第48話家庭訪問
それから数日、担任の先生が、家庭訪問に来た。穏やかな顔でドアの前に立っている。事前に聞いていた俺は、有給をとって、担任の先生の対応をした。
担任に現状の説明をする。習い事のピアノには行けていること、体調は大きく崩れていないこと、まだ学校に行く目処は立っていないこと。
「そうですか。それでも習い事の時は外出ができているんですね。幸いです。……あの、もしよろしければ、一度潮さんとお話しさせていただけませんか?」
その言葉に、少しだけためらってから頷くと、2階にある娘の部屋に向かう。
「潮さん、こんにちは。担任の高橋です。よかったら話せませんか?」
返事はない。でも、なんとなくわかる。娘は、起きた上で無視をしている。
「……寝ているみたいですね。すみません。もう今日はこれで終わってもいいですか?」
そういうと、担任は納得いかないというような表情を浮かべていたが、やがて頷いて帰っていった。
玄関先で担任を見送る。静まり返った玄関で、襲いかかる腹痛と頭痛に、思わずため息をこぼす。
やがて娘のいる部屋の前へと行き、軽くドアをノックする。
「先生はもう帰ったよ。ごめんね、急に連れてきて」
「……先生が来るから、仕事休んだの?」
その言葉に、ドア越しで無意味に頷いた。それを知ってか知らずか、娘はそれ以上何もいうことはなかった。
妻が帰ってくるまで少し暇で、俺は自分の部屋でギターを握る。
しばらくベッドの上に腰掛けて、軽く足を揺らしながらギターを弾いていると、つま先に何かが当たる感覚がした。
「これ……」
それは、娘が昔気に入っていた積み木の1つだった。三角形のそれを、娘はよく屋根に見立てて遊んでいた。
それを手に取ると、少しだけ切ない気持ちになった。あの頃の、賑やかな家が、恋しくなった。
そんな恋しさを掻き消すように、夕日が落ちる窓の外を、ぼーっと見つめていた。
時の流れは残酷にも早く、夏が過ぎて、急激に気温が下がっていた。娘は、相変わらず学校に行けていない。
「ねぇ、あの子、あのままどうするのもう登校日数的に高校は無理じゃ……」
深夜に、また妻が不安げに切り出す。瞳は潤んでいて、本気で心配しているのがみてとれた。
「……通信制の学校を探そう。それなら、高校卒業の資格を取れる。それ以降は、あの子に任せよう。」
そういうと、妻は静かに頷いて、一緒に通信制の高校を探すことになった。
ある程度の資料を手に入れると、娘の部屋のドアを軽くノックする。
「ちょっとお話ししよう。」
俺がそういうと、娘は静かにドアを開く。不安げな表情で、俺を見つめていた。そして、視線を俺が持っている学校の資料に移す。
「無理に学校に行けとは言わないけれど、高校ぐらいは卒業してほしいんだ。将来の幅を広げるために。できれば話し合いをしたいけど、この資料を軽くみてもらうだけでもいいから。ね?」
そういうと、娘は無言で俺の腕の中にある資料を受け取った。
それから一週間くらいして、娘は、久しぶりにリビングへ降りてきた。手には、俺が渡した資料の一部が握られている。
「ここか、ここがいい。」
2つの学校の資料を並べて、小さく呟く。娘は、ぽつりぽつりと、その学校を選んだ理由を述べていった。
「こっちは、校舎に通う日数が少ないから、家でたくさんやりたいことをやる時間が取れそう。こっちは、さっきのところよりはちょっと通う日数が増えちゃうけど、近いから、多分頑張れる。」
「わかった、じゃあここにしようか。校舎の場所近いし」
娘は小さく頷くと、そのまま部屋に戻っていった。久々に、娘とまともに会話できたことが嬉しくて、スキップしてしまいそうになる。
その日の夜、俺は妻に、娘が選んだ学校について話した。
「ここに行きたいんだって。基本的に外出はしなくていい。自宅学習で勉強を進めて、最低限対面授業を受けて、テストをしたら単位が取れるって」
妻はまだ何か言いたげだが、結局口を閉じて、小さく頷いた。
「あの子が決めたなら、私はいいよ」
妻のその言葉に、俺はほっと胸を撫で下ろす。
やがて娘は通信制の高校に上がって、新しくも、今までとあまり変わらない生活が始まった。
スマホで学習をして、終わったら好きに過ごす。幸い、真面目な子なので、単位を取ることに対しての心配はなかった。
最低限の対面授業と、ピアノのレッスンと、たまにあるコンクールの時だけは家の外に出て、あとはずっと家にこもって生活をする日々。
高校にあがってからも、娘はピアノをやめなかった。本当に音楽が好きなのだろう。コンクールの会場に響く娘のピアノの演奏を聞きながら、将来はピアニストでも目指すのだろうか、としみじみ考えていた。
それから1年が経ち、娘が高校2年生の夏の日のこと。お盆休みで俺も暇していたため、部屋で1人ギターの練習をしていた。
しばらく演奏をしていると、部屋のドアがノックされる。誰がきたのかと目を向けると、数秒間をおいて娘が入ってきた。
「クラゲさ……お父さん」
娘が一瞬言いかけたその名前に、心臓が一瞬縮むように止まった。
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