第8話入学

 それから卒業まではあっという間だった。友達の1人もいない私は、家と学校を往復しては、ただただ作曲アプリと楽器を触り続ける日々を過ごしていった。

 卒業旅行も、卒業式後の打ち上げも、何もない。なんとなく、青春をしてみたかったという気持ちはありつつも、そんなことをできる相手を作れるだけのコミュ力も持ち合わせていない私には、到底無理な話だった。

 この先私は、ずっと1人なのかもしれない。死ぬまでずっと、私のそばには音楽しかない。

 ――あぁ、どうしよう。意外と、悪くないと思ってしまう自分がいる。

 両親は、卒業式が終わってそのまままっすぐ帰ってきたり、その後どこにも出かけるそぶりのない私に、高校の子達と上手くやれていたのかと不安そうに言葉をかけてきた。

「大丈夫」

 多くは語らず、たったそれだけ言って、その話は終わった。

 きっと両親は、私に友達がいないことは勘づいているだろう。私と同い年のクラスメイトは、やれ旅行だ、やれご飯だカラオケだと、はしゃいで毎日のように遊び歩いているだろうから。そんな姿を一度も見せてこなかった私が、「音楽に夢中なだけ」と言っても、到底言い訳にはならないだろう。

 ある日の深夜のこと。私はトイレに行きたくて目を覚まし、自室から階段を降りた時に、両親の話し声が聞こえた。

「あの子、きっと高校でお友達、できなかったわよね」

「まぁ、あまり深入りすることでもないさ」

「でもあの子、これから1人で生きていくの?」

「そうとも限らない。専門学校で友達ができるかもしれないじゃないか」

「そうだといいけど……」

「とにかく今は、あまり凪音には友だちの話はしないでおこう。せっかく今夢中になれるものができているのに、変に友達作りを強要したら、そのプレッシャーに気を取られて音楽のやる気も削いでしまうかもしれない」

「そう、ね。黙っておきましょう。あの子が好きなように生きるのを見守るのが私たちの役目ですもの」

「あぁ、そうだな。大丈夫。あの子ならきっと、自分で幸せを掴めるよ。」

 たまたまその会話を聞いていた私は、両親たちのいるリビングに入ることはせず、静かな足取りで部屋に戻った。気づかれてない、と思う。

「友達、か」

 1人の静かな寝室で、私の言葉が寂しく響く。

 私は、幼い頃から活発な人間ではなかった。

 幼稚園では遊びに誘われれば、なんとなく輪に混ざるような人間だったけど、この指止まれと言われて寄っていくタイプではなかった。

 受け身ばかりの幼少期。気づけば輪に入って、解散になるまでなんとなく参加する人間だった。

 特段仲のいい親友的な子もいなくて、お昼ご飯はなんとなく空いてる席に座って、黙々と食べている人間だった。

 目の前で同じ幼稚園の子達が仲良く何かを喋っていても、その話題に入り込むほどの度胸もなかった。頑張ろうと思っても、喉が詰まって、結局声が出なくて、昼食を食べることだけで精一杯だった。

 小学校に上がってから、幼稚園で遊んだ子達とは別の学校になってしまい、幼稚園ですら遊びに誘うことが出来なかった私はろくに友達すらも作れず、グループ作りは適当な優しい人たちの中に入れてもらって事なきを得ていた。

 みんなに気遣われ、その気遣いにしれっと乗って、ろくに人と深く関わりも持たなければ、いじめを受けるほどの悪目立ちもしなかった。

 平凡に生きられるほどには真面目で、飛び抜けた長所もなければ、目につく短所もない。誰の記憶にも残らないような、普通すぎる人間だと思う。

 なんというか、振り返ってみると、薄っぺらい人間だな、なんてしみじみ思う。

 専門学校では気の合う子と出会いたいような、自分の作業を誰にも邪魔されたくないような、複雑な気持ちを抱えたまま、その日は寝ることにした。

 そして迎えた入学式。いつもよりずっと早起きしてしまって、二度寝もできず、家で過ごすにも落ち着かず、結局早めに家を出ることにした。

 電車に乗って行ったらかなり時間を持て余してしまう。せっかくだし、運動がてら近所を散歩して、時間をつぶしながら学校へ向かうことにした。

「東京じゃないみたい……」

 幼い頃から何度も歩いたことのある道のはずなのに、いつもみたいな人通りがないだけで、まるで全然違う場所に見えた。

 あんなところに花生えてたっけ、人がいないとこんなに小鳥の声が聞こえるんだ、私一人分の影しかないと、こんなに地面が寂しいんだな。なんて、見慣れていたはずの景色から新しい発見をしていた。

 しばらく歩いていると、腹の虫がなり、空腹感に襲われる。

「そういえば、朝ごはん食べてなかったっけ。」

 私が起きた時はまだ両親も起きてなくて、とりあえず散歩してから学校に向かうことと、朝食はいらないという旨の置き手紙だけ残して、家を出た。

 まだ入学式まではかなり時間がある。適当にコンビニで朝ごはんを買って、近くの公園で食べよう。そう思い、すぐ近くのコンビニに寄った。

 無機質な入店音が鳴り響く。それに応じるように、気の抜けた店員の挨拶が聞こえる。真っ直ぐにおにぎりやサンドウィッチが置いてある棚に向かって、どれにしようかと悩む。

 高校生の時は、母がいつもお弁当を作ってくれていたから、こうやってコンビニのご飯を買うのはなんとも新鮮な経験だ。

 数分悩んだ末に、私が手に取ったのは、鳥の照り焼きと卵が挟まったサンドウィッチ。特別な理由なんてない。なんとなく、今日はこれを食べたい気分だった。それだけ。

 サンドウィッチを片手に、飲み物コーナーに向かい、水を一本手に取って、会計を済ませる。その後に近くの公園に行って、ベンチに腰掛ける。

 あくびをこぼしながら、サンドウィッチの包装を開ける。パンの間からこぼれる卵とマヨネーズが手についてしまったけれど、なんとなく気にならなかった。

 一口サンドウィッチを食べると、卵と鶏の照り焼きの甘み、マヨネーズのほのかな酸味が口の中に広がった。ひとりぼっちで食べるご飯は別に好きじゃないけれど、この時ばかりは、なんとなく心地よく感じた。

 乾いた喉を水で潤しながら朝食を食べていると、気づけば手の中にあったサンドウィッチはすっかりなくなってしまった。お腹がいっぱいになったわけではないけれど、先ほどの空腹感を紛らわすには十分な量になっていた。

 ふぅ、と軽く息をついて、ベンチから立ち上がり、スマホで時間を確認する。

 入学式の受付開始まで、後45分。ここからフロイデ音楽院までは歩いて約30分。今から向かえば、ある程度余裕を持って着くことができるだろう。

 水をもう一杯口に含み、口内をサッパリさせてから、入学式へ向かうことにした。

 学校までの道のりを歩いて向かいながら、私は、少し前に両親と軽く揉めたことを思い出していた。

 ◇


「一人暮らし!?どうして?家から学校までそう遠くないでしょう!?」

 普段あんなにお淑やかな母が、珍しく声を荒らげた。原因は私だ。自立がしたいと思って、一人暮らしを提案したから。

 母の言うとおり、実家から学校までは電車で三駅。別に交通の便も問題はない。正直、実家暮らしで専門学校に通うのに、デメリットはないだろう。でも、私は、いつまでも子供みたいに両親に迷惑をかけるようなことをするのは気が引けた。

「そうだけど、高校を卒業してまで、まだお母さんたちに甘えるのも申し訳なくてさ……」

「私たちのことなんて気遣わなくていいのよ!それよりも、女の子の一人暮らしなんて心配だわ。最近物騒だし……」

「うーん、でも、凪音なりに自立を考えてくれてるしなぁ」

 家族三人、ダイニングテーブルを囲って必死に考える。すると父がぽん、と手を打って、閃いた、というような顔をした。

「じゃあ、実家から学校には通って、アルバイトをして家にお金を入れるのはどうだ?家事も当番制にして、ある程度負担すれば多少は自立できるだろう?」

「まぁ……それならいいけど、凪音、それでもいい?」

「あ、うん。それでいい」

 最終的にはその折衷案でお互いに納得して、この話は終わった。毎月3万円を家に入れること。それが厳しそうだったり、逆にもっと入れても大丈夫なら、随時相談して額は変えるということになった。


 ◇


 そんな回想をしていれば、いつの間にかフロイデ音楽院の入り口の目の前に立っていた。

 もうすぐ、待ちに待った入学式。自分の音楽を本格的に磨くことができるというワクワクと、自分なんかが足を踏み入れて良かったのかという不安が同時に押し寄せてくる。

 早めに来て良かった。きっとギリギリに学校に到着していたら、私は緊張でしばらく固まって、その間に受付のタイミングを逃してしまったかもしれない。

 深呼吸をして、カバンの中にしまっておいた水を一気に流し込み、何度も心の中で"大丈夫"と唱え続ける。

 そうしていると、数人の人たちが集まってきた。時間を確認すると、受付時間の5分前。緊張をほぐすだけで10分も使ってしまっていたらしい。

 それからは問題なく受付を済まし、入学式を迎える。学校長の話を、背筋を伸ばして聞く。テンプレのような内容にあくびがこぼれそうになるが、グッと堪えて耐え忍ぶ。

 数時間後、無事入学式は終わりを迎え、学校側から作曲用のノートパソコンを支給され、各自解散となる。私と同じようにAO入試で入った人たちは、プレスクールで仲良くなった人たちと一緒にご飯を食べに行っている。その中で私は1人家へまっすぐ帰った。

 なんとなく、ここでも友達はできなさそうな気がした。

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