第3話 夢なの? 夢じゃないの?

 暗い、海のような場所だった。

 何も見えない。ただ暗闇が広がる場所。手足を動かしても、水の中にいるように重い。


 体の自由が利かず、どんどん底に沈んでいく。もがき、息をしようとする度に、ブクブクと泡が生まれ、上に登っていくのだけが見える。


 ――お兄ちゃん。


 どこまで沈んでいくのだろうか。

 このまま俺は死んでしまうのだろうか。


 そんな恐怖を感じた時、懐かしい結衣の声がはっきりと聞こえた。


 ――私を見つけてね。


 結衣ッ!!


 名を叫ぼうとしても、ゴボゴボと水の中で、泡となって出ていくばかり。

 どこまでもどこまでも海の深くに沈み込み、さらに深く沈んだその底で、光を見た。


●   ●



「――結衣!!」


 一気に目が覚め、俺は体を起こして叫んだ。


 海の中で、ずっと息を吸えていないような気がした。さっきまでの自分を思い出し、思いっきり空気を吸っては吐き出し続ける。


 徐々に息が落ち着いたところで、俺は暗闇の中で聞いた声を思い出し、落ち込んだ。


「……夢か。そうだよな」


 結衣は眠っている。声が聞こえる筈もない。

 あれは俺の願望が生み出した夢だったのだろう。

 俺はよっぽど参っていたんだな。妹にすがって、八つ当たりまでするほどに。


「カッコ悪すぎるだろ。何やってんだよマジで」


 さっきまでの自分の姿を思い返すと、恥ずかしくて死にたくなる。

 仕事で失敗して、同期の姿を見て嫉妬して、挙句の果てに眠っている妹に八つ当たり。本当に救いようがない。


 あんまり考えていると、さらに気分が落ち込みそうだ。忘れよう。そしてまた頑張ろう。くよくよしても何も変わらない。


 とりあえず、明日は工場の皆に謝らないとな。佐伯に頭を下げるのは癪だが、仕方ない。クビにされるよりはよっぽどマシだ。


 明日の事を考え憂鬱になりながら、顔を上げる。そして、目に入った光景に俺は間の抜けた声を漏らした


「……どこだよここ?」

 

 そこは、あまりにもおかしな風景だった。


 辺りを見渡せば、そこは草の生い茂った丘のような場所だった。遠くには広い森や、大きな湖が見える。目の前には細いが石造りの道があり、俺はどうやらその道の脇に外れ、芝に尻もちをついているらしかった。


「……いや、おかしいだろ。どこだよここ。――マジでどこだよ!?」


 俺は確かに病室にいたはずだ。そしておそらく、結衣のベッドにもたれかかって眠ってしまったはず。


 なのに眠ったら草原? 病院にいたのにあまりにも違いすぎる。

 眠っている間に誘拐でもされればありえなくもないが、にしたってこんな場所に連れ去られて一人残される意味が分からん。


 と、いうことは――


「……夢か。なんだ、まだ夢を見ているのか」


 その結論に至れば、俺はどっと肩から力が抜けた。焦った。マジで誘拐されたのかと思った。

 目覚めたと勘違いしていただけで、まだ夢の続きだったとは。勘違いに気づいて顔が赤くなりそうだ。


「しかし、ここまではっきりと意識のある夢も珍しいな」


 崖から落ちた夢を見た時は、そんな経験もないのに風圧とかも感じるほどリアルだったが、体感的には一瞬のことだった。


 ここまで意識がはっきりしていて、なおかつゆったりとした時間が流れているような夢を見るのは、初めてかもしれない。


 しかし、冷静になって周りを見れば見るほど、夢だというのがはっきりと分かる。


 周りは明るいが、見上げれば空はピンク色に染まっている。こんな色合いは夢でしかありえない。いや、夕方と夜の境目くらいならあり得なくもないか?


 だとしても、雲が急に形を変え、そこから目や口が作られるのはありえない。ましてや俺を見下ろしてニコッと笑うなど、夢でないと説明できない。


 絵本や漫画でならありそうなファンシーな雲だが……リアルで見ると結構気持ち悪いな。


 この雲と似たような物が、他にもある。


 少し離れた所には、いくつもの花が咲いていた。生憎と詳しくないので何の花かは分からない。ただしそれは俺の身長よりも遥かに大きく、気のせいでなければ喋っているように見える。


「最近顔色悪くない? 大丈夫?」

「私達友達でしょ? 悩みがあったら言ってね? 何でも協力するから」

「ああ、ありがとう。実は土の栄養が足りなくて……ちょっとそっちに根を伸ばしていいかしら?」


「受け入れろ。それが貴様の寿命だ」

「そのまま枯れ果てろ。お前を糧に私達は生きていく」

「ありがとう。決心したわ。――お前らも道連れにしてやるよぉ!!」


 草花の世界も世知辛いな……。


 また、傍にある大岩もそうだ。岩に太い眉が描かれ、むすっとしたオッサンのような顔をしている。俺が見つめても、表情も変えない。


「鍵がないなら動きません」

ロックだけにってか。――やかましいわ!」


 思わずツッコんでしまった。なんで岩と会話してんだよ……。

 マジでなんだよこの夢。俺そんなに疲れてたのかな? 本当に頭がおかしくなりそう。


 はぁ、と長い溜息を吐いて顔を前に戻してみれば、俺の腰元くらいはある大きな白いウサギが、二足歩行で立ち上がって俺をじっと見ていた。モノクルを掛け、ウサギのくせに知的な印象。さらにチョッキを着ているあたりが上品だ。


 そんなウサギが、目を細くして俺を見つめている。ああ、やはり夢だろう。こんな状況、夢でなければ――


「おい。貴様、こんなところで何をやっている」

「……なるほど。動物も喋る夢か」


「何を言っているんだ貴様。おかしな奴だな……。まぁいい、何でこんな所にいるのかは知らんが、早く街に帰った方がいいぞ。戒厳令が出ているこんな時にこんな場所にいたら、兵隊にレジスタンスと勘違いされて殺されてもおかしくないからな。それじゃあ、忠告はしたぞ。私は用があるから行く。ではな」


 そう言うと、ウサギはピョンピョンと跳ねながら道を外れ、森の方へ向かっていった。

 偉そうなウサギだったな。まぁあんな格好をしているのだから、実際偉いのかもしれないけど。


 でも、戒厳令がどうとか教えてくれたあたり、親切な奴なのか?

 他にも兵隊とか、レジスタンスとか、殺されるとか。物騒な話を……。


 ………………。


「まっ、待て! 待ってくれ! ――待ってください!! 頼む!! お願いだから!!」


 慌てて立ち上がり、小さくなったウサギを呼び止める。

 幸いなことに、ウサギは俺の声が聞こえたらしく、その場で止まってくれた。だけど、戻ってこようとはしない。


 仕方ないので慌てて走ってみるが、結構な距離だった。あの僅かな時間でここまで距離を稼ぐとは。止まってくれなかったら追いつけなかったぞ。


「はぁ、はぁ、はぁ……! 良かった……追いついた……」

「なんだ? 先程も言ったが私は忙しい。手短にな」


「いや、戒厳令とかレジスタンスとか、色々と気になるんだけど……その、そもそもここはどこなんだ?」

「はあ? 何を言ってるんだ貴様? ここは“ハートの国”に決まっているだろう? ハートの国の城下町を出た平原地帯、“お喋り共のたまり場”だ」

「ハートの国……え? それ本当に国の名前か?」


 なんというか、バカみたいな名前の国だな。外国にはありそうだけど。

 でも本当にそんな国が存在するのか?

 しかしウサギはむしろ俺の方に、バカを見るような目を向ける。


「貴様、本当にどうした? 国の名前も知らんとかありえんぞ。戒厳令やレジスタンスの事だって、今の状況なら知らないはずが――待て。貴様、まさか“外”の人間か!?」


 怪訝そうな顔をしていたウサギだが、急に焦ったような顔に変わり、俺をじっと睨み付けた。そして、うぅむと唸り声を上げる。


「間違いない。よく見れば“力”も確かに感じる。それも強大な力だ。いや、しかし男とはな……」

「な、なんだよ外って。それに力? 男だとなんか都合が悪いのか?」


 女じゃないと駄目とか? 紳士っぽい格好のわりにエロウサギだったのかコイツ?

逆に俺が怪しく見ていると、ウサギはうむと頷き、今までとは打って変わって誠意を感じる目を向けてきた。


「外の人間なら何も知らないで当然だ。よかろう、教えてやる。まず、ここは夢の世界“幻夢録グリモニア”。少女達の精神で構成された世界。そしてそこに内包された世界の一つが、私達がいるこの“ハートの国”になる」


 グリモニア……夢の世界……ハートの国……。


「やっぱり、ここは夢ってことで合っているのか?」

「違っ……いやっ、違わない! でも違う!」


 どっちだよ。


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