株式会社竹取商事、本社ビルにて

蓮村 遼

こんな夜でなければ

「月が綺麗ですね」



 隣で三門みかどさんが呟く。確かに、頭上には大きな、大きなまん丸の月。

 私は言葉通りに受け取る。



「今日は満月ですもんね~。パソコンの画面ばっかり見てて、危うく見過ごすとこでした」



 残業していたら、たまたま三門さんもその場に居合わせた。それだけ。そしてたまたま窓の外が明るくなった。

 二人とも、窓に吸い寄せられた。

 ただ、それだけ。



「……、神楽夜かぐやさん。君ってやつの中にこの状況をロマンチックと捉える感性はないのか? この言葉の真意がわかれば、君は今頃赤面していたっていいんだぞ?」

「私は、言葉の真意を受け取ったうえで先ほどの返しなんです、三門さん」



 三門さんが私の横で吐息を漏らす。笑ったような、ため息のような。




 こんな夜でなければ、私も赤面し、恥じらいさえしていただろう。三門さんにはひそかに恋心を抱いていた。しかし話しかけることも、見つめることさえもはばかられるほど、三門さんは社内で人気があった。

 イケメンで気取らず、誰にでも分け隔てなく接する、少女漫画や小説に登場するような好青年。これで彼女なしの34歳。よほど、何かがあるのだろう。そうでなければ、このような優良物件が売れ残るはずがなし。



「神楽夜さん、全部聞こえてるんだけど。心の声だろうと思う長文が君の声帯を震わせて全部出てるよ」

「三門さんって結婚しないんですか好きな人いますか?」

「今の聞いて答えられると思う君のメンタルって弱いんだか強いんだかわかんないよね。そういうところが面白いけど」



 三門さんの目尻の皺の陰影が、月明かりでよりコントラストを増す。



「そういうところが好きだって言ってくれないんですか? こんな夜なのに」

「僕は最初っから言ってるんだけど。君に。『月が綺麗ですね』って」



 一瞬で私は閻魔大王のごとく赤面した。かなり恥ずかしい。嬉し恥ずかしい。



「……これは、いわゆる、両想いで間違いないでしょうか?」

「神楽夜さんがそう思っているなら、そうだと思うよ。君の赤面が本心ならね」



「手を……、つないでもいいですか?」

「いいの?そんなもんで。大人の恋ならもっと踏み込んでもいいんじゃない?もうこんな時間だしさ」

「いや……。びっくりしてそれどころじゃ…。確かに、そんな時間ですけど。もうこれで十分です。……三門さんはご不満ですか?」

「……確かに。君の言う通りだ。こんな夜には、初々しいにもほどがある、けど清らかな愛が良いかもね」



 私はおずおずと三門さんの方に手を伸ばす。三門さんの綺麗だけど、ごつごつした、男性の手が私の手に重ねられる。

 指輪もない、何もない左手同士を重ね、軽く握り合う。

 私たちは笑い合った。

 微笑み、徐々に明るくなる光に目がくらみそうになりながら、相手の顔を脳裏に焼き付けるためにできるだけ長く、お互い見つめ合う。




 ――その夜、世界は終わりを告げる。

 大小の星々と連れ立って、月が地球に舞い落ちるから。

 しかし月は変わらない。毎夜、地球を照らした美しさのまま。




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