ムゲン・ムゲン・ムゲンフォーリン
外清内ダク
ムゲン・ムゲン・ムゲンフォーリン
問題は穴に落ちたことじゃない。今だに落ちてることなんだ。まさかと思う? ありえないって? 私だってそう思ってた。時間と空間は有限で、地球は半径6千キロで、私は生身の女子高生。諸行は無常、盛者は必衰、明けぬ夜はなく止まぬ雨なし。でもさ、見てよ、これが現実。
千と九百九十九年、私はずっと落ち続けてる。半径四・二メートル、無限の深さの、この縦穴を。
まるでそれが、キーちゃんの心を傷つけてしまった無神経女への天罰だっていうみたいにだ。
自分以外は何も見えない真っ暗闇の空間を地獄へ向けてひたすらひたすら急降下していた果てしない年月、キーちゃんはどんな人生を送ってたんだろ。幸せだったかな。そうだといいな。私みたいなカスのことは忘れて、もっと素敵で気配りのできる落ち着いた友達を見つけてさ。毎日笑って暮らしてたらいい。私のことなんか忘れてさ。とっくに全部忘れてさ……
……忘れられないよ。キーちゃんだもん。
あてどない思索と後悔だけが輪廻みたいにグルグルグルグル巡ってる。私はずっとずっと探してた。自分を納得させうる答え。私が一体なんだったのか。なんであんなことを、してしまったのか。ありていに言えば、あの事件の真相ってやつをだ。
ウチの高校のグラウンドには、でっかい穴が空いていた。
こんな穴がいつできたのか、不思議なことに誰も知らない。何十年も前から空いてたような気もするし、昨日まで無かったようにも思える。誰かが何かの目的で掘ったのか? あるいは天然の産物なのか? それさえよく分からない。はっきりしないんだよ、なんか、穴のこととなると記憶があいまいで。変だよね。露骨に不自然、かつ超自然。信頼できる調査によれば穴の半径はきっかり四・二メートル、深さは推定無限大ってことらしいけど、そんなアホな。無限なんてありえる? 地殻を突き抜けリオデジャネイロまで貫通したって一万二千キロにしかならないんでしょ? 穴の底からマントルとかナントカとかそういうドロドロした熱いやつが噴きだしてきたりはしないの? そんな疑問を抱かないわけじゃなかったけど、何度測ってもそういう結果が出るそうだから仕方がない。なにもかもが不可解だ。
でも人間ってやつは、不可解なことを不可解なまま抱えておくのが苦手な生き物なんだな。
みんな、穴のことを無視していた。穴の周りを三角コーンとナイロンロープのチャチなバリケードで囲ってしまい、まるで穴なんか最初から存在しなかったかのごとく普通に日常を楽しんでいた。まあ気持ちは分からんでもない。あんまり面白いものじゃないしね、無限の深さの穴なんて。穴ってのは底があるからいいわけで。というのはつまり、宝物があるとか、ものすごい化物が棲んでるとか、なんか変な異世界に通じてるとかさ。穴それ自体は通過点でしかないから、どこにも辿りつかない穴が延々続いてるだけじゃつまらない。興味をなくしちゃうのも、むべなるかな。
だからちょうどよかったんだ、あの穴の縁が。私とキーちゃん、二人でボンヤリ過ごすには。
キーちゃんは絆ちゃんだし山内さんだけど、本名や苗字で呼びあったことが一度もないってくらいに小さい頃から私たちはツレ同士。幼稚園から小中高とずーっと一緒。どこ出かけるにもいっつも一緒。だからって男の趣味まで一緒になることないのにね。いやー。だからまあー、そういうことよ……えぇーえ? 聞くゥー? うーん、つまりだねえ……クラスに一人、ちょっといい感じの男子がいたと思いねえ。まあまあの顔。シュッとした体。模試の成績すごくいい。全国順位で二桁常連とか、まあそのくらいの賢さで、そういうのが同級生女子の目から見れば「キャー!」って具合になっちゃうわけです。頭がいい男は他にもいたし、顔がいい奴も珍しくないけど、両方兼ね備えてるのはレアリティ高いんだよな。
で、私とキーちゃん、二人同時に恋をした。
放課後、いつものように穴の縁にあぐらをかいて、コンビニのポテトフライを二人でむさぼりながら雑談してたとき、話の流れでなんとなく、自分たちが置かれた厄介な状況に私は気づいてしまった。普通こういうときは遠回しな探りから入るもんだと思うけど、私はそういうとこ、どうもガサツで。「あれっ、ひょっとしてキーちゃんも?」と思った時には、もう疑問を口にした後だった。
「あいつのこと好きなん?」
「遊馬ちゃんもでしょ?」
お見通しかあ。遊馬とかいてユメと読むカワイイお名前の私は、あんまりカワイくないオッサンめいた動きで頭皮をボリィボリィと掻きむしった。困ったなあ。どうしたもんか。まあでも、
「好きになっちゃったものは仕方ない」
「うん?」
キーちゃんは、ほにょんと首を傾げる。なんだよ「ほにょん」て。ちくしょう、かわいい顔しやがって。私は固く拳を握り、
「かくなるうえは正々堂々」
「うん」
「時間無制限。フリースタイル。先に『好き』って言わせたら勝ち」
「うんー」
というわけで、私らの勝負は始まった。勝負? かなあ? 恋敵同士で進捗を毎晩共有しあってんだからアホな勝負もあったもんだ。ともあれ私たちは奮闘した。時には個別に、時には二人で、『彼』の心を射止めんと。『彼』――本名は伏せるが、便宜上『正親町三条モチモチ卿』と呼ぼう。ほっぺたがモチモチしてたので――さらに便宜上モチモチくんと呼ぼう。名前が長すぎるので――なんで正親町三条かというと教科書で見かけたこの苗字が長すぎることに異常にウケて、世の中のあらゆる人物・概念を正親町三条家に養子縁組させるのが私とキーちゃんの間で当時大流行してたのである――正親町三条あべかわ餅――正親町三条憲法四条――そしてもちろん、正親町三条ージ・ワシントン初代合衆国大統領閣下 ~星条旗よ、永遠なれ~ ――なんの話してたっけ? まあいいや。とにかくだ。二人がかりで積極的に会話に巻き込んだり遊びに誘ったりした結果、モチモチくんは少しずつ私たちに馴染んできた。二ヶ月もした頃には、私とキーちゃんとモチモチくんと、三人つるむのが当たり前ってほどの関係が構築されていた。
そろそろだ。いい頃だろう。臣聞く、告白とは既に出来上がっている恋愛関係の最終確認行為に過ぎぬと。まあなんだ、つまり、ボチボチ告りましょうか、私かキーちゃんか最低どっちかはいけるでしょう、というような雰囲気が醸し出されていたんだ。時はおりしも新春正月ミズノトヒツジの初晦日。天下分け目の大いくさまで残すところは十四日、ぽん! バレンタインの檜舞台に遮二無二挑む乙女が二人! ぽぽんぽん!
……照れ隠しに講談やってる場合じゃねえな。
まあそんな感じでですね。私たち二人、それぞれ本命チョコを用意しましてですね。放課後に二人同時に突撃しようぜー、って打ち合わせてたわけですね。モチモチくんがどっちのチョコを受け取ってくれるか。あるいはどっちも受け取ってくれないか。どっちが勝っても恨みっこなし、どっちが負けても驕りっこなしと、固く固く誓いを交わして。
フラグかな? フラグだよ。これがマンガか映画ならね。でも現実の渦中にいる私は想像だにしなかった。まさか――まさかキーちゃんが私を裏切り、抜け駆けしてチョコを渡しちゃうだなんて。
二月十四日の昼休み、トイレに行って出すもん出して、「ぉぅああ~緊張すんなぁぁ~おげええええ吐きそう!」っていう表情で廊下の曲がり角を曲がった私は、決定的場面にばったり遭遇した。
「えっ、俺に? ありがとう、山内さん……」
デレデレしてるモチモチくんの背中越しに、キーちゃんと目が合った。あの世界一かわいいカンバセが青ざめていく。私の方は、どんな顔してたんだろな。怒りの形相かな。涙でも溜めてたかな。案外、道化の仮面みたいにニヤケてたかも。私は無言でモチモチくんの脇を、そしてキーちゃんの横を通り過ぎ、大股に廊下を突っ切って、そのまま外へと駆け出した。
冗談じゃない。
冗談じゃないよ。
靴に履き替えもしないまま屋内用スリッパで走ればパタパタばたばた無様なフォームにだってなる。そこへ背後から誰かの足音が近づいてくる。振り返れば、キーちゃんがいる。学校の正面玄関から飛び出して、必死になって追いかけてくる。「来んな!」と叫べど返事は「遊馬ちゃん!」の絶叫ばかり。転びかけた私の足からスリッパがすっぽーん! と宙を舞い、見事な放物線を描きだす。ちくしょう。来るな。来るんじゃねえよ! ヤケになって残った片足のスリッパも蹴っ飛ばし、足裏に食いこむ小石の痛みに耐えて耐えて私は逃げた。ちくしょう。嫌だ。こんな顔を見に来るな! 決めたじゃないか、どっちが負けても驕りっこなしって。なんで分かってくれないんだよ。見せたくないんだよ! こんな顔を、キーちゃんにだけは!
なのにキーちゃんは情け容赦なく距離を詰めてくる。あんなへんにょりした性格のくせに、小学生の頃からものすごい俊足なんだよあの子は!
「待ってよ遊馬ちゃあん!」
「うるぅぇあ!」
なんて? いま私なんつった? もうわけわからん。わからんままに私の足はあの穴へ向かった。穴があったら入りたい気分だったからね。ハハーおもろい。ぜんぜんおもんないわ! とにかく私は、例のバリケードを飛び越えようとジャンプしたところでロープに足を取られてひっくり返り、腹から地面にダイブした。あまりの痛さに悶絶しながら、ふと前を見ればそこは崖っぷち。
ぞっ、と顔面から血の気が引いた。あとほんの半歩行き過ぎてたら、私は穴に転げ落ちてた。
恐怖と痛みと嫉妬と、あとなんか正体不明の衝動と、そういうものでグチャグチャになった心を抱えてひたすら呻いてる私のもとへ、キーちゃんが、泣きそうな顔して追いついてくる……
「ちがうの、聞いて……」
イラッときた。
「違ったからなんだよ!」
「それでもちがうの! キーちゃんは」
「自分のことキーちゃん言うな何歳だオメーは!」
「遊馬ちゃんにはキーちゃんだもん!」
そうだよ。この時だ。がああああああ! って来たんだ。一気に猛烈に噴き上げてきた! なんかとんでもなく熱くて暗くて異様なまでに重苦しくて、焼けた溶鉄みたいに激烈な害意に澱んだものが、私の腹の奥の奥から間欠泉めいて噴出した! それが一体何だったのか、いまだに私にも分からない。私は既に穴だった。食い止めようもなくこみあげる「何か」を私という人間の底から地上へ汲み上げるためだけの穴。私は起きて、立って、跳ねて、キーちゃんの胸倉に掴みかかった。私、どんな顔してたんだよ? 一体どんな形相を見せつけたら、あのキーちゃんにあれほど辛そうな顔をさせられるんだよ? なのに私は自分が言ってることさえ弁えず、自分の為してることさえ分からず、世界を焼き尽くすほどの熱と炎を飾りもせずにあの子へ吐き浴びせただけだった!
「ふざけんじゃねェぞテメぇクソが!! だったら、それが分かってんなら裏切られた私がどんな気持ちか考えもしないでオメーはいつも私によっかかって後ろばっかついてきて真似ばっかしてよりにもよって男ってのは人間だからシェアできねーってなんで分かり切ってるのにそういうことするかなあ!?」
「ちがう、ちがうの! 痛いっ、遊馬ちゃん……」
「私だって痛ェよ! 彼を盗られて……」
「ちがうでしょっ! キーちゃんがしたのは!」
「あぁっ? ぉ……わっ!」
だから、だからさ。
百パーセント自業自得だ。
私はキーちゃんを殴ろうとした。慣れないことはやるもんじゃない。拳を握って叩き込むつもりが思いっきりバランス崩してよろめいて、渾身の力を込めたパンチで空気だけをブゥンと切って、転んで、そして。
私は落ちた。ムゲンの穴に。
視界を埋める、今にも泣きだしそうな重い曇天。
呆然と口を開けっぱなしたキーちゃんの涙。
そんな光景さえ急速に窄まり点になり、やがて消えればあとは暗闇。どこまでもどこまでも……暗闇。
で、あれから千と九百九十九年。いまだにずっと暗闇だ。
なーんにもないよ、この穴は。何も見えず。何も聞こえず。不思議と飢えず、体も老いず。十七歳の私のまま、私はひたすら落ち続けた。最初のうちは怖かった。アレよ、絶叫マシンで垂直落下するときの、フワァァ……! っていう感覚。アレのこと玉ヒュンって言うらしいね。玉もってねえぞ私は。だけど肉体の感覚は男女共通。延々続く落下感が、怖くて。泣きたくて。泣いちゃって。
どんだけ泣き喚いても誰も助けてくれないことに気づいて泣くのをやめた。
次第に玉ヒュンにも慣れてきた。まあ年単位で落下し続けてりゃあね。こういうもんだと思ってしまえば意外に体が順応する。いったん順応しちゃうと、いっそ地上より気が楽かもしれないくらいだ。歩く必要もないし。勉強しなくていいし。飯食わなくたってお腹は空かないし、風呂に入らなくたって誰も臭いを気にしない。これはこれで極楽じゃね? なんにもしないで重力に身を任せていればいい。そして穴の底まで落ちきったら、天文学的速度で地面に打ち付けられて、グジュグジュに熟れた柿の実をコンクリブロックの法面に投げつけたみたいに破裂しちゃうんだろうな。それどころじゃすまないかな? 痕跡さえ残らないほど微細に砕けて消滅しちゃったりして。
いつか来るその瞬間が、むしろ今の私には救いに思える。今日かな。明日かな。明後日かな。でも、待てど暮らせど地獄につかない。ちょっとー。どんだけ待たせるの?
待ち続けて既に千九百九十九年。たぶんもうじき二千年。まさか本当に無限にこのままなんてことはないよね?
そんなの寂しすぎるけど、罰としては妥当かな?
キーちゃん。
私、まじでアホ。そう確信できるだけの検討時間は充分にあった。何度も何度も、数えきれないほどの回数、私は私の人生と行動を振り返ったよ。ね、そうでしょ、君。この話を聞いてるそこの君。君みたいな話し相手を暗闇の中に想像して、何億回も語ってきたよね。もう君だって聞き飽きてるだろうけど、もう少しだけ付き合ってよ。私の愚痴か――あるいは結論に。
なぁぁぁぁぁんで、あのとき正直に言わなかったんだろうなぁぁぁぁ! そうなんだよ。別にモチモチくんと付き合いたいって性欲がそんなに強かったわけじゃないんだ。いや弱くもないけど。キーちゃんが付き合うんならそれはそれで、って気分だったはずなのに、いざとなったらあんなに醜く取り乱してさ。
理由は簡単。
私は、嫌だったんだ。キーちゃんが一緒じゃなかったことが。
本当の問題は、キーちゃんに先を越されたことじゃない。キーちゃんが私と異なるタイミングで人生の重大なステップを踏んでしまったことだった。私たちはずっと一緒だった。だから何もかも一緒でいたかった。いつもいつも私の行くところにチョコチョコついてきて遊び、喋り、お菓子をシェアする、今まで通りのキーちゃんでいてほしかった。キモチワルイって思う? 私は思う。あとね、モチモチくん、ごめん! ひょっとしたら私、そんなに君のこと好きじゃなかったかもしれん! 出汁にしちゃってたかも。これは真剣に反省してる。マジすまん! とにかく私は何も分かってなかった。人間はみんなこうなのかな? 少なくとも私は愚かだった。
思ったことを思ったように言えないってだけじゃない。思ったことを思ったように思うことさえできなくて。
二千年かけてようやく自分の本音にたどり着いても、もう、それをシェアする相手はいない。
それがたぶん、私の地獄。
ああ、神様、仏様。初詣と夏祭りくらいしか神社お参りしたことないけど、祈るだけ祈っていいですか。ダメすか? そこをなんとか! ダメでも祈るわ。もしもこの穴から抜け出して、地上世界に戻れたら、きっとキーちゃんに謝ります。謝って許されることじゃないかもしれないけど、私が間違ってたっていうこの気づきを、せめてあの子に伝えたいんだ。
いや、伝えられなくたっていい。
一目会いたい。もう一度会いたい。
たとえ叶わぬ願いでも、私は、キーちゃんのそばがいい。
バカだ。アホだ。私はなんて唐変木だ。ぜんぶ失くして、地獄に落ちて、こんな暗い穴の奥底でようやく本当に欲しかったものに気づいても、もう二度と取り戻せない。キーちゃん。君はこの二千年をどんなふうに過ごしたのかな? 外の世界で学んで、歩いて、仕事して、誰かと恋して、子供を育て、歳を取るたびますますカワイく仕上がって、家族に囲まれ素敵な最期を遂げられたかな。そうだといいな。君が幸せをまっとうしてくれてたらいい。私は無限の穴に飲み込まれ、後悔と自己嫌悪の夢まぼろしから一歩も踏み出せなかったけれど、せめて君だけは幸せでいて。でも。
でも、君の幸せな世界の中で、私だけが、そこにいない。
と、
ぱっかぁんっ!
「ほげえ!」
なんか突然衝撃が頭にきた。痛い! なんなんだよ! なんかこう、固いような柔らかいような微妙な質感の物にいきなり頭を殴られた感じ。なんかぶつかった? おかしいな。周囲にぶつかるような物なんて何もないのに。こんなの二千年落ち続けて初めての経験だ。
戸惑いながら上のほうを見上げると、赤くて細長い三角形が目に入った。目に入っ……いや! 近づいてくる! 落ちてくる! 穴の上から三角形の……
三角コーンだ! 三角コーンが落ちてきた!
「あわっ」
私は慌てて身を捻った。頭上から落下してきた三角コーンは、すごい勢いでビューンと私の横を通り過ぎ、そのまま遥か下方へと遠ざかっていった。え、なに……? なんなのアレ。あー、ひょっとしてアレかな? 穴の周囲のバリケードに使われてたやつ。なるほど、さっき頭にぶつかったのも、あんなふうに落ちてきたやつだったのか……
いや? 待てよ。変だろ。二千年も落下し続けてたはずの私を、なんで後から来た落下物が追い抜いていくんだ? 物理で習ったよ? 自由落下は相対加速度ゼロなんだから初速で勝ってたら永遠に追いつかれないはずじゃねえの?
そこで私は、やっと気づいた。
穴の、はるか上の方。無限に続く暗闇の中に、小さな、小さな白い点が、ぽつりと輝いていることに。
いや、点じゃない。あれは線だ。線じゃない。あれはロープだ。見覚えがある。地獄へ続く穴の周囲を何重にも取り囲み、結界していたナイロンロープ。それが、するり、するり、少しずつ、私の方へ垂らされてくる。
「……めちゃーん……」
聞こえる。
二千年ぶりの、懐かしい声。
「ゆめちゃん……遊馬ちゃーん!」
どうして。
まさか。
そんな疑問より。
私は思いのままに叫んだ。
「キーちゃんっ!」
「あっ……遊馬ちゃん! 遊馬ちゃん! 会いたかったっ……やっと見つけた! 待ってて! もうすぐ……いいよ、降ろしてーっ! もうちょい! もうちょ……行きすぎ! ちょい上! そう!」
「なんで……なんで! キーちゃん、なんで!」
「分かんない。なんで遊馬ちゃん、空中に浮いてるの?」
ええ?
私は目を丸くした。ロープに吊るされたキーちゃんのヌヤョウとした顔が、今や、私と同じ高さにある。んん? 私、なんで吊られてるキーちゃんと同じ高さを保ってるわけ?
つまり……私は落ちてなかった? 同じ場所に浮き続けてただけだったのか? 二千年も、ずっと?
あああー! 変だと思った! そりゃそうだよ、無限に落ちるなんてできるわけない! ぜんぜん落ちてないんだからいつまで経っても底に着かないのも当然だ。玉ヒュンを感じなくなったのも止まってたからか! なんだよ。アホやん。本当の無間地獄は私自身だったんだ。後悔という無限の穴に囚われ続けていた私は、人生の新しいステージに一歩も進むことができなくて、時間的にも空間的にも停滞していただけだった。ムゲンに、ムゲンに、ムゲンに落ちて、だからどこへも行きやしない。ただそれだけのことだったんだ……
「遊馬ちゃん、ごめんね、待たせてごめんね、二千年も、二千年も、それに……」
キーちゃんが、私の袖を指でつまみ、握りこぶし大の涙をこぼす。握りこぶしィ? ンなわきゃないって? やかましいわい。白髪三千丈の精神でいけ! 私の目には見えたんだ、世界一かわいい女の子の、世界一美しい涙の粒が。それ以上に何が要る。だから、何かつまんないこと言いかけた彼女の唇を、私は人差し指でそっと封じた。
「ね」
「……うん!」
そして私たちは抱き合った。二千年ぶりに、潰れて、融けて、混ざり合っちゃうくらいに体と心を押し付け合って、お互いの襟で涙を拭いて……それから、キーちゃんがケータイに呼びかけた。
「望月くん、いいよ! 引き上げて!」
「あっ、本名」
「えっ?」
「いや、いいや。こっちの話」
次第次第に持ち上がっていく私たちの体が、徐々に陽光に照らされだした。長いこと落ちてる間に少しは雲行きも変わったみたい。ほら、暗雲の合間からきれいな薄暮が見え始めてる。
また生きていくのか。あの空の下で。
他の誰にも聞かせたくなくて、私は彼女の耳元に口を寄せた。
「行こうか」
「どこへ?」
首をかしげるかわいいキーちゃん。私はたぶん笑ってる。
「もちろん、二人で」
THE END.
ムゲン・ムゲン・ムゲンフォーリン 外清内ダク @darkcrowshin
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