前章 良いじかんがありますように 8

 夢を見る。

 夢の中で私は決まって少年になっていて、五年犬を連れているのだ。左手に鬱々とした木々がひしめく〈ゴミ捨て場〉を眺めながら、ゆったりと散歩をしている。それがレンと出会って何年目のことなのかは、考えてもわからない。

 どこかでずっと動いている掘削機の音が止まり、あたりは機械蝉の鳴き声に包まれる。すると突然、レンが壊れたように吠え立て始めるのだ。私は眉間に力を入れ、もう一度フェンスの向こうに広がる新緑の世界を見渡す。

 気付くと〈それ〉は視界に入り込んでいる。

 眉間に力を入れ、もう一度フェンスの向こうに広がる緑色の世界を見る。茂みに〈それ〉の影が見え、次第に隆起して子供ぐらいの高さになると移動を始める。

 動きはとてもゆっくりで、目で追うことに苦労はない。

 垂れた胴から、針金のような手足が生えている。しわとひだで覆われた皮は、溶けたプラスチックのようである。

 〈それ〉はひざまずき、無邪気な子供のように草をむしり取った。根から黒い土が崩れ落ちるが、構わず口へ運んだ。そして口周りにべったりと土をつけ、頬をひきつらせる。

 どうしようもない恐れを感じる。けれどその恐怖には、見なければならない何かが背中合わせに備わっていた。

 犬がまた歯をむき出しにして吠え始める。

 私は目を凝らす。

 〈それ〉は太い樹木の前へ行くと樹皮かじりつこうとしたが、うまくいかなかった。〈それ〉の口に、牙はおろか歯さえなかった。

「ぼうや。あれなぁ、なんや知っとるか?」

 壺の中に放ったような低い声が私を振り返らせる。〈それ〉と同じくらい背が曲がった男だった。汚れた作業用のジャケットと、黒いガスマスクを身につけている。私は空いている腕でとっさに口を抑える。

「汚染なんて迷信や」顎下に伸びる二本の筒から、シュウ、シュウと息が漏れる。「ここから見とるぶんには安全や」

「あっちへ寄ると危ないんですか」

 男はそれをじっと見据えて閉口し、グリップのついた堅いグローブを開け閉めした。それからしばらく置いて、

「さあ、わからへん」

 と言う。

「あれはなんですか」

 私は指差した。

「捨てられたもんやで」

 男は答える。

「オレらとちごて」

 ふいにそれがそおっと身を起こし、こっちを見た気がした。

「あれはなぁ……」

 男が言った言葉が、耳の奥で霞になって消えた。

 気付くと、リードがない。犬の姿は消え、振り返ると男ジーナい。その代わりに、錆びたフェンスがあった。前方にあるはずのフェンスが、背後にあっ。

 逆方向を向くと、〈それ〉が目の前にいる。

 顔がハッキリ見えるところまでくると、枯れ草の匂いがした。ひゅう、ひゅう、と小さな穴に無理やり風を通す音が聞こえる。

 細い腕が伸びてくるけれど、どうすることもできない。

 私は目を閉じる。両手で耳を塞いで聴覚からも逃れようとする。

 しかしほどなくして、湿った何かが肌に触れる。

 私は体を揺さぶった。頭に乗ったものが耳や腕に触れたとき、それが〈ゴミ捨て場〉の黒土だと知る。

 〈それ〉のじゅくじゅくと膿んだような腕が顔のほど近くまで伸びていて、私はその腕の皮膚の下を紫色の太いミミズが這っている様を見る。

 〈それ〉の口元が急に吊り上がる。

 そこで大抵、夢は終わる。

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