――アクセサリーの調達だ。
雑貨店の奥、鏡が並ぶアクセサリーコーナー。
玲奈はネックレスを手に取り、勇気に向けて掲げた。
「このネックレス、恋人が贈るシーンにピッタリじゃない?」
「……ああ、確かに。だけど」
勇気は少しだけ言葉を詰まらせる。
「つける相手が違えば、意味も変わるんだな」
玲奈の動きが止まる。
鏡越しに見える彼の横顔は、どこか遠い。
「……会長のこと?」
「……いや、別に」
短く否定したけれど、声に少しだけ迷いが混じっていた。
「ふふっ、なんか深いこと言うね」
「……。ただ、そう思っただけ」
玲奈は少しだけ笑って、視線を落として、、小さく息を吐いた。
(やっぱり、そうなんだ)
店内のスピーカーから流れる恋愛ソングが、やけに耳に残る。
彼女はネックレスを棚に戻しながら、明るく言った。
「じゃあ、このまま“恋人役”の練習ってことで。
本番に向けて、雰囲気づくり、ね」
勇気が驚いた顔を向ける。
「……お前、そういうの軽く言うなよ」
「え、だって演技だもん?」
その“演技”という言葉の裏に、本当の気持ちを隠す。
玲奈の笑顔は、どこか無理をしていた。
同じモールの二階。
桐生里奈と神谷蓮は、ファッションブランドの店先で笑い合っていた。
「これとかどう? 里奈に似合いそう」
彼女の頬が、一瞬で桃色に染まる。
――その姿を、
偶然、玲奈が見つけてしまったのはほんの数分後だった。
昼過ぎ。
ショッピングモール中央広場、噴水のそば。
玲奈と勇気がベンチに腰を下ろしていたとき。
人混みの向こう――玲奈の視界に、見慣れた顔が映った。
「……あれ」
玲奈の視線がふと止まる。
勇気がつられてそちらを向くと、そこには――
笑顔で歩く桐生里奈と神谷蓮の姿。
ショッピングバッグを抱え、軽やかに話している。
どこからどう見ても、恋人同士。
「……あれ、神谷先輩と……会長?」
勇気の指先が、無意識に拳を握った。
「……やっぱり、そういうことか」
「ちょ、違うの。あの二人、衣装の買い出しだって言ってたじゃない」
玲奈の声には焦りが滲んでいた。
だが、勇気は静かに、しかし冷たい声で言う。
「庇うなよ。お前も、同じようなことしてんじゃないのか?」
「――え?」
「俺だって、わかってる。こうして二人で来て、まるで“恋人”みたいに見えてるんだ」
「……」
「でも、そういうのって、誤解されるだけだろ」
玲奈の胸がずきんと痛む。
彼の言葉は、まるで自分を責めているようで。
同時に、誰か別の人――桐生を想ってのようで。
「……そんなふうにしか、見えないんだね」
静かに立ち上がる玲奈。
「玲奈、待てよ――!」
「もういい。誤解してるのは、勇気くんのほうだよ」
彼女はそう言って、背を向けた。
勇気の伸ばした手は、空を掴む。
彼女の背中が人混みに溶けていく。
勇気は追いかけようとして、足が動かなかった。
(……俺は、何やってんだ)
噴水の水音だけが、やけに鮮明に響いた。
残ったのは、どうしようもない“誤解”だけだった。
買い物を終えた午後。
モール屋上のガーデンテラスに出ると、やわらかな風が頬を撫でた。
「今日、楽しかったな」
蓮がベンチにもたれながら笑う。
「え、ええ……たくさん買えたし」
里奈は紙袋を膝に置いて、そっと笑い返す。
「また一緒に行こう。文化祭が終わったらさ」
「――え?」
(“また一緒に”……?)
(それって……それって、デートの誘いじゃ……!?)
「い、いいの? そんな、忙しいのに」
「いいよ。今日みたいに笑う里奈、また見たいし」
……完全にアウト。
胸の奥が一気に溶ける。
「……もう、そんなこと言わないでください」
「なんで?」
「……心臓に悪いです……」
二人の間を、そよ風が通り抜けた。
その瞬間、蓮のシャツの裾がふわりと里奈の手に触れる。
たった数センチの距離が、恋の境界線を曖昧にした。
(私……もう、好きなんだ)
「……楽しみにしてます」
「うん」
二人は微笑み合う。
ただ、それを見た誰かの胸を、確かに痛めていることなど知らずに
モール出口付近。
偶然通りかかった美月は、二人の姿を見て立ち止まった。
その視線の先には――笑い合いながら歩く里奈と蓮。
そして、少し離れた場所で沈んだ表情をしている勇気。
美月(内心)
「お兄ちゃん……。
あんな顔、初めて見た。
優しい人なのに、なんでそんな顔してるの?」
足元を見つめ、唇を噛む。
「みんな、誰かを想ってるのに、みんな間違ってる。
……どうして“好き”って、こんなにすれ違うんだろう……。」
その言葉は、秋風に溶けて消えた。
夜。
登場人物たちは、それぞれの部屋で“今日”を思い返していた。
玲奈:
彼女は指を震わせながらメッセージを打った。
送信ボタンを押す指が、かすかに震える。
『今日のこと、ごめん。ちゃんと話したい。』
→ 送信。
勇気:
勇気の部屋では、通知が光っていた。
画面を見つめながら、彼はつぶやく。
「……今さら、何を話すんだよ」
それでも、メッセージを消せなかった。
彼女の名前を見つめるだけで、胸が痛む。
(あんなこと言うつもりじゃなかったのに……)
桐生:
ベッドの上で紙袋を抱え、頬を赤らめる。
「……蓮、また一緒にって言ってくれた……」
(嬉しくて、怖いくらい……)
神谷:
自室のベッドでイヤホンをつけながら独りごと。
「……里奈、ほんと真面目だな。
あいつの笑顔、なんか……癒されるんだよな」
夜の街。
窓から見える光が、それぞれの部屋を照らしている。
勇気:スマホを握りしめたまま、無言で窓の外を見る。
玲奈:枕に顔を埋めて、ひとつため息。
桐生:枕を抱きしめ、幸せそうに笑う。
神谷:窓越しで、静かなピアノの音を聴きながら天井を見上げる。
美月
「恋って、同時に叶うものじゃないんだね。
誰かが笑えば、誰かが泣く。
それでも、みんな――好きにならずにはいられない。」
――そして夜は静かに、更けていく。
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