第3話作曲教室
夏休みが明けて、またいつも通りの学校生活が始まった。けれど、それまでまっすぐ家に帰っていた日々が、たまに図書館へ通うようになったことで、少しだけ変わった。
気になった本を一冊手に取って、軽く流し読みをしてから、受付で借りる手続きをする。家に帰り、その本を時間がある限り読み続ける。そして自分なりに座学で学んだ知識を使って、スマホの作曲アプリで曲を作る。その方法でやってみようと思った。
しかし、幼い頃から音楽の英才教育を受けているわけでもなく、ただ聴くことだけが好きだった私にとって、そんなメチャクチャな独学でたどりつける領域なんてたかが知れていた。
何曲作っても駄作ばかり。リズムも気持ち悪いし、音はめちゃくちゃ。好きな曲をある程度耳コピしてみて、ようやくふんわりとした形が見えただけ。
一ヶ月その方法でとにかくがむしゃらにやってみて、これでは無理だと悟った。それでも、自分をあの世に送ってくれる曲を作りたいという夢は、決して諦めたくなかった。
「ねぇ、お母さん……」
「ん?どうしたの?」
「その、ちょっとお願いしたいことがあって」
少しだけモゴモゴと言葉をためらった後、軽く深呼吸をして、言う決意を固める。
「私、作曲教室に通いたい。それで、ちょっと月謝が高いから、できれば、その……」
決意が固まったはずなのに、やはり金額の問題で、少しだけ伝えるのをためらってしまう。
「……いくらぐらいなの?」
「え?」
「お金。その教室に通うお金は大体どのぐらいなの?」
あぁ、お母さんってやっぱりすごい人なんだな、なんて呑気に考える。
「だいたい、1ヶ月で15,000円ぐらい……」
「わかった、お金のことは心配しなくていいからね、ちゃんと通ってくれたらいいから」
優しい声色でそう言ってくれた母の言葉に、なぜか目頭が少し熱くなった。きっと了承してくれると、心のどこかでわかっていた。でも、こんなにもあっさり受け入れてもらえると、母の底なしの優しさを改めて思い知らされる。それなのに、素直に「ありがとう」と言えない自分が悔しかった。
今までずっとループするように続いていた退屈な「いつも通り」は、夏の暑さと共に崩れ去っていった。音楽にのめり込んでから、世界の色が日に日に色濃く、鮮やかになっていく。
月に二回、隔週日曜でレッスン時間は六十分、レッスン時は作曲に関する基礎知識や、音楽ソフトの使い方を勉強する。すでに作曲中の生徒には、作っている曲に対するアドバイスもしている。
生徒数はあまり多くなく、むしろ少ないくらいだ。だから授業はほぼ先生と生徒のマンツーマンで、わからないことは気軽に相談できるので、ほかの生徒より大きく遅れるという事態は起きなかった。みんな集中して授業に取り組んでいるので、誰かに嫌がらせを受けたり、騒がしい生徒に邪魔をされるということもない。安心して自分も教室に通うことができた。
そんなこんなで、作曲教室に通いつつ、そこで購入した参考書を何冊も読み漁り、何度も曲作りに挑戦すること半年。まだまだ出来は未熟だが、少なくとも完全独学でやろうとしていたあの時よりは、遥かに聴ける曲になっている。最初は8〜16小節程度の短い音の羅列だったのが、いつの間にか200小節を超える四分程度の立派な一曲になっていた。
でも、自分で作った作品を、誰かに見せるような真似はしたくなかった。自分のために教室へ通うお金を払ってくれて、自分が作曲に熱中していく様をただただ優しく見守ってくれている両親にすら、自分の曲を聞かせてあげられないことに罪悪感はあった。それでも、今必死になって作っているこの曲が、自殺のための凶器だと知ったら、きっと両親は悲しんでしまう。それに、今後教室に通うことも猛反対されるかもしれない。だからと言って、適当に建前で作った曲を聞かせるのも不誠実な気がして、気が進まなかった。
自分の曲を聞かせているとしたら、せいぜい教室の先生ぐらいだろう。といっても、自分のやりたい表現をするには、どのようにしたらいいかを聞きたいだけだったので、メロディぐらいしか聞かせていないけれど。歌詞もあるなら見てみたいとせがまれたことはあったけれど、あまり人に見せられるようなものでもないので、「作っていない」の一点張りで乗り切っていた。最終的に目指したい曲の雰囲気は伝えてあるし、アドバイスがずれてしまうということはないだろう。
基本的に先生のアドバイスは、生徒の作品の原型を崩すことなく、ほんの少しだけ効果音や楽器を増やすというものだった。だから自分の意見がきちんと見られて、尊重されているようで、安心してアドバイスを受けることができた。
たまにメロディを少しだけ改変することはあるけれど、それでも大きな変更はないので、少しだけ歌詞の言葉を選び直せば何の問題もなかった。
月日は流れ、私は二年生に進級。新しいクラスや授業にも慣れ始め、気づけば六月になっていた。相変わらず学校ではひとりぼっちだけど、休み時間に歌詞を考えたり、鼻歌でメロディを考える時間は楽しかった。むしろこの時間は、誰にも寄り付いてほしくなかった。
私のそんな思いが外に漏れ出ているのか、望み通り私の周りには誰も来なかった。
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