第3話

 ――児童養護施設の門に、赤ん坊の友李は捨てられていた。


 その日は朝から雨が降っていて、友李の入ったバスケットには女物の赤い傘が差し掛けられていた。

 簡単なメモ書きも添えられていて、そこに『名前は友李です』と書かれていたそうだ。

 それから十八歳になるまで、友李はその施設で過ごした。


 友李がいた施設は、閉ざされた完全なるコミュニティだった。

 揺るぎない縦社会。施設はそこしか知らないので、よそがどうなのかはわからないけれど。


 そこで暮らす以上、年少者が年長者に逆らうことは許されなかった。

 子どもたちは大きくなるにつれ、先輩から悪いことに誘われ始める。

 しかし先輩たちもまた、外部の年長者――卒業生や、更にその背後に存在するもっと力の強い者――に逆らえないでいた。

 それは施設に入った瞬間から始まり、死ぬまで続く世界だった。

 友李が今こうしているのも、すべてはその運命のせいだった。

 逃れることができないのは小さな頃からわかっているので、逃げようとも思わない。


「でもね、優しいところもあるんですよ」


 何だかんだ言っても、みんな同じ施設で育った仲間だ。

 上からの言いつけをちゃんと守っていれば、褒めてもらえることだってある。

 失敗したらみんなからきつく叱られるし、すごく怖いけど、家族みたいに一番近くにいてくれる――


「先輩が言ってくれるんです。おまえのこと、って」


 友李はそう言って、照れ笑いをした。


 真木はもう、聞くに堪えないと思った。

 さっき路上で友李が見せた、発作のような反応を思い返す。

 真木の脳裏に、複数人から執拗に叱責される友李の姿が浮かんだ。


 いやだと叫んでも、やめてもらえるはずがない。

 むしろ連中は盛り上がるだろう。

 悪いのはミスをした自分。

 だから「ごめんなさい」と繰り返す。

 先輩方の気が済むまで、友李はただひたすら謝りながら時間が過ぎるのを待つ――

 想像したくないと思えば思うほど、その映像は止むことなく真木の中で再生され続けた。


「友李!」


 真木はその映像を振り払うため、大きな声を出した。

 友李が驚いて目をぱちくりとさせている。

 真木は構うことなく身を乗り出した。


「友李のことは俺がなんとかする。何も心配するな。だからもうそんな場所に戻るのはやめろ、絶対に」


 本心だった。真木は精一杯伝えた。

 その勢いに圧倒されたのか、友李はきょとんとした顔で真木を見ていた。

 なんとなく気まずくなって、真木は冗談めいた口調で付け足した。


「――あと、一応言っとくけど……俺は完全にノーマルだから、変な下心はないからな」


 真木の付け足しに、友李が一瞬の間を置いて吹き出した。


「笑うなよ、まじめに言ったんだぞ」


 むきになる真木に、友李はますます笑った。


「でも、やっと笑ったな」


 真木に微笑まれて、友李の笑い声は一旦止まった。

 けれど、すぐに真木がハハハと明るく笑ったので、友李もつられてまた笑った。


 こうして二人で向かい合って紅茶を飲んでいることが、なんだか不思議だった。

 真木はそのあとも友李に話しかけたが、友李が言葉を濁す事柄について追及することはしなかった。


 その夜、友李は真木に借りた毛布にくるまって、ソファで横になった。

 出会ってすぐは尖って見えた友李の顔は、なんとなく柔らかさが増したように思えた。


 友李は、口元まで毛布を被り、猫のように丸まった。

 真木はそれを見届けて、部屋の明かりを消した。


「おやすみ、友李」


 あくびを噛み殺した真木が声をかけると、「おやすみなさい」と友李も答えた。



 

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