第8話 異変

 翌日、酒場に来てみると、マダムや他のキャストたちが落ち着かない様子で控室で話し合っている。


「え? 今日もライラ来てないの?」


 今日も変わらず酒場は賑わいを見せているが、一番人気のライラが今日も出勤して来ないという。昨日にひきつづき、二日目だ。こんなこと今までになかった。

 俺はスザンヌから残業を与えられ、こちらに来るのが遅れてしまった。まだドレスに着替えておらず私服姿のままだ。


「なんの連絡もなく休む子じゃないわ

 何かあったんじゃないかと心配で……」

「うん……、

 マダム、俺ライラの家に行ってみるよ

 もしかしたら風邪でも引いて寝込んじゃってるのかもしれないし」

「リナちゃん! ありがとう

 お願いするわ」


 外套を羽織り直して町へと飛び出す。ライラの家は確か酒場のすぐ近くだ。年の離れた弟のライルと二人で暮らしていたはず。


 目的の借家を見つけ、扉をノックする。この辺りは家賃が安く、その分、昼間から酔っ払っている者やあちこちで殴り合うような揉め事もよく起こっている。だが、安定した職業に就くことができないΩや子持ちの女たちはここで暮らすほかない。危険から必死に身を守りながら、生きているのだ。


「……お兄ちゃん、だぁれ?」


 ノックに応えてくれたのは、目の周りを赤くらした少年だった。この子がライルだろう。まだ5、6歳だろうか? 俺の腹の辺りまでしかない目線に合わせて、膝をついて話しかける。


「俺、ライラ姉ちゃんの仕事仲間なんだ

 今日、ライラ姉ちゃんが仕事に来ないから、心配して様子を見に来たんだよ」


 話を聞くやいなや、ライルは大きな瞳に目一杯涙をめ始める。


「ね、ねえちゃんっ

 昨日からかえってこない!!

 ねえちゃん、どこいったの? いつかえってくるの……?

 うっ ねぇちゃん ねぇちゃん〜〜〜!!」

「!」


 ライラが帰ってない?

 弟のために、酒場の仕事を選んで、弟のためにトップにまで上り詰めたライラが?

 

 自分の意志で帰らなかったわけじゃない。

 ──ライラに、何かあったに違いない。


「……ライルくん、俺と一緒においで」


 俺はライルを抱えて走り出した。






「お願いです!

 話を聞いてください!!

 この子の姉が、帰ってきてないんです!」


 俺たちが向かったのは警備兵の詰所だ。男爵家の私兵とは別に、王国の各領地へ王家から派遣されている治安組織だ。

 王国法にのっとり、何か事件があれば対応してくれるはずの組織。到着してすぐに、ライラの捜索そうさくを訴えた。

 だが……


「商売女だろ?

 いい男にでも出会ったんじゃないか?」


 警備兵の男たちはいやらしい笑い声をあげるだけで、まったく取り合ってくれない。


「ライラはそんな人じゃない!

 きっと何か起こったんです!

 どうかさがし──」


 頬に痛みが走る。

 頬を打たれたのだと気づいたのは、ライルを抱えながら後ろに倒れてからだ。

 なんとかライルを取り落とさずに尻をつくことができた。


「ピーチクパーチクうるせぇなぁ!

 Ω風情ふぜいがよ!!

 この辺りじゃ女が突然消えるなんて日常茶飯事だろうが!

 そんなもん、いちいち探せるかよ

 俺たちも暇じゃねぇんだ!」


 警備兵が倒れ込んだ俺にじりじりと近づく。


「だが、そうだなぁ〜……

 お前が身体を張って俺たちにお願いしてくれたら、気が変わることもあるかもしれねぇなぁ」


 こちらを見下ろす警備兵の顔が、下卑げびた笑みに染まり、俺の首元へ男の手が伸びる。

 

 ──このまま、詰め所に引きずり込まれたら、逃げ場がない。

 この男の後ろで笑っている奴らも、警備兵全員がこの成り行きを見守っている。全員が手を出してきたら、いくら暴れても逃げようがない。

 ……っ、くそ、心臓の音がうるさい。ライルだけでも逃さないと。

 姉が居ない中不安いっぱいのはずなのに、姉と同じΩが襲われるところなんて絶対に見せられない。


 ライルを背中側へと逃がし、逃げるように伝えようとした。

 そのとき──、

 警備兵の腕を横から掴む手が現れた。


「……褒められたものじゃないな

 警備兵はこの町の民を守るのが仕事なんじゃないのか」

「っ! なんだてめぇは!

 部外者は引っ込んでろ!!」


 見上げるほどの背に、銀色に輝く髪……

 ──レイだ。


「部外者……ともいえないなぁ

 警備兵を束ねる王国法は我々が作ったものだし……その履行りこうが為されていないところを見てしまったら、放って置くわけにはいかないよね」


 緋色の目を笑みの形に細めながら、腕を握る力は強めているらしい。警備兵の顔が苦悶くもんの表情に変わる。


「ま、待て……今王国法を『我々が作ったもの』って言ったか?!」

「今、男爵家に第六王子が滞在してるんじゃなかったか?」


 詰め所にいた警備兵たちの顔が一様に青ざめ、一斉に姿勢を正す。


「第六王子、レイ・オルベルク殿下!

 見苦しいところをお見せしてしまい、大変申し訳ありません!

 ささ、よろしければ奥でお茶でもいかがですか?

 偶然にも昨日、東方の最高級茶葉が届いたのですよ!」


 奥から所長らしき男が現れ、レイにしきりに頭を下げ始めた。

 その様子を見遣みやりながら、静かに立ち上がり腰の土埃つちぼこりをパンパンと払う。そうして、ライルと手をつなぎ歩き出す。

 Ωや弱者はどうでも良い存在だが、やはり王族は無視できないものらしい。警備兵なんて頼ろうとした俺が馬鹿だった。


 警備兵が捜索してくれないのならば、自分たちで探すしかない。まずはマダムに報告して、それから──……


「謝る相手が違うだろう」


 凛とした声が響いた。レイの声だ。

 思わず、詰所を振り返る。

 レイの発言を受けて、所長が戸惑っているようだ。


「? 殿下、どういう……ことでしょう?」

「所長ともあろうものが、この事態を把握できていないのか?

 民間人が行方不明になり、その捜索を訴えた者に、この警備兵は暴力を振るい、挙句あげくの果てに卑猥ひわいな言葉を浴びせかけたのだぞ?」


 所長はレイを見つめ、そして俺のほうを見遣る。

 町民の安っぽいシャツを身に着けた俺は、少しだけ首元の首輪が見えている。一見してΩだと分かるだろう。

 所長の目は、汚らわしいものを見るように眇められる。


「殿下……あれはΩですよ?」


 はは、と所長は笑って話題を変えようと試みる。

 だが、所長の答えを聞いたレイの横顔は一切笑っていない。

 

「Ωだろうと、α、βであろうと、何の関係がある!

 貴様らが守るべき領民であろう?!

 貴様ら、警備兵の職務をなんと心得る!!」


 体の芯まで震えるような怒声が、詰め所に響き渡る。その緋色の目は警備兵たちを睨みつけ、まるで炎が揺れるかのように輝いている。


「貴様らの処分は追って伝える」

「え、……レイ殿下?!

 処分とは?!

 そんな……っ!!」


 レイは追いすがってくる所長や警備兵を無視し、こちらに歩み寄ってきた。


「少年、怖い思いをさせてしまい、申し訳なかった。

 俺に詳しく話を聞かせてくれるか?」


 ライルに目線を合わせるように膝を折り、腰を屈めて優しい声音で話しかける。先ほどの怒声を放った人間と同一人物だとは思えない。

 呆気にとられたまま、レイを見つめていると、不意に目が合う。


 ──初めて見るぞ、そんな優しい笑み。

 美しい金色の目を細め、レイは穏やかに微笑んだ。




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