第7話 デート、三人目

 ショーンとのデートの翌々日には、三人目であるテオとのデートがあった。


 北の街の教師の息子である彼は、エリオットやショーンと比べると、おっとりと堅実な振る舞いを心掛けている。思慮深く、言葉遣いも丁寧だ。おそらく親のしつけの賜物であろう。貴族とは違って洗練されているとは言い難いが、相手を不愉快にさせない、というマナーの基本は自然と身についている。


 謙虚な少年だが、言うべきことはきちんと、理路整然と述べる。ショーンはもちろんだが、あのエリオットですら、彼が真顔と笑顔を使い分けて述べ立てる意見については、耳を貸しているのだから、舌を巻くほどであった。


 そんなテオ相手に失礼なことだが、アズマは彼にもまた、二面性があるのではないかと疑っていた。可愛らしい顔をして、人を差別し、自分が特権を得るのが当たり前だとふんぞり返っているエリオットを見てしまったせいである。


 ちなみに、シノブに任せている追跡調査によれば、彼の裏表の激しさは、ちょっとやそっとじゃ改善されないだろうとのことであった。


 リカルドとふたりになって見せる新たな表情があるのか。また、それがどんなものなのか。アズマは剪定師として見極めなければならないと、襟を正した。


 そんなテオが選んだのは、王宮の図書室であった。学園でも図書室で読書をしていることが多い、彼らしいチョイスであると言える。


「この機会を逃すと、一生入れないかもしれないので。一か八か、お願いしてみようと思って」


 と、笑っていた。


 確かに王宮の図書室は、限られた人間しか入ることができない。貴族階級の者であっても、子爵以下はまず、入室手続きに時間がかかる。文官なら入室できるが、目当ての資料の閲覧に限られ、テオが好むようなゆっくりのんびりと読書、というのは叶わない。


 イザヨイ家は代々武官に優秀な一門の者を送り出す、武の家系だ。近衛騎士になる者も多い。したがって、そこの棟梁家に生まれたアズマもまた、図書室とは縁のない男である。


 学園や国立の図書館と違い、小さなものだ。蔵書数も多いとは言えないが、国の歴史や法律に関する書物や、税収に関する資料などは、ここが一番揃っている。考古学的価値の高い史料も存在し、大学の研究者たちは閲覧の順番待ちをしている。さらに厳重にされている禁書庫には、歴史上発禁された本も保存されているのだった。


 とにかく、活字や歴史が好きな人間にとっては宝の山なのであろう。無論、成長途上の少年に対して発禁書を見せるわけにはいかないため、表に出ているものだけだが、テオは楽しそうだ。一緒について説明をしてくれる司書官に、積極的に質問をしている。


 司書も死んだ目をした官僚たちに「資料を寄越せ」と言われるよりもずっと嬉しい様子で、あれやこれやとなんでも教えてくれている。


 だがしかし。


「デートのはずでは?」


 ぽろっとこぼすと、当事者のひとりであるリカルドが苦笑した。


「まぁ、楽しそうだからいいじゃないか」

「殿下が構わないのなら」


 俺もここに来るのは久しぶりだからなあ、と言いながら、彼は書籍を物色し始めた。


 かつての百花王が書いていた日記などもこの書庫には納められている。リカルドは偉大なる先祖たちの在りし日に想いを馳せることに決めたらしく、冊子を数冊抜き取り、席に着いた。


 同時に、司書から「君は見所があるね」と言われてホクホク顔のテオも、読み切れない冊数を積み上げた状態でやってきて、リカルドの向かいに腰を下ろす。


「アズマ。君も座ったら?」

「いえ、私は……」


 あくまでも剪定師として立ち会っているだけの身だ。頑なに立ったままでいるべきだと主張するアズマに、リカルドはしょんぼりした目を向ける。


 年下のこの王子殿下の顔に、アズマは弱かった。なんだって言うことを聞いてしまう。いつも「心を鬼にしなければ!」と思っているのだが、残念ながら勝負は負け越していた。


「構わないだろう。王宮の中で、危ないこともないし、俺たちは本を読むだけだ。そうだろう、テオ?」


 同意を求めた相手は、すでに読書に没頭していて反応がなかった。ほらね、と肩を竦めて目配せをしてくる彼に、アズマは深く溜息をついて、「ならば私も、剪定師の仕事について学ばせていただきます」と、目当ての本を探しに行った。


 戻ってきたときには、リカルドもテオも、自分の手元に集中していて、まったくもってデートという雰囲気はなくなっていた。


 諦めて、アズマも本を開くのだった。



「ん……」


 高いところから落ちる感覚に襲われ、アズマの意識は浮上した。ぼんやりしていたのは一瞬で、すぐにさっと青ざめる。


 学園も王城も、そこかしこに人がいて、かしましい。その点、書庫はそもそも人の出入りが少ないうえ、ページを捲る音、メモをするのに筆記具を走らせる音、それから息遣いだけが聞こえてくる。


 どれもが心地よく耳に届き、やがてひとつのリズムに揃っていくと、眠気に襲われた。


 あまりの失態を、ふたりに見られてはいないかと真っ赤になったが、彼らは議論を交わしているようだった。ほとんどが筆談で、時折ぼそぼそと声に出す。


「……だろう? 私の……したい」

「でも、……は、違うじゃないですか」

「それをどうにかする手段が、あるとしたら?」


 真剣な顔で討論しているのがわかって、アズマはその図を見守った。リカルドの横顔は非常に理知的であり、テオの言葉を信頼していることが伺える。テオもテオで、臆することなく王子に対して自分の意見を述べる、聡明な少年であることが窺える。


 彼らが花の館の主人となれば、大臣を始め、典礼部の皆が喜ぶだろう。歴代の百花王と対の花の中には、儀式をおざなりにして、予算を湯水のように使って贅沢三昧する者もいたそうだ。時の王が何らかの理由をつけて排除したらしく、歴史記述としては、その後の行方はようとして知れない。「いた」という事実のみが伝わっている。


 このふたりならば、お互いに意見を出し合って、儀礼の場を調え、広く国民に花の国に生まれたことを感謝する気持ちを持つべしと、啓蒙することができるだろう。


 最近は、


「花なんて食えないじゃないか」

「もっと他にも産業がないと」


 と、主張して、伝統をないがしろにする人間も多いと聞く。


 他にも、という気持ちは理解するが、何よりもまず、これまでの国の繁栄を支えてきたのが花の恵みであり、百花王の祈りによって保たれているということを認めるべきだ、というのがアズマの考えであった。


 リカルドは言わずもがな、テオもそばかすが似合う、愛らしい顔立ちをしている。皆に愛される花の館の主人になるのが、容易に想像がついた。


「それ、伝えてます?」

「……いや」


 むっ、と怒ったような顔をしたテオに、苦笑いをするリカルド。いい組み合わせだ。彼と一緒になるべきだと、アズマは自分に言い聞かせる。


「怒られても知りませんよ……って、あ」


 テオがこちらを向いた。起きたんですね、と言われたので、アズマは頬が熱いまま、咳払いでごまかした。


「楽しそうでしたけど……何を話していたんですか?」


 テオはリカルドに目配せをする。視線を受け止めた彼は、逡巡したのちに、人差し指を口元へと持って行った。


「アズマには、内緒だ」

 ひゅっ、と喉が鳴りかけたのを、必死で飲みこんだ。本格的に咳き込むアズマを心配して、リカルドが目にもとまらぬ速さでこちらにやってきて、背中をさすってくれた。


 お手を煩わせるわけには、と遠慮しようとするのを察知して、恐い顔をしてアズマを睨む。


「親友を心配するなって、そりゃ無理があるだろ?」


 その言葉に、アズマは目から涙をこぼした。咳のしすぎで滲んだ、生理的な涙にしか見えないことが、不幸中の幸いであった。


 ――内緒話は、彼の一番の友人である自分だけの、特権であった。


 つがいになるということは、他の誰にもできない話を、その相手だけにするということ。アズマに対して可愛いわがままを言うことも、これからはなくなる。百花王として、ローゼス公爵として独り立ちする彼を支えるのは、自分ではない。対となる花生みだ。


 胸が苦しい。チクチクと痛む。


 ああ、帰ったら、リカルドが自分のためだけに調合してくれた、あのハーブティーを淹れよう。はちみつを入れて、自分のために用意しよう。


 あれだけは、他の花生みの誰にも与えていない、自分だけの特権だ。


 願わくは、彼らがつがってからも、リカルドが準備してくれますように。


 叶わぬ思いだと知りながら、アズマはそう願わずにはいられなかった。

 

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