イケメン世話焼き神様に匿われています

@Temppa

プロローグ

第一話 導きの夜


 


光が揺れている。

梢の隙間から、木漏れ日がこぼれていた。


山あいの石段を、小さな足が駆け上がる。

肩で息をしながら振り向いた少女に、

ゆるやかな声がかけられた。


「茜、そんなに急いだら転ぶで。」


振り向くと、祖母が笑っていた。

深い皺の奥の目尻が、陽の光に溶けている。

夏の風が吹いて、竹籠の中の風鈴が鳴った。


「ほら見てみ。階段の上にあるやろ、あれが天狼さんの社や。」

「てんろうさん?」

「そうや。この土地を護ってくれとる神様や。」


茜は首をかしげた。

「どんな神様?」

「人が道を見失ったとき、星の光で導いてくれるんや。」

「ふーん。じゃあ茜が迷っても助けてくれる?」

「もちろんや。……これ、持っとき。」


祖母は古い布袋を開いて、小さなお守りを取り出した。


「これね、ばあちゃんが昔もろたもんや。ほんまに困ったときは、ぎゅっと握ってお願いするんやで。」

「ばあちゃんもお願いしたことあるん?」

「あるで。……そのとき、助けてもろたんや。」


風が木々を渡る。

茜はお守りを両手で抱えるようにして笑った。


「ありがと、ばあちゃん。」


祖母も笑った。

その笑顔の奥に、どこか切なさの影が差していた。


 


――その光景は、いつも同じ場所で終わる。


 

それから、どれぐらい経っただろう。

白い部屋。

病院の匂い。


茜は祖母の手を握っていた。


「ばあちゃん。」


握り返してくれるはずの指が、もう動かない。


「……ばあちゃん。」


応えはない。

機械の音が、遠くで途切れた



━━━━━━━━━━━━━━━

 


「……ハッ!」


飛び起きると、目の前に暖かな日差しが差し込んでいる。時計の針は既に昼の12時を回っていた。


心臓が早鐘を打っている。

冷や汗が頬を伝って、シーツに滲む。

息を吸おうとしても、うまく吸えない。


「ヒューッ、ヒューッ、はぁ、はぁ、」


窓から差し込む穏やかな日差しには、似ても似つかない自分の身体の反応に苦笑してしまう。


茜は額を押さえた。


「何回同じ夢見るねん…。」


そういえば、アルコール飲み出してから悪夢を見る回数が増えた気がするなぁ。


てか、もう昼か。あー今日大学あったっけ…

うわ二限からやん。もう終わってるな___

 


部屋の隅には、空き缶が倒れて転がっていた。

机の上には描きかけのキャンバスと、灰皿と、ペンキまみれの筆。

カーテンの隙間から射す日差しが、

その散らかった空間の中に埃の粒を照らしている。


ベッドの上に座り込み、

しばらく何も考えずに天井を見つめていた。


田舎の広い敷地の家に、私は1人で住んでいる。


 両親は元々居なかった。わたしを育ててくれた祖母は、持病が悪化して、3年前に死んだ。


「……なんで、この夢っていつもここで終わるんやろ。」


小さく呟いて、笑った。

笑った瞬間、胸の奥がひどく空っぽに感じた。


机の隅に置かれた小さな包み。

色褪せてしまったお守り。

手に取って、まじまじと見つめる。


「神様なんてほんまにおるん?」


問いかけても、返ってくるのは冷えた静けさだけだった。

握って願ったら助けてくれるだなんて、そんなこと、信じている訳では無いけど。


私はそのお守りを手に取った。


(神様。これが聞こえているのなら、どうか私の空っぽな心を満たして。)


……もちろん、何かが起きるわけがなく。


「はぁ……」


このどうしようもない孤独を満たす方法なんて、私には分からない。

気晴らしに友達と遊んでも、男と遊んでも、虚しさだけが残るだけ。


その日も大学を休んだ。

絵具を触る気にもなれず、

代わりに冷蔵庫から缶ビールを取り出した。


スマホの画面には、見覚えのある名前が並ぶ。


男1「今日空いてる?」

男2「どこおるん?飲まへん?」

男3「最近見ないけど大丈夫?」


通知を全部スワイプして消していく。


「……」


タバコに火をつける。


煙が天井に溶けていく。


慰めの為だけに消費する缶は1本、また1本と増えていき___


━━━━━━━━━━━━━━━


「ふははは、なんか楽しくなってきたぁ〜。真夜中やけど追加で酒買いに行くかぁ。まぁド田舎やから徒歩30分ぐらいかかるけど笑、てかなに一人で喋ってんねーん、でへへへへ」


齢21にして酒を覚えてしまった茜の予後は悪そうだ。


私は酔っぱらい特有の衝動性に支配されて、つっかけをはいて外に出た。


田舎の夜道は暗い。

街灯の下には小さな虫が群がっている。


「……静かやなぁ〜 真っ暗やし。街頭無さすぎやろ!」


目的地についたが……コンビニの明かりは薄暗く、扉は開かない。


「閉まってるやん……」


そう、ここはド田舎。コンビニの営業時間は夜12時までだ。


「あー。まあ、いいか。散歩したかっただけやし……」


おぼつかない足取りで引き返す。


「天狼の森のあけぼのに〜🎶って曲、小学校のとき無理やり歌わされたなぁ まだ歌えるんか、わたし。」


丑三つ時の、真っ暗な空間に茜の歌声が混ざって消えていく。そうしていると、昔の記憶が頭の中に浮かんでは消えていく。

ああ、あの時は友達とあの神社で肝試しをしたなあ。

あそこって境内が森のトンネルみたいになっててなんかおもしろいんよな。昼間に行くと村の景色が一望できて結構気分良かったなあ。


そんなことを考えているうちに、自然と私は、天狼神社に向かって歩き出した。


「……っと… ここやな…」


目の前に、鳥居。

古い石の階段。

両脇を覆う木々のトンネル。

風が吹くたびに葉がざわめき、

どこか遠くで風鈴の音が鳴る。


「……」


茜は缶を片手に、導かれるようにふらふらと石段を上り始めた。


不思議なことに、茜が階段を上るのに合わせて、灯籠の明かりが、ひとつ、またひとつと灯っていく。


「……なに?歓迎されてるって感じー?」


奇妙な現象が起きているにもかかわらず、アルコールに脳を犯されていた私は、お構い無しに階段をのぼってゆく。


息が切れるころ、社の前にたどり着いた。


「夜中に来たことなかったけど、こんな感じなんや」


上からの景色は、真っ暗闇の中にぽつ、ぽつと村の明かりが見える。


夜風に撫でられて気持ちよさに身を任せていると、背後から足音がした。


「え……?」


振り向くと、

何者かの影が月明かりに浮かんだ。


「この時刻に人が立ち入る場所ではない。」


黒い衣の男が、社の影からゆっくりと現れた。

その足音は静かで、風の音さえ呑み込む。

月明かりが髪に淡く反射して、まるで夜そのものが形を取ったようだった。


茜は目を丸くしながら応えた。


「え?えーと……昔ここで遊んでたから、今どうなってんのかなって思って……」


「……今何時だと思っている。夜中の二時だぞ。」


「え、二時?ヤバ!」


「ああ、だからもう帰___」


「あーそうや!あそこのコンビニもう閉まってたもんな!」


「……は?」


「コンビニが閉まるって、さすがにド田舎すぎるって!ははははは!」


「……」


絶句する彼。

静寂の社に、酔った笑い声が響き渡る。


「おい……。」


突然現れた少年は怪訝な顔をして茜を見つめる。茜はそんなこともお構い無しに青年に話しかけた。


「ほんでお兄さん誰なん?」


「…俺はこの神社に祀られている神だ。名を天狼玲於と言う。」


「ええ神!?ヤバ!今私神様と喋ってんの!?えぐー!!えぐすぎ!!幻覚ちゃうよなこれ。そうやなんか今日御守りにお願いしたんよ。誰かこの心を満たしてくれーって!ホンマにお兄さんにあえてよかったわ!めっちゃ満たされたわ!まじもう私ら友達やんな!!わははは!!」


「……よく喋る人の子だな。」


「ははは……はぁ。ねぇ、何やってんねやろな、私。」


「用がないならもう帰れ。」


「帰っても、誰もおらん……」


「……」


不意に茜の顔が曇って、足がふらりと崩れる。


「!」

「おい、危な――」


青年は咄嗟に腕を差し出す。

茜の身体の重みがよりかかり、安心したのもつかの間___


「ぅ゛え……気持ち悪い……」


「おい……!?」



━━━━━━━━━━━━━━━




身体を引き離そうとしたが、もう遅かった。

どろりとしたものが、黒衣の胸元に広がる。


深夜の天狼神社に痛い沈黙が広がった。



青年は信じがたいという顔で、自分の衣を見下ろす。


「え……は……?お前……」


顔を上げた時、茜は顔色を悪くしながら、

「ごめ……気持ち悪くて……」と、呟いた。


「この身に……ゲロを……初めてだ……」


その声には、怒りよりも純粋な驚愕があった。

何千年も人を見てきた神が、初めて「想定外」に直面しているらしい。


呆れ果ててそう呟いた時には、茜はすでに玲於の胸にもたれかかって眠っていた。

月明かりが二人を照らす。

彼はしばらく動けず、ただその寝顔を見下ろしていた。


「……いくらなんでも、図太すぎるだろう。」


「しかし…放っておけるわけがない、か。」


ため息をつきながら、

彼は茜を抱き上げ、静かに社の奥へと歩いていった。


 


――次の日。


蝉の声が遠くで鳴き始めた。

薄い布団の上で茜が呻いた。


「……死ぬ……頭痛い……」


鼻をくすぐる香ばしい匂いに、

ぼんやりと目を開ける。


「……あっ……すごいいい匂い……なにこれ……」


縁側の向こうで、土鍋の湯気が立ちのぼっていた。

味噌としじみの匂いがする。


その向こうから、

涼しげな声が落ちてくる。


「目が覚めたか。体調は。」


振り向いた茜の目に映ったのは、どこか威厳を感じられる姿をした青年。

黒髪、白い肌、整った顔立ち。

そして、真っ暗な瞳。


「え……え!? 誰ですか!?」


「はぁ、覚えていないのか。もう一度言うが、俺はこの神社に祀られている神、天狼玲於だ。」


「え!?てんろう……」


茜は目を輝かせた。

信じられない。まさか本当に神様がいたなんて。しかも、その神様が普通に味噌汁を作っているなんて。


玲於は眉を寄せ、深く息をついた。


「…尽く無遠慮な女だ。」


「な、なにそれ!? え!? 昨日なにが!?」


「説明するのも面倒だ。」


「思い出せない……なんで私こんなところに……」


その声の勢いに、玲於は思わず目を細めた。

そして、淡々とした口調で告げた。


「……吐いた。」


「…………え?」


「俺の着物に。」


吐いた…?神様の、着物に……?


どうやら私はとんだ罰当たりなことをしでかしてしまったようだ。


「………………本ッッッ当にごめんなさい!!」


私は布団の上で、ものすごい勢いで土下座した。

玲於…と言うらしい、その男性は、腕を組んだまま微動だにしない。

冷ややかな視線を向けられて、いたたまれない気持ちになっていると…


「……まあいい。今後は気をつけるといい。」


その雰囲気とか似ても似つかない、優しい小言か上から降ってきた。

拍子抜けしていると、土鍋の味噌汁を差し出される。


「これで少しは楽になるだろう。」


「あ……はい……」


茜は両手で受け取り、一口飲む。

これは五臓六腑に染み渡るおいしさだ。


「オカン……?」


これが、私と神々の物語の始まりだった。

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