第9話 陽炎隊(ミラージュ)

 三人で酒場へ戻り、マダムに事情を話すと二階の個室を使わせてくれた。

 ライラの弟、ライルに詳しく話を聞くためだ。

 ベッドを置けば、もうサイドテーブルだけしか置けないというような小さな部屋に蝋燭ろうそくともす。一本だけで十分に明るくなる広さだ。


「ねぇちゃんは…、朝から用事があるって家を出たんだ」

「ライル、その用事がどんなものか、お姉さんは何か言っていなかったか?」


 ライルはベッドの上に腰掛け、その前の床にレイがあぐらをかくようにして座り込んで話を聞いている。

 ……まさか王族が床に腰を下ろすなんて……絨毯じゅうたんなど引かれていない。一般庶民が使う酒場だ。板張りの簡素な床に、レイは躊躇ちゅうちょなく腰を下ろし、ライルが話しやすいように、穏やかに話しかけている。


 ──こんな王族が存在するのか。

 少しでも地位や権威のある人間は、Ωを蔑み、商売女を見下し、弱者をしいたげる。

 そんな場面しか見たことがなかった。


 警備兵たちを怒鳴りつけ、何者でもないこんな小さな庶民に目線を合わせる。そんな人間……出会ったことがない。


「……ぼく、春から、がっこうにかようんだって

 ねぇちゃんはがく?がなくてお金がかせげなかったから、ライルはおべんきょうして、しっかりかせぐんだよってそう言ってた」


 レイは言葉を挟むことなく、時折うなずきながらライルの話を聞いている。


「がっこう……、かようのってお金がかかるんでしょ?

 ねぇちゃん、またお仕事ふやすみたいだった

 それで、今日そのお話し聞きにいくんだって……お昼には帰ってくるよって言ったのに……、日が沈んでも暗くなってもねぇちゃん、かえってこなくて……うっ」


 話し終えるとライルはまた泣き出してしまった。

 すかさず、ライルを抱き上げてやる。「大丈夫、大丈夫だよ」と声をかけながら背中をさすっていると、肩口から聞こえていたすすり泣きが、寝息に変わって行った。


「……疲れたんでしょうね。

 マダムがこの部屋を貸してくれたので、今日はこの部屋に泊まらせます。」


 そっとライルをベッドへ下ろし、布団をかけてやる。目元を赤く染め眠る姿に、胸を締め付けられる。

 ……早く、ライラを見つけてやりたい。


「レイ殿下、ライラは弟を残してどこかへ行くような人間ではありません。

 数日前、ライラは契約書を読むために、文字の読み書きを教えてくれと俺に頼んできたんです。

 おそらく、今日ライラはその契約に向かった」

「……そして、そのままさらわれた」


 レイを振り返りこくりと頷く。

 レイも真剣な眼差しでこちらを見つめている。

 

「殿下、どうかお力をお貸しください

 ライラを見つけたいのです

 無事に、ライルの元へ返してやりたい」


 レイはしばし思案するように、顎をさすり始めた。

 流石に厚かましい願いだったろうか。

 レイが一風変わった王族とはいえ、王族だ。こんなただの男爵家の使用人ごときの願いを叶えてくれるはずもない……


「リナルド、もし、ライラを見つけ出したら、お前はその対価として何を差し出す?」

「……っ」


 顎に指先を置きながら、レイは射抜くような視線を俺に向ける。

 ……まるで、試されているようだ。

 この返答次第で、力を貸してもらえるかどうかが決まるのだろうか。


 ごくり、と思わず喉が鳴る。


「……私には殿下に差し出せる財も宝もありません。

 ですので、私自身を、あなたに捧げます。」


 目の前のレイの緋色の目が見開かれる。


「来月には成人し、屋敷を出ます。

 その後のこの身はお好きになさってください」


 伝えきると、はぁ、と深く息を吐き出した。

 レイはこちらを見つめたまま動かない。

 ……こんなΩの身など、王族が動くには足りないだろうか……


「……なぜだ?

 ライラはお前の恋人か何かか?」

「? いいえ、良き仕事仲間です」

「……赤の他人ではないか

 そんなものに、お前はなぜ自分自身を捧げる?!」


 レイの顎に置かれていた手が、信じられない! とでも言うように、胸の前で上下に揺れている。


「……そんなに大きな理由が必要ですか?

 俺に親切にしてくれて、居場所を与えてくれて、希望をくれた。この酒場にいる人たちはみんなそんな人たちです。

 彼らに何かがあれば、自分にできる全力で助けたい。

 そう思うのはおかしなことでしょうか?」


 レイは今度こそ、目を見開き、口を開いたまま固まってしまった。

 だが、これが俺の本心だ。ライラであろうと、マダムであろうと、この店の誰かに何かあれば、俺は力になれるように全力を尽くす。差し出せる対価が何もないなら、自分を差し出すほかない。


「……お前って奴は……」


 レイは両手で顔を覆い俯いた。

 そして、はーっ、と思い切り息を吐き……


「リナルド、話がある。

 お前の部屋へ帰るぞ」

「へ、」


 一拍遅れて、はい! と返事し、共に屋敷へと帰った。











「まさかこんな地下道が通っていたとは……」


 酒場から急いで一緒に地下室へ戻るため、背に腹は代えられず、レイと地下道を通って帰ってくることとなった。レイはともかく、俺は正面玄関を通って帰るわけにはいかないから。


「絶対に他言は無用ですよ」

「俺との秘密が増えていくな、リナルド」


 暗い地下室の中でも、声色だけでいやらしい笑みを浮かべて軽口を叩いているのがわかる。先程までの真剣な雰囲気はどこへ行ったんだ!!


 サイドボードからマッチを取り出し、ランプに火を灯す。

 オレンジ色の光に包まれながら、レイは石壁に凭れるようにして立った。

 レイが座らないのなら、とベッドの上に腰掛ける。レイはそれを見届け、口を開いた。


「まずはお前の申し出への返事だが……

 安心しろ、ライラは必ず見つけてやる」

「! ありがとうございます!」

「もう一つ、俺からの話だが……

 ここからは国家機密に相当する。

 決して口外しないと、この誓約書にサインしてくれ」


 レイが胸元から取り出した誓約書を確認する。


 ──任務において知り得た情報の口外を禁ずる。任務に関わる人物や素性を口外することを禁ずる。

 これを破ったものは、故意であろうと過失であろうと舌を抜かれ、再び言葉を発することは許されぬ。また漏洩の度合い甚だしき場合は、投獄の上極刑に処す。


 さすが国家機密……、恐ろしい内容だ。

 だが、これにサインしなければ先へは進めない。


 ペンを取り出し、サイドボードの上でサインし、レイに差し出す。


「……お願いします」

「……お前には迷いってものがないのか」


 はっ、となぜか嬉しそうにレイに笑われる。

 一体何が面白いのか。


「お前は≪陽炎隊≫というのを耳にしたことがあるか?」

「はい、子供の頃に散々聞かされました。

 この王国の有名なおとぎ話でしょう?」


 幼い頃は本当に存在するものだと思って、信じ憧れていたが、今となっては兄上が言っていた通り、子供たちを楽しませるための作り話だと分かっている。


「いや、≪陽炎隊≫は、実在する」

「え、」


 まさか……


「≪陽炎隊≫は国王直属の特務組織だ。

 国王の密命を受け、王国の治安維持を主に司っている。」

 

 開いた口がふさがらない。まさか、本当に存在するなんて……そして、もしかして……


「で……殿下も≪陽炎隊≫の一人なんですか……?」


 だが、レイはその質問には答えず、意味深に微笑むだけだ。


「今回俺は国王の密命を受けて、この地を調査しに来たんだ。

 お前、知ってるか?

 この1年、この辺りでどれほどの人間が行方不明になっているか」


 蝋燭の火に照らされるレイの瞳は、まるで炎が揺らめくように静かに光っている。

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