第15話 王都へ

 酒場に着くと、レイは行儀よく酒を注文して楽しみ始めた。


「ふふふ、そうやって上品にお酒を飲めるんですね」


 もちろん、例の隣には俺が座っている。せっかく連れてきたのだ。俺を指名して俺に稼がせてくれないと困る。


「当然だろう、俺を誰だと思ってるんだ」


 グラスに入った琥珀色の液体を優雅に回転させながら、レイはソファにもたれ掛かる。フードを目深に被って顔が見えないものの、その優れた体格と泰然とした振る舞いで、この店の人間の視線を自然に集めてしまう。


「お前ももうすぐ一緒に呑めるようになるんじゃないのか?」

「そうですね

 あと半月ほどです」

「……次の新月頃か?」

「ええ、初めて飲むお酒は何がお勧めですか?」


 レイはフードの向こうで、じっとこちらを見つめているようだ。今日はマダムが用意してくれたシャンパンゴールドのスレンダーなロングドレスを身に着けている。

 細っこい男の体のラインなど見て、何が楽しいのかと思うが、こういったドレスが割と客に好評だ。


「……マスカード・アスティなんてどうだ?

 泡が優しくて甘口の葡萄酒だが、飲むと幸福になるなんていわれもある

 成人の祝いにはぴったりだな」


 フードから見える口元がわずかに微笑む。

 おお、これが大人の男の余裕……!

 絶対に多くの女性に聞かせてきたやつだ!!


「お酒に謂れなんてものがあるんですね

 今呑んでいるものにもあるんですか?」

「これか? これは──……」


「……何やってんですか」


 振り返るとルディウスが、レイと同じようにフードを目深に被って立っている。声で彼だと分かったが、やはりレイといつも一緒にいるため姿を伏せているのだろう。


「まるで、商売Ωと客みたいなやりとりでしたよ」


 はぁ、とため息をつきながら、俺とは反対側のレイの横に腰を下ろす。


「いやいや、だって、まごうことなく商売Ωと客ですよ」

「……」

「ええ? だって一番嫌いじゃないですか

 Ωを武器に稼ぐ人間が」


 俺の回答に、ルディウスが驚いたようにレイに問いかけている。

 ……なるほど、レイは『Ωを武器に稼ぐ人間』が大嫌いなのか。確かに、ここで初めて会ったときのレイの態度を見ればそうだろう。

 一人納得していると、ゴッという硬いものがぶつかる音がする。

 見ると、レイの肘がルディウスの脇腹に突き刺さっている。


「っぐ、」

「少しお喋りが過ぎるな?」


 フードから覗く口元は微笑んでいるが、表情は掴めない。ルディウスは苦しそうな声で、「もうしわけありません」と呟いている。


「……で例の話はどうなった?」

「……、そちらは抜かりなく。

 今、あっちに手配させています」

「わかった」


 ローテーブルの上で、ルディウスの酒を作りながら二人の話を耳に入れる。

 酒場の中ではあちこちで笑い声が起き、食器のぶつかる音や、流しの音楽が響いている。注意して聞き耳を立てなければ、隣の会話など耳に入らないだろう。ましてや、フードを被っている者同士の会話など。


「てっきりお二人はトマスが捕まってすぐに去られるのだと思ってました」


 そう言うと、グラスを傾けながらレイがにや、と笑う。


「なんだ、寂しいのか?」

「その寂しがられて当然って態度、どうかと思います」


 目を眇めて返すと、レイは面白そうに笑い声を上げた。


「拐われた人々の行方がまだ判明していない。

 調べ尽くして、手を尽くさねばならない。

 まだしばらく、時間がかかりそうだ」

「……ありがとうございます」

「ふ、お前は我が事のように感謝するな」


 なんでもないことのように、レイは微笑んだ。

 ルディウスのグラスが完成し、球体の透き通った氷が浮く、琥珀色のグラスを渡すと、彼はすぐさま飛びついた。


「もう、今日の俺は業務終了で良いですよね?!」

「……構わん

 ほどほどにしろよ」


 ルディウスはロックで用意した酒を、煽るように飲み干すと、笑顔でおかわりを要求する。


「え、えっ!? そんな呑み方して大丈夫なんですか?!」

「こいつは特異体質だ

 酒も毒もほとんど効かないんだよ」

「そうそう、こういう呑み方しないとほろ酔いにもなれなくて

 というわけで、どんどんください」

「……お支払いは」


 にっこー! と満面の笑みでルディウスはレイを指差す。レイは細くため息を吐きながらも笑う。


「一緒で構わない」

「やったー!! リナルドさん、どんどんください」

「はい!」


 今月は売上1位取れるかもしれないな。と思いながら、せっせとルディウスに酒を作り続けた。






「……王都の、夜会ですか?」

「ああ、どうか私と一緒に男爵夫人代理として参加してくれないか?」


 突然の申し出に頭が真っ白になる。俺は今、書庫の7年間溜まりに溜まった明細書の束の中で、埃を吸い込まないために顔の下半分を布で覆った状態でこの話を聞いている。

 ……絶対に俺じゃない。


「父の貴族裁判の前に、どうしても力になって欲しい方々と話をしておきたいんだ」

「……エネア様、スザンヌはどうですか?

 彼女は長年エネア様に仕えていますし、元々は大きな商家の娘です。社交界に出入りもしていたでしょうし、僕なんかよりよっぽど相応しいかと、……」

「何故だリナルド

 君は私の血縁者じゃないか

 家族だ……一緒に行ってくれないか?

 ……父上があんなことになって、一人で王都へ行くなんて心許ないんだ」


 エネアの水色の瞳が、まるで懇願こんがんするかのように潤んでいる。俺よりもずっと高くにあるはずの目が、床に座って作業する俺に合わせて屈んでくれているものだから、上目遣いのようになっている。


 ……いい機会なのかもしれない。

 ここから王都へは半月ほどかかる。夜会は、ちょうど俺の誕生日だ。

 最後にエネアの願いを叶えて、そしてこの屋敷を出ることをエネアに伝えよう。

 出納帳だけはきちんと整理しないと、次の人への引き継ぎもできないから……この作業が終わってから屋敷を出る形なら、きっとエネアも快諾してくれるだろう。


「……わかりました

 ただ、夜会の作法など何も知らないので、教えてくださいね?」


 そう言うと、エネアは安心したようにとろける微笑みを浮かべた。






「王都の夜会?

 ルクセン伯爵の夜会か?」

「ええ! 確かそう言ってたと思います」


 最近、仕事を終えて地下室に帰ってくると、必ずレイがベッドの上で寛いで待っている。男爵夫妻が居なくなって、屋敷にレイを留める人が居なくなったらしい。

 そのせいで、夜眠る時にはレイの香りに包まれるような錯覚を覚えてしまう。勘弁かんべんしてほしい。


 王都の夜会に参加するため、しばらくの不在をレイに伝えた。すると、先ほどの会話になったのだ。何か難しい顔をして考え込んでいるらしい。

 男爵代理であるエネアも不在になる。滞在中のレイとは、きっとこれでお別れだ。


「……レイ様、たくさんお世話になりました

 貴方のような王族がいること、きっと忘れません」


 難しい顔をして俯いていたレイは、俺の言葉を聞いて弾かれたようにこちらを見つめる。


「まるでお別れのような言葉だな?」

「へ? お別れでは……?

 エネア様も王都へ赴かれるので、レイ様たちだけがこの屋敷に残るわけにはいかないでしょう?」


 きょとんとするレイに向かって、俺もきょとんと返す。

 だが、突然レイはいつもの悪い笑みを浮かべた。


「俺も帰る場所は王都だからなぁ

 だったら一緒に王都へ旅すればいいじゃないか!

 明日、早速エネア殿に伝えておこう」


 うわぁ、エネアは嫌がりそうだ……エネアはどうもレイの事が苦手らしい。


 でも。

 正直俺は、気持ちが上向いた。

 レイとの旅路は、なかなかに楽しそうだ。






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