第4話進路希望
「進路希望調査するので、この紙に自分の希望と、保護者の希望を書いてきてくださいね」
帰りのホームルームの終わり頃に、先生からそんなアナウンスが入った。前の人からプリントを渡される。自分の分を一枚とって、後ろの人に残りのプリントを回す。
進路希望調査票。今までろくにやりたいこともなく、何の希望も持たずに過ごしてきた私は、毎回親に任せっきりで、自分の現状のレベルでいける適当な進路を選んでいた。今通っているこの高校も、正直自分の現状のレベルでいける場所を適当に選んだだけだ。でも、今回は違った。
音楽を作ることが、こんなに楽しいとは思っていなかった。作曲教室に通い出してから、私は、どんどん音楽の魅力に飲まれていった。大人になったら、何か音楽関係の仕事に就きたいと、そう思った。
だから、初めて、自分の意思で、ペンを手に取った。初めて、自分の希望をきちんと書いた。
気が早いとは自分でも思う。家に帰ってから自分の希望を書くものだと思う。でも、書かずにはいられなかった。早く自分の考えを、希望を、紙切れ一枚にでも主張したかった。
自分の希望を書いて満足した私は、クリアファイルに進路希望調査票をしまい、早足で家に帰った。
「お母さん、私、音楽の専門学校に行きたい」
帰ってくるなり早足で洗面所に向かい、手を洗うと、母のいる台所へ向かい、進路希望調査票を突き出した。紙と口頭で、自分の意思を伝える。母は一瞬、驚いた顔で私を見つめると、優しく微笑んで、頷いてくれた。
「わかった。凪音がそうしたいならそうしなさい。私たちは、応援するからね」
作曲教室の時といい、今回といい、本当に母は器が大きい。学費は決して安くないのに、否定しないのは、私が作曲教室に通ってきたこの9ヶ月間、嫌がる表情も見せず、むしろ生き生きとした顔で行って帰ってくる姿を何度も見ているからだろう。家に帰ってからも熱心に作業に取り組んでいる姿をほぼ毎日見ているからだろう。
「でもなんで専門学校なの?音大も調べたりはした?」
「うん、調べてみたけど、音大はクラシックとかの傾向が強くて、私が作りたい曲の感じとは合わないから……」
「そっか、ちゃんと調べて出した案ならいいのよ。入学できるように一緒に頑張ろうね」
「うん」
母からの了承を得て、進路希望調査票の保護者記入欄に「本人の希望を尊重したいです」と書いてもらい、忘れないようにクリアファイルに戻しておく。
翌日、スキップしてしまいそうな足取りを自分で制しながら、いつも通りの表情で、先生に進路希望調査票を提出する。先生が受け取ったのを確認してから、自分の席へと戻った。
「進路どうするー?」
「なんも決まってねー」
「安藤くん東大受験するらいいよ」
「学年一位だもんね」
「優希はスポーツ推薦だっけ」
「そそ、俺バカだから推薦じゃねーと進学やべーんだわ」
みんなが口々に進路についての話をする。自分も含めて、2年生というのはあまり具体的な進路を持っていないものなんだな、なんて呑気に考える。私も、一応第二志望まで学校名は出しているものの、一旦の希望というだけで、きちんとここに行きたいと決めたわけではない。まだまだ調べ足りないし、今後調べてみてより良いものがあれば、三者面談の時に言う予定だ。
家に帰って、さっそくスマホで学校を調べてみる。なるべく就職実績のある学校を中心に選んでみる。作曲家として独立する気は毛頭ないけれど、曲を作る時間は欲しいので、安定して休みをもらえる企業に多く就職できている学校を選びたい。ただ、就職実績に載っている企業を全部調べ上げるのはさすがに骨が折れるので、自分でも聞いたことのある大手音楽会社に就職できている学校を選ぶ。
そして、作曲をしつつ自分の進路を固めていれば、あっという間に三者面談の日が訪れた。
「今日はお忙しい中お越しいただきありがとうございます。進路の件で、少し詳しくお話をさせていただければと思います」
いつもより少しだけ表情が引き攣っていて、かしこまった格好の先生がそう言いながら、私が提出した進路希望調査票と、私の現状の成績表を出してくる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
母のその言葉を合図に、私と母は先生の目の前の席に腰掛けた。
「音楽創作専門学校フロイデ音楽院さんと、現代音楽デザイン専門学校ソノリスさん……どちらも音楽系の専門学校ですね。いや、まぁ、正直少し驚きました。他の子達は基本的に親に任せきりだったり、何も進路が定まっていなかったりしている中で、凪音さんがここまできちんと進路を決めているとは……」
「ちゃんと、考えました。他にもいくつか調べて、東京音楽創作専門学校さん、都立メディア芸術総合専門学校さん、私立アヴァン音楽工芸専門学院さんも気になっていて――」
それから、簡単な学校説明と、現在の志望順位を伝えた。東京音楽創作専門学校は、もともと有名音大から派生した学校で、少し伝統音楽が強いこと、しかし就職実績はピカイチなこと。都立メディア芸術総合専門学校は、さまざまな学科との合同授業が多く、カリキュラムが独特なこと。私立アヴァン音楽工芸専門学院は、学べる音楽の系統は自分によくあっているけれど、個性的な生徒が多く、馴染めるかが不安なこと。音楽創作専門学校フロイデ音楽院は、少人数制で、今通っている作曲教室に近い環境で学べそうなこと。現代音楽デザイン専門学校ソノリスは、現代音楽に力が入っており、堅苦しさはないが、立地の問題で通学中人混みに巻き込まれそうなのが不安なこと。
志望順位は、第一志望が音楽創作専門学校フロイデ音楽院。第二志望が現代音楽デザイン専門学校ソノリス。第三志望が東京音楽創作専門学校。第四志望が都立メディア芸術総合専門学校。第五志望が私立アヴァン音楽工芸専門学院。ということ。
私が話している間、母は口を挟むことなく、先生も黙って議事録を取ってくれていた。ここまで人にたくさんのことを話すのはあまりなかったので、少しだけ息が上がってしまう。
「なるほどね。専門学校を出た後はどうするかは決まっている?」
「はい、具体的な職種は決まっていませんが、音楽系の会社に就職しようと思っています」
「今は確か、作曲教室に通っているんだよね?自分で曲を作って出そうとは思っていないの?」
「……今は、特に」
自分にそんな才能はない。ましてや、作曲だけで生きるなんて言う不安定な道を歩むだけの勇気もない。そう言おうかとも思ったが、今は自虐する場面じゃないので、軽く濁しておく。
「そうか、そっちの進路も目指したくなったら、また相談してね」
「はい」
「お母様は凪音さんの進路に賛成ということでよろしいんですよね?」
「はい、そうですね。今まで強く物事を主張する子じゃなかったので、今回この子が自分で決めてくれた進路は、なるべく尊重したいです」
「わかりました。ではこの方向で一旦は決定ということにしましょう。我々も全力でサポートします」
「ありがとうございます」
「では、私からは以上です。最後に、お母様から何か質問等あればどうぞ」
「あの、娘は普段学校でどんな感じですか?」
「とても真面目で、提出物や試験も問題なくできているので、先生たちにはとても好評ですよ。穏やかな子なので、生徒間でのトラブルも特にないです」
先生の言葉に母はほっと胸を撫で下ろす。上手く濁してくれた先生に心の中で感謝を伝えながら、軽く母に目配せをする。
満足そうな笑みを浮かべる母に、少し心が痛くなったのは、気のせいということにしておこう。
「本日はありがとうございました。失礼します」
そう言って教室を去る母に続いて、私も軽く会釈をして教室を出ていった。
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