第30話あなたを
ギターの練習を投稿し始めて半年ほど経った頃、毎日コツコツと投稿した甲斐あってか、少しずつ反応が増えていった。
『前よりコード綺麗!』
『不器用だけどちゃんとギターを大事にしようとしてるのわかる』
『これ独学?めっちゃすごくね?』
そんな温かいコメントに、思わず顔を綻ばせる。
『ネギマ先生って、ずっとSNS更新してないよね』
『病気って言ってたし、もういないんじゃ』
『主さん知らないのかな』
そんな苦しいコメントもたくさんあった。悪意がない分、よりタチが悪い。あまりその類のコメントには目を向けないようにして、それからも毎日投稿を続けた。
先生の死を諭すような連中がいても、それを全て無視して、盲信的にギターの音を発信し続ける理由は、ただ信仰しているからだけではない。
俺は、あの人を救いたいんだ。
puwitterに、あの人が昔、こんなことを呟いていた。
『私は、死にたくて曲を作っています。』
『音圧に殺されるため、私をあの世へ送ってくれる一曲を、作っているんです。』
俺は、複雑な感情を抱えていた。それはつまり、先生が満足してしまう曲ができたら、先生は更新をやめてしまうということ。嫌だった。先生がいなくなるのも、先生の曲が聴けなくなるのも。
でも、先生の意思を止めるなんて烏滸がましいこと、できるはずもなかった。
はじめて、いいねも、返信もせず、ただそのつぶやきを流した。
きっとこれだけだったら、俺はここまで必死に音楽を作っていない。あの人が死にたいと言って、人生最高傑作「終の葬送」を作って、それから一切の音沙汰がないのなら、仕方ないけれど諦めるしかない。
でも、そのつぶやきをするよりもずっと前、俺は、あるものを見たんだ。
◇
ネギマ先生が曲のストックを投稿して、二週間ほど経った頃、1つの動画が深夜に通知された。その動画は、いつもみたいな3分ほどの曲でも、数十秒の短い音の集合でもない。3時間にも及ぶ、配信のアーカイブのような長時間の動画だった。
俺はさっそく、その動画を開く。
その動画の内容は、いつもと大きく違った。いつもみたいな、真っ黒い画面にただただ音だけが流れるのではなくて、誰かの部屋のような、景色が広がっていた。
照明もついていない、窓からの月明かりでほんの少しだけ中の様子が窺えるほどの薄暗い部屋が写っていた。綺麗に整えられた机。本が並ぶ棚。ほどよく生活感がありながらも、清潔感のあふれる部屋だという印象を抱いた。
そして、静止画のように同じ景色が映し出されて数秒、突然ギターの音が鳴りだす。人の姿は見えない。ギターを弾く手も、足のほんの一部すらも見えない。でも、俺はすぐにわかってしまった。これは。
「ネギマ先生の、ギターの音……」
ほとんど直感だった。でも、あの楽曲の中に混じっているギターの音と、全く同じ強さ、全く同じ柔らかさだった。
しばらく、その演奏に聴き入る。何度もつまずいては同じ音を弾き続けて、練習を重ねる先生の様子を、かっこいいな、なんて呑気に見ていた。深夜ということもあって、しばらく聞いていると、次第に瞼が重くなる。だんだんと音が遠く聞こえるようになってきた頃、少しだけ、動画の音声に違和感が生まれた。
嗚咽のような音声が聞こえた。泣いている時に出るような、「オエ」という音が。
最初は、別の環境音かと思った。イヤホンを外しても、まだ聞こえた気がした。
次に、鼻水を啜るような音が聞こえる。
ギターの音が止み、嗚咽と鼻を啜る音だけが残る。
「し、にた、く、なぃ……こわい」
か細い、少女のような声が聞こえた。その声を聞いた瞬間、胸の奥が焼けるように痛んだ。
でも次の瞬間には、意識が途切れた。
あの声が、先生の声かどうかは、いまだにわからない。状況的に先生しかいないのだけれど、勝手に確信するのも、烏滸がましい。
翌朝、起きた頃には動画は自動再生で別の動画に切り替わってしまっていた。寝落ちする直前だったこともあり、若干記憶が曖昧で、結局俺はあれが夢か現実かの区別すらついていない。
視聴履歴や、先生のアカウントの最新動画を見てみるが、投稿されていたのは別の動画で、いつもの数分の曲だった。説明欄には、「昨日は寝落ちして投稿できなかったので、朝投稿しておきます」とだけ書いてあった。つぶやきを見ても、それらしい投稿は見つからない。
あれは、ただの幻だったのかもしれない。夢の話だったのかもしれない。でも、ふと思う。あれは、先生の本音だったんじゃないかと。
夢だろうと現実だろうと、あの人は、本音を語ってくれたんじゃないかと思ってしまう。考えすぎかもしれないし、たかが1人のファンがそこまでしゃしゃるのもいかがなものかと思う。それでも、俺はあの夜に聞いた言葉を、忘れられないでいた。
◇
だから、俺はどうしても先生を救いたい。あの日、泣きじゃくっていた少女を生かしたい。そのために、この音を届けたい。
あの人のための居場所を作りたい。この場所でなら、生きてもいいと思ってくれるような居場所を、音楽で作りたい。あの人のためだけの一曲を生みたい。そのために、俺はどこまでも研究を重ねた。1人で、独学で。
卒業までずっと、1人で勉強をしていたが、正直そこまで大きな成果は得られなかった。
早く、専門学校に入学したい。あの人が音楽を作る上で、何をしていたのか、知りたい。もどかしさと、己の無力さに苛まれながら、俺は探究心だけでギターを弾いていた。
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