第2話 おっさんリーマン、舌戦で勝つ

腐敗した上層部、傾きかけた国、蔑ろにされる幼き王。

これほど燃える状況がほかにあるだろうか。

胸の奥が、久々に熱を帯びる。


「財務大臣、帳簿は誰にでも公開されるべきものです。にもかかわらず外部の目を恐れるのは、不自然ですねえ」


異世界人の私に指摘され、財務大臣の顔が赤黒く染まる。


「知ったふうな口を聞きおって! 国の財政は王家の信頼のもとに扱われる最高機密だ。異国の者に見せるわけがない!」

「なるほど。では、王家には開示しているのですね?」

「……」

「おっと、沈黙。議事録に『答えられず』と記しておきましょうか」


ざわめく大臣サイド。

その脇でイリス陛下が小さく拳を握る。


「もし陛下にも見せていないのなら、最高機密という言い回しで誤魔化したところで、それは単なる隠蔽ですね」

「屁理屈を……! そもそも異世界人ごときに我が国の帳簿が理解できるわけがない!」

「ご心配なく。理解できるかどうかは、見てみれば分かりますよね?」

「ふざけるな! 会計官の承認がなければ閲覧はできんぞ!」

「承認を出すのは財務省。つまりあなたの部下だ。自分の不正を身内で監査する。私の世界ではそれを《内部統制の崩壊》と呼びます」


広間の空気が凍りついた。

誰もが目を逸らし、咳一つすらできない。


イリス陛下の小さな手が、玉座の肘掛けをぎゅっと握りしめた。

何か言いたい言葉があるのに、なかなか口にできない。

そんな葛藤が伝わってきた。


私は一歩下がり、静かに告げた。


「どうぞ、陛下」

「……財務大臣。命令だ。帳簿を見せろ」

「くううっ……!!」


財務大臣は顔を引きつらせ、しばらく沈黙したのち、唇を噛んだ。


「……よかろう。見せてやりますとも。ただし、もし何も見つからなければ――異世界人を即刻、国から追放してもらう。それが条件ですぞ!」


イリス陛下が息を呑む。

私は微笑みを崩さずに答えた。


「ご心配なく。追放されるのはあなたのほうです」


◇◇◇


帳簿が保管された書庫は、ひっそりと冷えていた。

灯りに照らされた埃が、金の粒のように舞っている。


扉を閉めると同時に、背筋を撫でるような違和感が走った。

誰かに見られている。

……いや、気のせいか?


イリス陛下は少し離れた棚の陰で、裾を握りしめている。

お付きの者も護衛もいない。

王としては不用心すぎる。


「陛下、お一人でよろしいのですか?」

「王宮の中は安全だ。……それに、私を気にかける者など、そう多くはない」


その言葉に、一瞬言葉を失った。


「……失礼しました」

「いや、いい。だが、急ごう。あの大臣、何を仕掛けてくるかわからん」


私は頷き、帳簿を手に取った。

不思議なことに、文字は問題なく読める。

召喚の際に言語補正でもかかったのだろう。


「調べるべきことは決まっています。帳簿は数字の整い方を見るものです」

「整い方?」

「隠す者ほど、数字を美しく並べたがるんですよ」


ページをめくる音だけが響く。

そのとき――コツンと、何かが落ちた。


イリス陛下が身をすくめる。


「……今、音が?」

「ええ。衛兵は外にいるはずですけどね」


私は視線を棚の奥へ送った。

微かに揺れる影があった気がしたが、すぐに消えた。


「陛下、念のため扉から離れてください」

「……わかった」


私はページをめくり続けた。

やがて、数字の異常が浮かび上がる。


「ありましたよ。この国の財務に流れる、腐った血の跡です」

「おおっ!! 見つかったか!!」


陛下がうれしそうに駆け寄ってくる。


ページの端には、三ヶ月ごとに全く同じ金額が並んでいた。

「鉱山修繕費」「武具購入費」――整いすぎた数字。


「帳簿上は金が出ているのに、実際には戻ってきています。聖教会寄進金として」


イリス陛下が息を詰める。


「金を回して、中抜きしているのだな」

「ええ。しかも、この構造……意図的です。財務省、鉱山局、教会。それぞれが別々の数字だけを扱うようになっている。全体を見ない限り、誰も気づかない」

「なんと悪質な……! しかし、この証拠を見つけてくれて助かった……。ユーマ、そなたはすごいな……!」


不正があった事実に戸惑いつつも、陛下は私の能力を絶賛した。

しかし、私のほうはこのぐらいでは舞い上がれなかった。


「少し妙なのですよ。偽造がわかりやすすぎる。まるで、見つけさせるための帳簿だ」

「どういうことだ?」

「囮かもしれません。あるいは、ここで――」


その言葉が言い終わるより早く、廊下の奥で、微かな物音がした。


黒衣の男が、扉の陰から音もなく滑り出る。

その無駄のない動きで訓練された者だとわかった。


扉の前を守っていた衛兵は、いつの間にか姿を消している。


次の瞬間、男の掌に紫の光が灯った。


魔力の渦が収束し、空気が軋む。


「いかん、ユーマ……!!」


イリス陛下の声が響いた瞬間、男の手から光弾が放たれた。


爆ぜる閃光。

熱風が吹き抜け、羊皮紙が宙に舞う。


肌が焼けるような熱気の中、私は咄嗟に帳簿を抱え込んだ。

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