第36話炎上

 夜遅くまで、作曲作業をしていると、部屋のドアが開く。振り向くと、彼女が夜食を持ってきてくれていた。

「お疲れ様、無理しないでね」

 そういって柔らかく微笑む彼女の眼差しに、期待の色が混ざっているのを、俺は見逃さなかった。

「ありがとう。大好きだよ」

 そういって、俺は彼女を抱きしめる。期待に応えてもらったというような、恍惚な笑みを浮かべていた。しばらく抱き合って、やがて体を離す。

「じゃ、じゃあ、私もう寝るね!」

「うん、おやすみ」

 そうして、またしばらく作業をしてから、彼女の眠る部屋に入ってベッドで寝そべり、眠りについた。

 毎日同じような日々の繰り返し。四六時中誰かの顔色を窺って、音楽を作る時だけは、あの人に全てを捧げる。そんな歪で、充実しているような日々を送っていると、突然スマホに大量の通知が舞い込んできた。

 今朝から異常な量のコメントがMe tubeに舞い込んでくる。何事かと思い、画面を開くと、俺はすぐに状況を悟った。

 ――炎上だ。

 批判、否定の嵐。攻撃的なコメントが溢れてきた。

『ネギマさんのパクリ』

『この曲とかもろ眠る海じゃん』

『謝れクソ野郎』

『こんなのネギマさんへの冒涜』

『人の心とかないんか』

 そんなコメントの数々を見て、俺は、自分が何を否定されているのか、すぐにわかった。この人たちは、俺が先生を侮辱したと思っているんだ。

 先生を完璧に模倣しようとして、ひたすら突き進んだ結果、きっと、先生の既存の曲に限りなく近づいてしまった。

 鋭いコメントの攻撃に、次第に、口角が上がっていった。後悔も、悲しさも、焦りもない。

 ただ――嬉しかった。

 あの人に、ほとんど完璧に近づけた気がして、ネギマ先生に、なれた気がして。燃え盛るインターネットの炎を、呆然と見つめる。俺には祝福の聖火にしか見えなかった。

 しかし、想像以上に炎は燃え広がっていった。先生が有名だった分、軽いネットニュースにも及んだ。いよいよ、自分のアカウントが凍結されるかもしれないと思い、そこで初めて危機感を覚えた。

 あの人に、音を届けられなくなる。今まで俺が必死に届けたくて積み上げたものが、消えてしまう。それは、何よりも避けたい事態だった。

 俺は仕事終わりのスーツ姿のまま、急いで配信画面をつける。

 配信タイトルは、「お詫び申し上げます」

 自分の現在の影響力と、謝罪配信の掛け合わせは、一気に人を呼び込んだ。配信開始時で同時接続数は1.5万。正直緊張してしまいそうなほどの人数だった。

 コメント欄は大荒れだった。

『謝罪しろ』

『ゴミ』

『カス』

『死ね』

 そんな棘のある、幼稚な言葉の数々が、画面越しに俺を刺す。

 俺は迷わず両手を床について、床にめり込む勢いで頭を擦り付けた。

「この度は、私の軽率な行動で皆様を不快にさせてしまって、申し訳ございません」

「ですが、1つ、言っておきたいことがあります」

「私は、決してネギマ先生を冒涜してはいません」

「むしろ、私はあの人の隅から隅まで、尊敬しています」

「だから、極限まであの人に近づこうと、際限なく努力してきました。あの人が出した曲、全てを聞き込み、それぞれの曲に施された細かい技術を、全て学び尽くしました」

「これが、その証拠です。私は中途半端に、あの人を知ろうとしていません」

 そう言って、1つの段ボールをひっくり返す。先生の曲を研究して、ひたすら書き留めた紙やメモが、そこから溢れ出してくる。A4用紙にびっちりと書かれたそのメモたちを見て、自分でも少し引いてしまう。

『え、やば』

『適当じゃないのはわかるけど流石にきもい』

 そんなコメントには目もくれず、そのメモたちを丁寧に段ボールにしまっていく。そして、再び土下座をする。

「これからも、もっと、努力するつもりです。あの人の音に、自分の音を重ねたいんです」

「認知度とか、有名とか、正直興味ないんです。ただ、私は、もう一度あの人の音を聞きたいんです」

 拳を握りしめて、涙を流す。

「私は、あの人の曲に、救われたんです。あの人が、初めて曲を投稿してくれた、あの日から。」

「でも、あの人は、自分の曲で、死にたがっていた。そして、もう7年、何も投稿してくれていない。」

「それでも、あの人が亡くなったという、確実な証拠がないのなら、まだどこかで生きていると信じたいんです。」

「そして、そんな先生に、自分の音で、生きていたいと思って欲しいんです。あの人の好きなリズムで、あの人の好きな合成音声で、あの人の好きなギターの音で」

「あの人に、自分の音が届いたら、もう終わります。あと一曲、いや、一音だけでも、あの人が作った音に触れられるならそれでいいんです。その時が来るまで、まだ、ここ《SNS》にいさせてください」

 その一言で、荒れていたコメントがぴたりと止まった。

『そういえば、ネギマさんが病気になった時、同じこと言ってたな』

『ちょっときもいけど、もう少し様子見でもいいでしょ』

 そこから、少しずつ落ち着いたコメントが流れるようになっていった。

 そしてしばらく謝罪をくり返し、謝罪配信は終了した。別に周りの評価は関係ないけれど、ここまで規模が大きくなって、もしも凍結になったら、ここまでの俺の努力が水の泡だ。

 あの人に、音を届けなきゃ。そう思い、また俺は、ギターを抱える。

「……配信、お疲れ様」

 しばらくギターを弾いていると、夜食を持って、彼女が部屋に入ってくる。

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