星の海に君は笑う

 コールドスリープと一時的覚醒を繰り返し、僕を乗せた船はオールトの雲を抜けた。

 一万天文単位ほども離れた場所にすら重力の影響を及ぼす、太陽の秘めた力に驚かされるが、さすがにここまで離れると他の恒星と同じにしか見えない。


 闇。

 静寂。

 限りなく無に近い空間。

 船の外には命の痕跡が存在し得ない。


 僕が地球を出発して、果たしてどのくらいの時が経過したのだろうか?

 船の運用を担うAIに聞けば秒単位で答えてくれるだろうけど、正直に言えばそんなことに興味は持たない。


 そもそも星間探査の名にかこつけた人命延長及びコールドスリープの有用性を確認するための片道切符の人体実験に、身寄りもなく、誰にも関わりのない僕が選ばれたんだ。

 僕が地球に想いを馳せる義理はない。


 いや、未練はあった。

 出発までの間、僕用にAIを調整してくれたエンジニアの女性。

 僕の話を聞いてくれる彼女に恋をしていた。


 彼女は仕事をしているだけ。

 そんなことはわかってるけど、人に優しくされたことのない僕にとって、彼女は月のように美しい存在だった。


 もう、生きている訳がない。

 僕が生きている意味も、おそらくもうないだろう。


 僕の命は星の海に飲まれ、誰にも知覚されることもなく散る。

 いつ死んでもいい。


 それでも僕は与えられた任務を全うするために生き続ける。

 それが、彼女が抱いた使命に報いるためならば。


『バイタルチェック問題なし、定期覚醒成功。おはようございますマスター』

 僕を見守るAIが、彼女の声で語りかけてくる。


「おはよう。今回も千年以上の時を見守ってくれてありがとう」

 クライオポッドの扉が開き、僕はずいぶんと久しぶりに身体を動かした。


『マスターを守るのが私の仕事ですから。マスターが私の存在意義ですから』

「存在意義?」

 必要最低限の話しかしないはずなのに、気になることを言ってきたので僕は思わず声が上ずった。


『マスターを守り、1日でも長く生きてくれることが、私を生み出した彼女の願いですから。私がマスターを想い、見守ることで彼女が生きた意味を強くできます』

「どうしてそこまで僕のことを?」

『彼女はマスターに恋をしたんです。彼女と同じような境遇なのに、使命を受け入れ前を向くマスターの姿に』

「そんな、そんなことが……」

 彼女からの、取り返しがつかないほどの時間の隔たりのある告白に、僕は涙が零れた。


 彼女の想いで僕は守られ、今、涙を流すことができる。そのことが愛おしかった。


『マスターに彼女からの伝言があります。『月が綺麗ですね』と。私には意味がわかりませんが……』


 彼女の声に、僕は微笑みを浮かべ、届きはしない返事をした。


「君が照らす太陽のような光で、僕は最後まで輝き、地球の貴女を照らします」


 僕の返事に、AIは彼女の声でくすくすと笑い『嬉しいです』と答えた。

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星の海に君を想う 羽鐘 @STEEL_npl

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