第14話 束の間の平穏
メイド長のドナはエレインの執務室で、準備万端で待ち構えていた。
「エネア様から伺っております
本日、あなたにやってもらうのは、この仕事です」
エレインはほとんど事務的な仕事をしていなかったのだろう。埃が積もった彼女の執務机の上に、ドナがどさっ! と紙の束を置くものだから、舞い上がった埃に、俺だけでなくドナまでゴホゴホと咳を出す。
「っごほっ、
これらの
「……え、これ、もしかして7年前から……ですか?!」
「書庫にもおそらく領収書や納品書などの書類が置かれているはずです。
すべて確認し、きっちり仕上げてくださいましね」
そう言って、ドナは部屋を出ていった。
俺と、書類の山と、埃を残して。
「7年前からって……
母上が亡くなってから、誰も管理してなかったってことかよ……」
一体どうやって王国へ税を納めていたのかと、一気に背筋が凍る思いだが、いつまでも紙の山を見つめていても解決しない。……進めるかぁ。
まずはこんな埃だらけの所にいたら倒れそうなので、窓を開け放って掃除から始める。
……先は、気が遠くなるほど長そうだ。
「リナ!
まだ残っていたのか」
「! エネア様」
まだ、と言われ窓の外を見てみると、細く鋭い月がもう沈みそうになっている。
「もう、こんな時間……
すみません、すぐに片付けます!」
7年前から出納帳はまとめられていなかった。ドナが言っていた書庫にも確認に行ったが、保管されていた書類は日付別にもなっておらず、ただただ積み重ねられているだけだった。
出納帳の現状を把握しながら、書庫の整理も進めるには時間がいくらあっても足りない。
「エネア様、フェデラー家の出納帳が……、その……」
「まったく管理されていなかったのか……」
エネアが俯きながら静かに呟く。
「リナ、すまない。
薄々母が管理を行っていないのではないかと、思っていたんだ。
だが、手を出すことができなかったものだから……」
「……エレイン様なら、そうでしょうね……
エネア様、王国への税はどうやって納めていたのです?」
あの人は自分の領域にとやかく言われるのを嫌いそうだ……と思わず遠い目をしてしまう。
「この領地の収入はほとんどが私の流通業によるものだから、スザンヌに概算の収支を出してもらって、それを元に納めていた
……まさか父が、私の知らないところであんな商売をしているだなんて、夢にも思わなかったけれど……」
「エネア様……」
エネアが見るからに肩を落とす。
どんな人間であれ、血の繋がった父親だ。これから貴族裁判に掛けられることを思えば、当然だろう。
「……エネア様はこれから立派に男爵家を率いて行かれます。
どうか気を落とされず、自信を持って進んでください」
エネアのだらりと落とされた手を握り、ぎゅっと力を込める。
元気を出してほしい。
エネアにはまだ、これから輝かしい未来が待ってる。
「……ありがとう、リナルド」
俺の手を握り返し、エネアはそう言って微笑んだ。
「え、何やってるんですか
殿下……」
仕事を終えて地下室へ戻ると、レイがベッドに肩肘をついて横たわっている。
「遅い
待ちくたびれたぞ、リナルド」
「急に奥様がご実家に戻られて、今大変なんですよ……」
「なんだ、お前が男爵夫人代理を任されたのか」
「そんなんじゃないですよ!
誰もが避ける面倒な仕事を押し付けられたみたいです」
はぁ、とため息をつきながら喉元のタイを緩める。
遅くなってしまったが、早く着替えて酒場へ行かなくては。
一番人気のライラは先日の事件があり、しばらく休むことになった。弟とゆっくり身体を休める時間が必要だろうというマダムの判断だ。
だからこそ、俺もしっかり働いて酒場を盛り上げなければならないのだ。ライラが戻ってきたときに客が減っていたら叱られる。
「……面倒な仕事を押し付けられた……、それだけの話かねぇ」
「? どういう意味ですか?」
「……こっちの話だ
で、酒場へ行くんだったら俺も行こう
飲みたい気分だ」
「ええ〜……」
「なんだ、第六王子が直々に足を運ぶと言っているんだぞ?
感謝されてもいいくらいだと思うが?」
シャツのボタンを外しながら、レイを眇めた目で見つめる。
「あそこは町の人間の
第六王子なんで現れたら、みんな
そうだ! あれ、最初に着てたマント!
あれ着てってくださいよ」
「……お前はこの美しい俺の顔を隠せというのか……」
ぐ、と心底悔しそうに眉間に皺を寄せて、ベッドに顔を沈ませる。
……自分でそのセリフを言っても嫌味にならないくらいに整った顔で。
「隠してください
迷惑なので」
きっぱりと伝えると、ベッドに押し付けたせいでぐしゃりと乱れた前髪のまま、レイはじとりと俺を睨む。
が、「仕方ないなぁ」と言いながらも起き上がり、ベッドに無造作に置いていたマントを身につけた。
俺も早く着替えなければ……、
「レイ殿下、そろそろ後ろ向いてくださいよ
なんで俺が着替えるの、当然のようにずっと見てるんですか」
なぜか仁王立ちで腕を組みながら、真正面に立っているレイに問う。
レイは驚いた風に目を見開いた。
「いや、お前が普通に着替え始めるものだから、見てもいいのかと
Ωがαの前で大胆だなぁと思っていたんだ」
「いやいや、ここ俺の部屋!
俺は急いでるんですよ!
ほら! 壁向いててください!
流石にαの前で裸にはなりたくないですよ!!」
ぐいぐいと押しながら、レイを壁に向かって立たせる。まったく世話の焼ける。
俺もレイに背中を向け、手早く着替えていく。
「こっち見ないでくださいね!!」
「俺はα抑制剤を常用してるから、やたらめったら襲ったりはしないぞ」
「俺だってそうですよ!!
それでも、わざわざΩの肌なんて見るもんじゃないでしょ
そもそも、殿下は俺のことお嫌いでしょうし」
町人のボトムと靴を履き、シャツを頭から被る。
後は首元の革紐を締めて留めるだけだ。
「そんなことはないぞ」
「んえ?!」
耳元で強く否定する声が聞こえる。
振り返ると、すぐ近くにレイの端正な顔が……ばちりと赤い瞳と目が合う。
「ちょっと!! いつの間にこっち向いてるんですか?!」
「リナルド、今のは聞き捨てならん
なぜ俺がお前を嫌いということになるのだ」
「ええ……?」
なぜかレイが真剣な顔をしている。
なんで、そんな所に引っ掛かるんだ?
「だって殿下、酒場で初めて会ったとき言ってたじゃないですか
『淫らな商売Ω』だって。
閣下、商売Ωお好きじゃないでしょ」
レイが赤色の宝石のような目をまん丸に見開いている。こんな表情でも、整った顔は整っているのだな、と新たな気づきを得る。
「って、そんな話をしている場合じゃないんですよ!
行くならさっさと行きますよ!
だいぶ遅刻してるんです」
「お、おい、待て……っ!」
慣れた手つきで通路を開き、レイとともに進む。
……こうして、また誰かと秘密を共有できるとは思っていなかった。子どもの頃、兄とワクワクしながら町へ遊びに出たことを思い出す。
もしかすると、……馬鹿げた話だが、
兄が生きていれば、こんな感じだったのかもしれない。
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