第12話 特別実技

 目が回るような忙しさの中、体調不良はなかなか治らなかったし、悪い噂も払拭はされない。


 テオやショーン、それから一部の上級生たちが庇ってくれたり、時にはリカルド自身が出回っている心ない噂話を打ち消してくれているのだが、陰でこそこそと言われることは続いていた。


 人間というのは賢いもので、見つからないようにすればいいのだという悪知恵ばかり働く。アズマがひとりで歩いているときには、廊下でこそこそと「あれが……」と、笑われる。


 もはやどこが出どころなのかわからないし、アズマを貶めたい人間にとっては、誰が言い出したことなのか、もはやどうでもいいのだろう。


 アズマはもう、口出しする元気もなかった。家でリカルド特製ブレンドのハーブティーを淹れて飲んでも、彼に淹れてもらうときほどの効果はなかった。これは薬である、と言い聞かせながら飲み続けた結果、なんとなく気分がよくなった気がする、という程度だった。


 そんな折、ディアンに来訪の打診を受けた。特別講義は放課後、つまり夕方だ。日の高いうちにわざわざ来るとは、いったい何が目的なのだろうかと、アズマは警戒しつつ出迎えた。


 毎週会っているが、真昼間の彼も大層な色男であった。ディアンは前置きの挨拶を長々と述べようとするが、体調が優れないアズマは制止した。立っているのも辛くて、断って先に腰を下ろし、向かいの席へと彼を促した。


「それで、相談とは?」


 長い脚を組み替えた男は、笑っている。なんだか嫌な表情である。こちらを見下しているかのような……いや、少し違う。


 たとえるなら、蜘蛛の巣につかまってしまった蝶を見つけたとき、「馬鹿だなぁ」と面白がっているかのような態度である。その後、生きたままなぶり殺しにされて食われるまで、じっと観察を続けそうな目であった。


「そろそろレッスンの仕上げに入ろうと思っていましてね」

「仕上げ……ということは、講義は終わりということですか?」


 確認をしたら、ずいぶん嬉しそうですね、と突っ込まれた。当たり前だ。セックスについての実践的で赤裸々な講義、聞くに堪えないことばかりだった。思い出したくもない。だが、馬鹿正直に答えるわけにもいかず、アズマは曖昧に濁した。


 気にした様子もなく、男は言う。


「それでね、最後に特別演習をしようと思うのです」

「特別演習?」


 彼の言葉を繰り返して発したことで、その単語のおかしな部分に気づく。


 ……演習? 演習だって?


 これまでずっと、男同士の艶事については、座学での講義ばかりであった。時折、セックスやその前段階での拡張その他で使う道具を握らされることはあったけれど、そのくらいだ。講師のディアンが脱いだり、こちらが脱がされたりすることはなかった。


 だが、演習という言葉のイメージは、実践練習というニュアンスを孕んでいる。


 固まったアズマが想像していたことを、ディアンは直接口に出した。


「そう。演習です。セックスは頭の中で考えているだけでは、すべて妄想で終わってしまいます。実践して初めて、私の教えは身に着くのですよ」


 裸になり、相互に愛撫を施し、射精する。


「そんなこと、できるわけがないでしょう!? あの子はまだ十五歳だし、リカルド殿下以外の人ととのセックスなんて、許されません!」


 吠えるアズマを、ディアンは手のひらを出し、「どうどう」と、制した。余裕綽々という態度は崩れない。こちらが激高すればするほど、彼は冷静になり、にやにや笑いを深くする。


「わかっていますよ、アズマ殿。私だって、不敬罪で臭い飯を食うつもりはない」


 ならばどうするのか。テオを彼の経営する娼館に連れていき、実地で男同士の交わりを見せてもらうということなのか。


 もちろん、手放しで歓迎できるわけもないが、見るだけならばハードルは低い、か?


 そんなアズマの小さな希望を、男は真正面から打ち砕く。


「セックスをするのは、あなたですよ。アズマ殿」


 人差し指がつきつけられる。


「は?」


 ……自分が? 


 知らず、身体が震えた。両腕で自身を抱きしめて初めて気づく。怒りというよりも、嫌悪が勝つ。


「だ、誰と?」


 上擦る声が、動揺を如実に表していた。年の割に老獪な笑みを浮かべた男が、「もちろん、私とに決まっているじゃないですか」と言った。


「講師同士で仲良くセックスをして、見せつけ……じゃなかった、生徒のテオくんには思う存分に学んでもらいましょう」


 狂った申し出に、吐き気がした。慌ててハンカチを取り出して、口元を押さえる。大丈夫ですか、とこちらを気遣う素振りで、ディアンはアズマの腰を抱き、不自然なくらい股間を太腿に押しつけてくる。血の気が引いていよいよ立っていられなくなるアズマの耳には、悪魔の囁き。


「あなたが相手をしてくれないのなら、テオくんに直接実地で教えるしかありませんね。リカルド殿下には、なかなか言い出せないでしょう。男に犯されたなんて。あるいは、彼と仲のいいお友達に協力を頼むのもいいですね」


 脳裏に浮かんだのは、ショーンだった。座学でまがりなりにも知識があるテオとは違い、まっさらな彼が呼び出される。この男に訳のわからないうちに組み敷かれ、無垢な身体を暴かれ、泣き喚く。それを見せつけられ、助けることができないでいるテオ。


「やめて、ください……」


 そんなことは、させられない。


 彼らが花生みだから、ではない。


 幼さを残した子どもを、男の、大人の性欲のはけ口にすることがあってはならない。


「ならば、あなたがお相手を?」

「ッ」


 耳たぶを舐めしゃぶられ、アズマは悲鳴を押し殺した。ここは学園だ。授業中で、この部屋は生徒たちがいる教室とは離れているとはいえ、誰がどこで聞いているかわからない。アズマの叫び声を聞いて、なんだなんだとやってきた人間に、一方的に嬲られている姿を見られたくない。


 目撃者が全然知らない人間であっても気まずいのに、万が一にもリカルドであったとしたら、アズマはもう、生きてはいけない。


 たっぷりと左の耳を味わった男は、ようやく身体を離した。がくん、と膝から崩れ落ちたアズマを、彼は面白そうに見下ろしている。


「それでは後ほど、日時と場所をご案内しますね」


 まさか学校の教室でセックスに興じるわけにもいきませんから。


 最後の最後で常識的な大人のふりをした男が立ち去るのを、アズマは呆然と見送るしかなかった。





 アズマの部屋に手紙が来たのは、それからすぐのことだった。


『五日後の午後五時、街外れの娼館・バロネスで』


 簡潔な集合場所と日時の下には、「準備はこちらでするので、着の身着のままで。テオくんには時間をずらして迎えをやります」と、ご丁寧に注意事項が記載されていた。


 アズマはすぐさまゴミ箱に放り投げた。


 準備はする、だって?


 身体を洗い、男性器が入るようにマッサージをする過程もすべて、あの男に明け渡さなければならない、と?


 冗談じゃない。そんな弱み、見せられるものか。


 だが、アズマはディアンの言うことを聞かなければならなかった。テオとショーンを守るためだ。直接彼らに手を出されるよりは、自分自身が抱かれる方がよほどマシであると、自身に言い聞かせ、アズマはそのまま、今日は王宮へと向かった。


 リカルドとともに、花の館の庭園や内装のチェックをする予定になっている。もうあと数か月のうちに、彼は成人年齢の十八歳を迎える。学園を卒業した暁には、公爵位を戴き、百花王として国のために働くことになる。


 アズマが現地に着くと、すでにリカルドはやってきていた。職人肌の庭師たちと対面し、図面を見ながらあれこれと話をしている。真剣な顔の彼にしばし見惚れていると、視線に気づいたのか、リカルドがこちらを見た。


「アズマ!」


 途端に相好を崩し、駆け寄ってくる。


「体調はどうだ?」

「ええ、どうにか」


 元気とは言い難いが、動けないことはない。アズマの強がりを、付き合いの長いリカルドはすぐに見抜いて、眉根を寄せた。


「無理はするなよ」


 明確な返事は避けた。「いいえ」と答えるのはリカルドの気遣いを無下にすることになり、「はい」と答えても、結局弱音を吐くことはできないのだから。


「……終わったら、部屋に来てくれ。いつものお茶を淹れよう」


「……はい」


 アズマの強情で難儀な性格を、親兄弟と同じくらい理解してくれている。彼の気遣いが嬉しくて、胸がぎゅっと掴まれたように痛む。


 五日後、この身は他の男によって汚される。


 ディアンの欲望を受け止めた後で、自分はリカルドに今までどおり仕えることができるだろうか。淡い想いを寄せ、誰にも気取られないように隠し通すことができるだろうか。


 今ここで、リカルドにすべてを告白したら?


 テオの貞操を楯に、男にセックスを迫られている、助けてくれ、と。


「ん? どうした、アズマ?」


 口がパクパクとわずかに動いているのを見咎めたリカルドが、首を傾げている。


「いいえ、何も」


 言えるわけがない。彼はそもそも、自分とテオが男同士の房事について習っていることを、知らない。なんでも報告をする主義のアズマだが、さすがに羞恥の方が勝った。突然、「房中術の特別講師が」と告白をしても、混乱させるだけだ。


 それに、彼は優しいけれど、アズマはしょせん、臣下のひとりでしかない。生涯のパートナーとなる花生みとは比べられない。


 テオの操を守ることの方が、リカルドにとっては重要であり、アズマが痛かったり恥ずかしかったりする目に遭うのは二の次だ。


 男に抱かれること以上に、リカルドの態度から、そう思い知らされる方が、惨めな気持ちになるのは明らかだった。


 だからアズマはすべてを飲み込み、目の前の仕事にだけ、集中した。何か言いたげなリカルドの視線には、あえて気がつかないフリをした。




 約束の日、アズマはお忍びで街外れの娼館・バロネスを訪ねた。


 リカルドはもちろんのこと、自分を心配して付き従ってくれるシノブにも、何も言わずに来た。


 年も同じで、仲のいい親類だ。兄のようにも弟のようにも思っている男にも、自分の醜態は見せられない。


 ここは、ディアンが経営する娼館のひとつであり、主に男を相手とする男娼が所属する店であった。


 午後五時は夜というにはまだ早く、男娼たちはお茶を挽いている。煙草をたしなむ人間も多いようで、きらびやかな衣装に包まれた男たちの周りは、煙が充満していた。


 来訪者に気づかなかった彼らは、アズマが慣れない煙草の煙によって咳き込んだことで、ようやく気がついた。


「はぁい。いらっしゃい……お客さん?」

「いえ、私はその、ディアン殿と約束が……」

「新人さん? オーナーと面接?」

「ちがう」


 どこをどう見たら、自分が男娼に見えるのかとムッとしたアズマを無視して、人懐こい笑みを浮かべた男は、裏に引っ込み、ディアンを呼びに行ってしまった。


 男娼たちから注がれる視線が痛い。いたたまれない気持ちになって、アズマは早くディアンに来てほしいと願ってしまった。彼がやってきて、部屋に連れ込まれたら何をされるのかを一瞬忘れてしまうほど。


「やぁ。早かったですね、アズマ殿」


 両腕を広げ、歓迎のポーズを取りながら現れた男に、アズマは渋い顔をする。


「……ディアン殿。私の名前は……」


 従業員たちは、金でセックスをする。逆に言えば、金のない男とは行為をしない。当たり前だが、相手は金満家の貴族や商人ばかりで、彼らは商売相手についてもよく知っている。


「アズマって……そういえば、あの黒髪……」

「ああ、百花王の」


 と、すぐにピンと来る程度には、詳しいのである。王宮内はともかく対外的には目立つ活動は何もしていないから、顔だけではアズマ・イザヨイとはわからなくても、名前と身体的特徴で一致させるのは、難しいことではない。


「大丈夫ですよ。この店の子たちは、みんな口が堅い。女とは違いますからね。そうだろう、皆?」


 全員がバラバラと肯定を示した。


 なるほど、女を買う男は多いし、男の社交場では「どこそこの高級娼婦を一晩買った」というのが武勇伝として語られるが、男娼を買う経験は自慢にならない。特定されたら困る人間もいる。だから、娼婦よりも男娼の方が、口の堅さを求められるというわけだ。


 それでも不安げにちらちらと店内を見回すアズマに近づき、ディアンは驚くほど自然に腰を抱いた。リカルドと同じくらい、いいや、年齢による経験の差だけ、ディアンに軍配が上がるほど、アズマが察知するよりも先に、彼は触れてくる。


 エスコートなどいらないと睨みつけるも、彼には通用しない。肩を竦め、「それではさっそく、ご案内しましょう」と笑う。


 重厚な扉は、特別室だという。それこそ、トップレベルに秘密を抱えた客が来たとき、特殊な趣味の客が来たとき、金払いのいい客が来たときにのみ使用されるのだ。


「さぁ」


 促されるが、アズマは二の足を踏んだ。これから隣にいる男に抱かれるのだと思うと、ぞぞぞ、と背中を下から上へとうすら寒いものが走る。


「あの、やっぱりこんなの、間違っていると……」


 座学でじゅうぶん、学んだではないか。ディアンが用意したテキストには、絵や図も載っていた。写実的な男同士の性交図は春画と見紛うほどで、アズマは赤面し、何度も目を逸らしたものだ。


 それに、この部屋はなんだかおかしい。ランプは床の低いところに置かれていて、室内は薄暗く調整されている。他には、棚の上にぽつんとある香炉の火だけが頼りだ。そして部屋に漂うその香りが、なんだか胸の奥をさわさわと落ち着かなくさせる。


「とりあえず、これを飲んで落ち着きなさい。喉が渇いただろう?」

「いや、私は」


 拒否したが、彼は強引だった。杯がすぐ傍に置いてあるにもかかわらず、水差しを直接、アズマの口に突っ込もうとした。もちろん抵抗した。武芸の鍛錬は欠かしていないアズマの方が、ディアンよりも動きは俊敏だし、力も強いはず。なのに、動作がすべて緩慢になってしまう。


 顎を掴まれ、無理矢理口を開かされたところに、水を注がれる。飲み込みきれない分が、ぼたぼたと口端を伝い、床に落ちた。


「っ、は……」


 立っているのが億劫になって、アズマは壁にもたれかかった。ディアンから少しでも距離を取りたかった。扉をこじ開けて逃げようともしたが、彼に手首を捕えられ、ずるずるとベッドまで引きずられてしまう。


「離せっ」

「威勢のいいことだ。けれどね、これも僕の仕事なんだよねえ」


 自分を犯すことが、特別講師の任務のうちに入っていたのだとしたら。


 ディアンは内務大臣の肝煎りだ。アズマへの暴力は、彼の企みの一部ということになる。


 だが、理由がわからない。内務大臣のことは、心底嫌な男だと思う。利己的で、貴族主義で、リカルドのことを軽んじている。でも、それだけだ。恨みを買うようなことなど。


 思考能力が徐々に落ちているのを感じる。炊かれている香にも、飲まされた水にも、催淫成分が含まれていたに違いない。身体が熱を持ち、いうことを聞かない。ベッドの上に四肢を伸ばし、ぐったりと肉体を預けているアズマに伸し掛かる男は、すでに自分の衣服を脱ぎかけている。


 首元のスカーフを引き抜きつつ、ディアンは言った。


「犯され、汚された身でリカルド殿下に侍ることができるほど、面の皮は厚くないだろう?」


 ひゅ、と喉が鳴った。同時に、内務大臣の魂胆も見えてきた。


 彼の狙いは、アズマを剪定師から引きずり下ろすことだ。リカルドは、アズマが固辞すれば、その選択を尊重する。大切な友人だと思ってくれているから。しかし、アズマは無理難題を押しつけられたところで、決して自分から下りたりしなかった。


 頑固な自分を辞めさせるため、わざわざこんなことを仕組んだのだ。


 内務大臣の独断ではない。内部を牛耳っているウィンプ家の企みに違いない。アズマの後任には、手の者を送り込むのだろう。エリオット・ウィンプをリカルドの対の花にするためなら、なんでもする。


 政治から離れるといっても、百花王のパートナーは尊敬を一身に受ける。その座を得るためだけに。


 思い通りになるわけにはいかない。自分は決して、剪定師を下りてはならない。だから、舌を噛んで死ぬこともできない。今は。


 ――剪定師として、テオをしっかりと教育して、どこに出しても恥ずかしくない、立派な花生みにしてみせる。そしてふたりがブートニエールとして結ばれるのを見届けたら、そのときは。


 大丈夫。思考ははっきりとしてきつつある。薬への抵抗は、少しばかり身に着けていた。ディアンは油断している。


 ぎゅっと目を閉じた。やるならやればいい。犬に噛まれたとでも思えばいい。


 頭が痛いな、と関係のないことを考えた。髪の結び目が、圧迫されて痛い。今日も金色の紐できつく結んできたが、失敗だった。彼の色を纏ったまま、犯されたくない。


 上衣のボタンに手がかかる。自然、抵抗する。でたらめに繰り出した脚は、どうやらディアンの顎にクリーンヒットしたらしい。苦痛の呻きを上げたのち、彼は激高した。


「薬がまだ効いていないようだな? はは、なら、直接血管に注ぎ込んでやる」


 冗談じゃない。


 力で抵抗しようとするアズマは、悲しいかな、武芸に秀でではいるものの、剣術の使い手であった。マウントポジションを取った相手に対抗して逆転する体術には明るくない。


 ディアンによって、腕を頭上にひとまとめにされて、ベルトできつく締めあげられる。脚をばたつかせるが、二度目のラッキーヒットはなかった。


 彼はベッドサイドの棚に置いてあるベルを鳴らした。素早く誰かがやってきて、「例のものを」と言うだけで、すぐさま取りにいく。数分とかからずに、使用人らしい男は、注射器を手に戻ってきた。


「あ……や、やだ……」


 恐怖に身が竦む。今だって、身体の熱は冷めやらないのに、注射によって全身に媚薬が回ったら、自分はどうなってしまうのだろう。


 針の先端から、ぴゅ、と少し薬液を出して見せつけてくる。そしてそのまま、ディアンによって抑えつけられたアズマの首に。


「ほら。動くと変なところに刺さるぞ」


 ぷすり、と。


「いっ……あ、あああああッ」


 痛みはなかった。ただ、燃えるように熱い。体内でエネルギーがぐるぐると回り続け、発散場所を探している。言語未満の咆哮しか上げられないアズマを見下ろしたディアンは、媚薬注射を行った部下を、追い出した。


「ああ、いいね。世が世なら、君は異国の王子様だ。はは、そんな高貴なお方を、手籠めにできるなんて……」


 うっとりと陶酔した声が、何を言っているのかわからない。


 早く。早く。助けて。熱い。おかしくなる。心臓が、痛い。


 どうなってもいいから。


「もう、楽にして……ぇ」


 涙とともに、最後の理性が消える。諦め、受け入れたアズマのことを、ディアンは見下ろして、どこからどう調理するかを悩む素振りで楽しんでいる。


「まぁ、最初はフツーに、だな……」


 セオリーはキスからだと、男の唇が近づいてくるのを、アズマは黙って受け入れようとした。


 だが、唇は触れ合わなかった。


 凄まじい音がして、ディアンの興が削がれたせいだ。扉や壁が壊れるような音、男たちの悲鳴と怒号。


「なんだぁ?」


 音はだんだん近づいてくる。


 そして。


「娼館・バロネスで違法薬物が使われていると密告があった! これより騎士団による捜査を行う! 貴様がオーナーのディアン・マクギリスだな? 来てもらおう」


 服を着ることすら許されず、ディアンは裸のまま、兵士たちによって捕らえられ、引き立てられていく。


 ベッドの上で身を起こすこともできずに、呆然としていたアズマの耳には、「アズマ! 大丈夫か!?」と、ここにいるはずがない、いてはいけない愛しい主人の声が聞こえた。


「殿下! 俺が運びますから!」という、頼もしい友の声も。


 ……幻聴だ。


 アズマはそう結論づけて、スッと意識を飛ばした。 

 

 

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