朧光の魔法

りんご雨

プロローグ

 昨日までの戦いが嘘のように、街は静まり返っていた。

 ビルの外壁は崩れ、舗装の剥がれた道路には黒く焦げついた跡が残っている。


 凄惨な戦いだった。

 至る所が血飛沫や血溜まりの痕跡で溢れており、かつて活気に満ちていた街並みは見る影もない。

 季節外れの冷たい空気が、静かに頬を撫でるのみである。


 夜空はそんな街を、行く宛てもなく歩いていた。


 ふと立ち寄った瓦礫の隙間から、焦げたぬいぐるみを拾い上げる。

 子どもが持っていたものだろう。首の辺りに刺繍の跡があり、長く大切にされてきたのが伝わる。

 しかし胸のあたりが少し焦げていて、もう抱いて眠ることはできそうにない。

 それを理解して尚、夜空は服の裾で優しく煤を拭い取った。


 

「……持ち主、見つかるといいな」


 

 誰に聞かせるでもなく、独り言のように呟く。

 ふと妙な感触を覚え、大きめの瓦礫を二、三個持ち上げる。

 石材の下には、べっとりと赤黒い液体……乾ききったソレがこびり付いていた。






 遠くでは、重機の音が鳴っている。

 行政の復旧部隊だ。人々は、昨日の惨状を日常へと戻そうとしていた。

 ……直したところで、そこに住む者はもうほとんどいないというのに。


 掌をぎゅっと握る。そこにはまだ、魔法の残滓が微かに残っている。

 使い果たしたはずの力が、まだ体に残っているような錯覚。


 

 「……はぁ」


 

 ため息が出る。


 

「柊先輩! こんなところにいたんですか!」


 

 背後から、静まり切った街に甲高い声が響き渡った。

 夜空が振り向くと、制服姿の少女が息を切らして立っていた。



「……結花?」


「探しましたよ、家に行っても……って、なんですかその隈! 先輩今日寝てないでしょ! 良いですか、人は寝ることによって――」



 『春宮結花はるみや ゆいか

 夜空を先輩と慕う少女である。

 世間から見た彼女の印象は、明るく活発といったところだ。

 そして、“穢れ”との戦闘を担う『魔法少女』でもある。



「――だいたいお肌にも……あ、上の空ですよね今!」


「あ、ごめん」



 けがれ。

 それは、人が抱く“恐れ”という感情の残響。

 名も形も持たぬ不安が、群衆の中で共鳴したとき、世界の理はわずかに歪む。

 その歪みこそが穢れの発端であり、恐れを抱いた人々自身が、その発生源となる。


 穢れは生物ではない。

 それは風のように流れ、火のように燃え、影のように寄り添う一種の現象のようなものだ。

 “厄”、“災”、“禍”——それらは穢れの濃度や規模を示す言葉にすぎない。


 極端な話、人が恐れを抱く限り、穢れが滅びることはないのだ。


 焦げ跡や灰の被った街並みを見れば分かることだが、つい先日この街を襲った穢れは“炎” に類するものである。


 

「まぁ、良いですよ。“火厄”……いえ、“炎災”でしたか。昨日の今日ですもんね……」


「避難所の様子は?」


「活気に満ちている訳ではありませんでした。避難誘導が遅れたこともあり、今回は人的な被害が大きかったですし……」


「……そっか」



 ふたりの表情に影が落ちる。

 必死に戦って敵を打ち倒したとしても、魔法少女――特に結花の戦う動機は人々の命や生活を守る為だ。

 到着が遅れた、避難経路が崩れていた。理由はまだ複数あるが、人々が着目するのは“結果”でしかない。

 自分たちは、魔法少女に守られるのが当然――それが、この街に住む者の常識になりつつあった。





 歩き続け、辿り着いたのは保育所だった。

 炎災の被害を免れたのだろう。ひび割れこそあれど、溶けていない窓を見るのは夜空がこの街に入って初めてのことだ。


 土足のままエントランスを抜け、部屋をくまなく捜索する。

 今回の目的は、逃げそびれた生存者の救助である。



「生体反応を感じます。隠れているのか、気を失っているのか……」


「建物の外観は綺麗だけど、内側が崩れた瓦礫に埋まってる可能性もある」


「本棚に押し潰されて瀕死――なんてことも考えられます。ひとまず手分けして捜索しましょう」



 悲観的な推察だが、穢れの被害を被って無事であることの方が少ない。

 その点で言えば、この街は特別と言える。

 穢れが発生して数日間の戦闘すら有り得る世界で、発生から一日を待たずに収束するのは、ひとえに夜空の活躍によるものだ。


 注釈だが、夜空は男である。それでいて、例外的な魔法少女でもある。

 メディアに向けた名前を知らぬ者はいない。全国ランキングNo.1――『ナイトフォール』。

 あどけなさの残る顔立ちに、ラピスラズリを溶かしたような黒髪を肩に垂らした美少女然とした姿。その容姿を、誰も彼を「」とは知りえないだろう。


 倒れたタンスを立て直し、血の滲んだ布を引き上げながら、夜空はひとり息をつく。

 煤けた窓を袖で拭き、空を覗く。

 焼け焦げた街の空気は重く、かすかな灰の匂いがまだ残っていた。



「……ぃ……先輩! 見つけました、生存者です!」


「分かった、すぐに行く」


「もっと大きな声で言ってください! 良く通る声なのにボソボソして聞こえないです!」



 夜空は絶句した。

 かなり大きな声を出したつもりだったのに……と。






「……それで、その子が?」


「はい。恐らく、この街の最後の生存者でしょう」


「そう」



 見つかった子供は怯えきっていた。

 その小さな体は小刻みに震え、唇は青い。

 目は開いているが、何も見えていないだろう。焦点の合わない瞳で、ただ虚空を眺めていた。



「大丈夫ですよ〜。火の化け物は、お姉さんたちがもう倒しましたから!」


「……ひっ、あ、はっ……は」


「ゆっくり、落ち着いて息を整えてくださいね〜」



 口下手な夜空に変わって、結花が優しく話しかけている。

 事件の沈静化から一日は経過したが、目の前に差し迫った死の恐怖はこの子の心の多くを占めていた。

 過呼吸に陥っている小さな少女が落ち着いたのは、それから二十分後のことだった。



「落ち着いた?」


「う、ん……あの、火の達磨は……?」


「もう居ないから、安心して大丈夫ですよ」


「よ、良かったぁ……あ、あ、あの子みたいに、し、死んじゃうかと……」


「……」



 トラウマになっているのは明白だった。

 恐らく、二度と炎を見ることはできないだろう。



「結花」


「そうですね……ここから最寄りの東都第三区支部で記憶処理を行いましょう。避難所にはその後――」


「お姉さんたちは、魔法少女なの?」



 空気が凍ったような感覚だった。

 小さく問いかけるその声の中には、希望や憧れではなく、非難や失望、そして怒りが込められている。

 これが他の街であったなら、そうはならなかった。感謝されることはあっても、恨み言を言われることはない。

 こうなるのも、ある種当然とも言える。優秀すぎるが故、中途半端に生存者が残ってしまったのだから。



「なんで……なんでもっと早く来てくれなかったの……!」



 言葉が徐々に熱を帯びる。



「なんでもっと早く――」



 それは文字通り、子供の癇癪だ。

 穢れ発生時の生存率国内No.1を謳い文句にしているこの街の住人にとって、初めての大きな被害。

 それが今回の事件の、世間から見た全容だ。



「……子供にまで言われちゃうか」


「先輩は……というか、今回は誰も悪くないです。でもこれは――」


「いや、この子の言ってることは正しいよ。様子見なんてするべきじゃなかった。もっと早く対処できたはずなんだ」


「それは結果論です。過去、毒に類する穢れの討伐記録ですが、死亡時に街全体に猛毒を散布したらしいじゃないですか」


「結果論だとしても……いや、そうだね」



 未だ泣き続ける少女の前で、二人は小声で話す。

 結花の語った記録。それは穢れによる被害が目下の課題である現代において、義務教育の範囲として習う出来事だ。

 自らの死をトリガーとして発動する、言わば自爆と呼ばれるその大技は、魔法少女に限らず、国全体を震撼させた事件として記憶に新しい。

 事実その地域の被害は凄まじく、草の1本も生えない死んだ土地として残っている。



「おいで」



 しかし、それと今の状況にはなんの繋がりもない。



「なんで……なんでなのぉ……」


「お友達のことは、本当に申し訳ない。でも、今は君が優先だ。早く安全な場所に行こう」



 「ね?」と優しく微笑んで問いかけると、少女は渋々頷いてくれた。

 安全な日々を送っていた彼女にとって、突如壊れた幸せは、その未成熟な心に大きな傷跡を残したことだろう。

 友達も多くいたはずだ。先程夜空が拾った布の端切れ……洋服だったものには、少女とお揃いのワッペンが付いていたのだから。






 それからは早かった。

 少女を結花が背負い、夜空が辺りの瓦礫や倒壊しそうな建物を警戒する。時折現れる炎災の名残を危なげなく対処し、順調に帰路につく。

 ここでいう帰路とは、穢れの対応を担う魔法少女や、その被害の収拾を総括する『異象対策庁(IASA)』に属する『東都第三区支部』までの道のりだ。


 支部に着き、記憶処理の手続きを夜空が済ませる。その間、結花が少女の相手をしていた。

 ふたりは相性が良いらしく、保育所からの短い時間の中で、少女が自然な笑みを零すほどにメンタルを回復させた。現に結花の膝の上で眠っている姿からは、先程までの怯えが伝わってこない。



「凄いね、もう打ち解けたんだ」


「話すのは好きなんです。特に私の場合、妹がいたので……」


「……ごめん」



 妹がいた……とは、つまりはだろう。

 自分の救えなかった命を思うのは、夜空にとって中々堪えるものがあった。罪悪感とも言える感情だ。しかし、残された身近な者の方が辛いはずだ。その胸中は計り知れない。



「謝らないでください。私は先輩に助けられました。だから、今こうして生きているんです」


「覚えてないかも……」


「ふふ。先輩にとっては、私も有象無象のひとりですからね」


「その表現どうなの?」


「確かに言い回しとしては悪いですね。忘れてください。……まぁ、つまりは――だからこそ、次は私が守る側でいたいんです」



 志は立派だ。

 しかし――



「この道は厳しいよ。最悪の場合に限らず普通に死ねる。夢半ばで命を落とした同僚を何人も見てきた。そんな、命が軽い世界だ」


「構いません。だから、他でもない先輩に師事しているんです」


「おばさんに頼まれたときはびっくりしたよ。本当なら、今でも追い返したい。投げ出したい。適任なら他にもいる」


「その時は、また支部長にお願いします」


「本当に引かないね」


「それが私ですから。梃子でも動きませんよ」



 本当は、結花の心配をしているんじゃない。

 彼女は優しい――夜空は、共に過ごす中で漠然とそれを感じ取った。

 だからこそ、彼女の前で仲間が死んだ時、その心が壊れてしまわないか。自分を責めないか。復讐など愚かな考えに囚われ、生き急いでしまわないか。ただその懸念が深く心に染み込み、洗い流せずにいる。

 「まともな奴ほどすぐに死ぬ」という言葉がある。誰の言葉だったか、記録には残っていないが。


 そんな会話をしていると、受付の人がやってきた。

 どうやら、記憶処理は受理されなかったらしい。

 夜空が理由を尋ねると、幼い脳に与える影響が大きく、何らかの後遺症をもたらす可能性があるとのことだった。

 トラウマを自力で乗り越えるのは難しいが、幸いにも、ゆっくりとメンタルケアを施せば日常生活に問題は無い……そう伝えられる。

 納得のいく理由ではある。だが、発見当初の怯えようを踏まえると不安が残ってしまう。






 避難所に着く頃には、時刻は21:00を回っていた。良い子は寝る時間、その例に漏れず、結花の背で少女はすやすやと眠っている。

 運が良ければ両親とも再開できるだろう。そんな小さな奇跡を願いながら、出入口の扉を開いた。

 消灯時間はまだ過ぎていないらしく、隙間からLEDの光が細く射し込む。



「おかーさん……?」



 扉を完全に開いた瞬間、その向こうには大勢の大人がいた。

 皆、不安げな表情で先頭に立つ夜空を見下ろしている。

 圧迫感に満ちた光景に、思わず立ち竦んだ。

 不意にその中のひとりが、少女の名を叫んで駆け寄ってくる。



「この子が最後の……あっ――」



 母親なのだろう。

 しかし本人確認もできないまま、奪い取られるように少女は抱きしめられた。

 一度決壊した人の流れは、夜空たちに押し寄せる。



「俺の、俺の息子を知らないか! まだ来てないみたいなんだ!」「私の娘はどこに――」「父さんが――」「息子――」「息子――」「孫――」「おじいちゃん――」「母――」



 咄嗟に結花を押し出し、人の波に倒される。

 ガンッと床に頭をぶつける鈍い音が響いたが、それすら狂乱した人の声に掻き消された。



「……さい」



 倒れた夜空の肩を乱暴に揺すり、自身の家族や想い人の所在を尋ねる様は、さながら集団リンチに近い。



「お、落ち着いてくださ――」


「なぁ、最後、最後の生存者って言ったか!?」



 そんな中で、その小さな声が誰に聞こえようか。

 人間の負の側面が浮き彫りになったような光景に、無意識のうちに結花は後ずさる。

 恐ろしい。結花はそんな感情を、生きた人間に向けるとは思ってもみなかった。

 

 冷静さを欠いた人間の拳が、夜空の人形めいた顔に突き刺さる。

 一度始まった暴力の波は止まらず、それが終わる頃には、日付が変わっていた。






 騒動から一時間。

 避難所から少し離れた夜空の自宅にて、怪我の治療が行われていた。



「……ごめんなさい。眺めることしかできなくて」


「仕方ないって割り切ろう。皆不安なんだろうね。住む家も、家族もいなくなったんだ」


「でも、流石におかしいです。常軌を逸してます……!」


「まともな奴ほどすぐに死ぬ。なら、この街の人は長生きするだろうね」


「先輩……それ、外では絶対に言わないでください」


「……はい」



 夜空とて、一介の魔法少女である。

 一般人の攻撃では負傷することなど滅多にない。

 肉体的な痛みもない。

 だが、命を掛けて守った相手に責められるのは、少々、心に来るものがある。



「結花……あれを見て、まだ魔法少女になりたい?」


「……」


「今すぐに答えを出さなくて良い。でも、念頭には置いて欲しい。活動を始めたばかりに引退する魔法少女だっている。寧ろそれが普通だ。僕みたいに五年六年と続いている方が例外中の例外だよ」


「それでも……」



 「あぁ」と、夜空は呟いた。

 心配なんて要らなかった。結花は元々狂っていたのだ。

 あんな光景を見たら、普通は夢を諦めるだろう。そう高を括っていた過去の自分はどうかしていた。



「私はなります。誰もが憧れるような――そんな、平和の象徴に」



 結花は、誰よりも狂っているのだ。

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