For You
若生竜夜
前編
あなたへ。
無限の「ありがとう」を込めて。
*
彼と出会ったのは、夕暮れ時、人けのない海岸でだった。
わたしは引っ越してきたばかりだった。住んでいた町や友だちと離れたくはなかったけど、親の都合やいろいろ有って、海辺の村に住むおばあちゃんの元に引っ越すしかなかったのだ。
引っ越したのは、学期の最終日が終わってからだったから、夏休み中のこの時はまだ新しい学校にどんな子がいるのかも知らなかった。だから友だちなんて、とうぜん一人もできていなかった。前の学校の子たちと連絡を取りあえれば、少しはさみしさもましだったんだろう。でも、このころはまだわたしたちの年代の子は携帯電話をほとんど持ってなくて、なによりわたしが新しく住むようになった村は、うまくアンテナの立たない、とても電波状況の悪い場所だった。
いつの間にかわたしは、昼間は部屋でだらだらとテレビをながめ、飽きるとひとり外へ散歩に出るようになっていた。
強すぎる太陽をさけて歩きたいと思えば、どうしても日が落ちかける時間になる。浜のどこかで、波にさらわれそうな細い声で鳥が鳴いていた。砂をあらう海水が、マリーゴールドみたいな光に泡立っていた。わたしは打ち寄せられた流木や海草をさけて歩きながら、時おり落ちている色のきれいな貝殻をひろって集めていた。
「なあ」と、声が降ってきたのは、浜の中ほどに突き出した、ごつごつした大きな岩のそばまで来たときだった。
「最近よく見かけるけど、お前どこの子? この辺の子じゃないよな?」
見上げると、わたしの身長の倍以上ある岩の上に、Tシャツ姿の男の子が腰をかけて、足をぶらつかせていた。たぶん同じ年くらいの子。健康そうに日焼けしている、くりっとした目の男の子。彼は小さなかけ声とともに、わたしの前に飛びおりてきた。
「え? な、なに?」
わたしはおどろいて後ずさる。男の子が、安心させるように、にぱっと笑った。まぶしい、ぴかぴかの笑顔だ。
「オレはオギケイスケ。おまえは? オレと同じくらいだろ。中二? 中一? 浜坂中学の二年ならオレが知らないはずないしな。なあ、名前なんていうの? 教えたら、減る?」
わたしは思わず噴き出してしまった。減らないよ。っていうか、ふつうそんなこと聞かないよ、おもしろい子だなぁ……。
「わたしは谷木若葉。中学二年生だよ。ちょっと前に引っ越してきたばっかりだから、知らなくてあたりまえだと思う」
わたしはまだ少し笑いながら、オギ君に答えた。
「そっか。んじゃ、夏休み明けには学校来るのかな。よろしく」
オギ君はまたにぱっと笑って、手を差し出してきた。あくしゅなんてめずらしいな。そう思いながら、わたしはその手をにぎり返した。
「ところで、ヤギはさっきから何集めてんの? 貝がら?」
オギ君はわたしの左手をのぞき込んで言った。
「ん。そう」
わたしは持っていた貝がらのふちを指でなぞった。
「さくら色のとか、きれいだなって思って。でも、あんまり落ちてないんだよね」
「探すと逆に見つからないんだよ」
オギ君は知った風にうなずく。
「オレ、貝がらのきれいなの、たくさん家に持ってる。ヤギ、オレのコレクション見る? 見たい?」
「えー」
わたしはまた笑った。オギ君の目は、きらきらしている。なんだろう、わたしまで楽しくなってくる。
わたしはさっきから笑いっぱなしだ。なんかいいなぁ……はじめてで自然に話せるの、うれしいなぁ……。
「見たい、かも?」
あ、でも、あんまり遅くなるとしかられちゃうよね。そう思って首をかしげていると、オギ君は、ビッと親指を立てて返してきた。
「オッケー、だいじょうぶ。明日持って来る。明日もここ、来るよな?」
「うん。そうだね、来るよ」
「んじゃあ、明日! 明日またな!」
わたしは大きくうなずいた。
次の日、オギ君は、約束どおりコレクションを持ってあらわれた。ビンいっぱいのさくら色やオレンジ色の貝がら、もようのきれいな巻貝は、もちろんわたしの目を引いたけど、それ以上に彼が運んできた別のものが、わたしを喜ばせた。
オギ君は、男の子と女の子の友だちを一人ずつ連れてきたんだ。
あたらしい友だちは、岬君と山野さんという名前だった。二人とも荻君――みなそれぞれ砂浜に名前を書いて見せあったおかげで、私はこの日オギ君が荻啓祐と書くのだと知った――の幼なじみで、近所同士なのだそうだ。岬君はわたしと同じくらいの身長で、愛きょうのある八重歯の男の子。山野さんは、すらっとした手足の、見るからに元気印の女の子。
「転校生かぁ……すげぇなあ。まだ誰も知らないの?」と、これは岬君。
「だったら秘密にしておこうよ。男子に教えたら、いっきに押し寄せてきて谷木さんが迷惑するって」と、こっちは山野さん。
「そりゃ、ゴボウみたいなお前とちがって美人だからなー。郁、完全に負けてるヨ」
「なんですとー!」
ふざける岬君の頭を、山野さんがグーでたたく真似をする。
「うわ、こわ! 啓祐、若葉ちゃん、たすけてー、郁はすぐ怒るんだ」
岬君がわたしたち二人の後ろに逃げ込み、ふざけて悲鳴を上げた。
「ホントだ、郁、こんな目になってる」
指先で両目をつり上げるまねをして、荻君まで山野さんをからかいだしたから、わたしはおどろきとあせりで、「えっ」とか、「ちょっと」と、おろおろしてしまった。だけど目が合った山野さんは笑っていて、本当に怒ってるわけじゃなくて、じゃれてるだけなんだってわかったから、安心して――。
気がつくとわたしも、いっしょになって笑い合っていた。
水槽みたいな潮溜まりを教えてもらったり。砂浜に座って、今はまってるものの話をしたり。彼らといるとにぎやかで、すごく楽しかった。いつもあっという間に時間が経っていて、びっくりした。
昼間荻君たちと会えないのは残念だったけど、陽の弱まる夕方から夜にかけての短い時間だけでも生き返る気がして、わたしは一日中ずっとその時が来るのが待ち遠しくて、そわそわしてた。
思い出の中のことだから、わたしが出来事をひどく美化してしまっていると思う人もいるだろう。そうかもしれない。けれどそれだけじゃない。それだけじゃないと思うんだ。
浜の大岩によじ登った話をしよう。
わたしはたくさん動くのがはっきり得意じゃない。何度か誘われた海水浴も、日が暮れてからしか来られないから、と理由をつけて断っていた。
それは少し運動しただけですぐに疲れてしまうからだったのだけど、この時はなぜだか、わたしも荻君たちといっしょになって大岩に登り、見たことの無い景色をながめられると思ってしまったんだ。
……ううん、そうじゃない。なぜだかじゃなかった。わたしは彼らがうらやましく、自分を過信してもいたんだ。だいじょうぶ、このくらいなら激しい運動にはならないから、と。
結果、わたしは自分のぽんこつぶりを、再確認するはめになった。なんとか頂上のたいらな場所までは登りきったのだけれど、ひどい息切れとだるさで、その場にうずくまってしまったんだ。
わたしはたぶん、まっ青になっていたんだろう。
「だいじょうぶか?」と、荻君たちが顔をのぞき込んできた。
「きっつかった?」
「どうしよう、だれか呼んできた方がいいかな」
「だ、いじょうぶ」
わたしは冷たい汗をがまんしてほほ笑んだ。
「ちょっと、貧血なだけだよ。じっとしてれば、なおるから」
わたしを前に、三人が顔を見合わせる。だいじょうぶ、じっとしてればおさまるから、ここに居させて。もったいないよ、せっかくの景色、見ずに下りちゃうなんて……。わたしはシャツの胸元をギュッと握りしめる。
「じゃあ、谷木、寝てろよ」
荻君がTシャツを脱いで岩の上にしいた。
「少しはちがうだろ」
「ちょっと、啓祐、そんな汗臭いのやめてよ。ハンカチとか無いの?!」
山野さんがきれいなハンカチを出して、やっぱり岩の上にしいた。
「えー、ほかに無いし、いいんじゃないかなあ。っつか両方使っちゃえばいいんじゃん。ささ、若葉ちゃん、小汚いTシャツとハンカチですが、どうぞどうぞ」
「なんでお前がまとめてるんだよ、慎也」
わたしは彼らに甘えて寝ころばせてもらい、海から昇ってくる月をながめながら胸苦しさを覚えていた。ありがとう、みんな優しい。わがままを言ってごめんなさい……。
数日が経ったころ、夕食中におばあちゃんから注意された。
「最近帰りが遅いんとちゃう? どこ行っとるん」
お父さんは週末にしか帰ってこないから、平日の食事はわたしとおばあちゃんの二人きりだ。おばあちゃんは話しかけてもあまり返してくれなくて、わたしはポツポツと切れてしまう会話に居心地の悪さを感じながらいつもおはしを動かしていた。だけど、めずらしくおばあちゃんから話しかけてきたと思ったら、この半分探るようなしかる言葉だったんだ。
「どこって……ただ浜を散歩してるだけだよ」
わたしは少しの後ろめたさを感じながら答えた。お父さんとお母さんが別れて以来、おばあちゃんはわたしが村の人たちと関わるのがあまり好きではないようだった。
「それにしたって」と、七十を超えてもつやつやしてる眉間に深くシワが寄った。
「半時間もあれば帰ってこられるやろに。あかんよ、夜遅うまで出歩いたら。あんたはそれでのうても丈夫やないのに、この上変な事にでもなったら、お父さんに申し訳ないんよ」
わたしはうつむいて唇をかむ。おばあちゃんが心配しているのはお父さんへの言い訳で、わたし自身じゃない。それはずっと前からわかってはいるけど、時々こんな風に、改めて思い知らされるのはやっぱり辛い。
「えっと、でもこの辺は治安はいいって……」
「ゆうても、遅なってから浜の方はあかん。女の子なんやし、日が暮れてから出歩くんはやめとき」
精一杯した反論は、あっという間に切り捨てられる。ああ、明日も荻君たちと会おうって約束したのに、どうしよう……。
わたしはまぬけにも、このときまだ彼らの電話番号すら聞いていなかったんだ。お互いにちゃんとした家の場所だって知らない。
いきなり行かなくなったら、みんなきっと怒るだろうな――。そう思いながら、結局わたしは二学期がはじまるまで、荻君たちと連絡を取れずに、おばあちゃんに見張られて過ごしたんだ。
新学期。おどろいたことに、わたしは荻君と同じクラスだった。
先生がわたしを紹介するとき、荻君はわたしを見なかったけど、それ以外は別に何事もなくて、わたしが休みの間に約束を破ったことも、だれかに言いふらしたりしてないみたいだった。
わたしは少しだけ安心して、少しだけ自分に腹を立てて、それから、少しだけ悲しくなった。そうだよね、みんながみんな前の学校にいた子たちみたいに意地悪なはずもないよね。でも、目を合わせてもらえないのは、さみしいな……。
ほかの二人のうち、岬君はおばあちゃんの話をすると、「そうなん? ばーちゃんうるさいと大変だな」と、あっさりゆるしてくれた。わたしはそれで気が抜けたのだけど、山野さんには少し怒られたな。
体育の合同授業で、たまたま二人とも見学だったときだ。
「理由はわかったけど。でも心配したんだからね、すごく。大岩のときのこともあるし、もしかして何かあったんじゃないかって、ぐるぐるしたんだから」
「ごめんなさい」
「いいけど。啓祐にもちゃんとあやまりなよね。あいつ毎日浜に見に行ってたんだから。あたしや慎也が、二学期になれば会えるんだからそれまで待てば? って言ってもよ」
「ごめんなさい……」
わたしは本当にほかにあやまりようがなくて、ごめんなさいとくり返すばかりだった。でもそれでゆるしてもらえて、山野さんにまた仲良く話してもらえるようになったのは、本当にありがたいと思う。なぜって、あやまってもゆるしてもらえないことだって、充分ありえたから。友情っていうものは案外もろいのだと、経験からわたしは知っている。
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